歴史の町・アンタクヤ(その2)
何せ、トルコ(アナトリア)に一番最初にイスラム教が入ってきた場所です!638年のことです。
(610年にムハンマドがアッラーの啓示を受け、始まったイスラム教が、わずか28年の後には、アンタクヤにまで入ってきたという事実。凄い勢いです!)
そんなこともあって、町の至るところにモスクが見られます。ぱっと見てオスマン朝様式なものや、最近になって建てられた感じの、比較的新しいものが多いんですけれど、中にはびっくりする程の歴史的なものもあって、うろうろ散策が楽しいのです。
しかも、この町の旧市街は、狭い路地が入り組んでいて、建物を見ながらのきょろきょろ歩きも格別です。
では、私の好きそうな古いモスクをちょっと紹介。
まず、アナトリアの比較的大きな町だと、どこにでも見られる、大モスクの総称の〝ウル・ジャーミィ(Ulu Camii)〟です。
モスクの外壁が全部商店になっている、モスクと商業の複合施設。(こういう複合体のモスクって、結構見かけます。)

16世紀、オスマン朝初期またはマムルーク朝後期の建設で、モスクとして建てられたものの中では、アンタクヤで一番古いモスクと言われています。
モスクの様式はオスマン朝初期のものによく見られるものだそうで、随所にマムルーク朝様式も散りばめられているそうです。ミナレット(尖塔)は、細長い、見るからにオスマン朝のものですね。
地震によって痛みが酷かったため、現在の建物は1987年から2002年にかけて取り壊し・再建されたものです。その際、オリジナルの建材や石材などはそのまま使われた、ということです。

ウル(=壮大な)という割には、こじんまりとしたモスクです。
訪れた時はちょうど礼拝の時間で、中は拝見できなかったのですけれど、窓越しに覗いてみた限りは、シンプルな作りでした。

(このモスクには、裏通りに面して、もう一つ小さな門があります)
両側の円柱やアーチに沿った装飾、ローマっぽいですよね。ブドウのレリーフに見えます。
ディヤルバクルのウル・ジャーミィにも、ローマ風のレリーフが随所に見られるんですけれど、町の歴史を思って見ると、とっても興味深いです。

〝イフサニイェ・ジャーミィ(İhsaniye Camii)〟。
1221年の建立。地震で崩壊したため、1915年に再建されました。
アンタクヤのモスクのミナレットは、トルコでよく見かけるミナレットに比べると、かなり短いように思いました。しかも、どっしりとしている。(もちろん例外もありますけれどね)
写真を撮るのを忘れた、とあるモスクのミナレットも、どっしりと太くて短かったです。民家の屋根の横に、てっぺんだけがちょこっと見えている、という風な感じ。
町によって、また建てられた時代によって、ミナレットの形も色々。面白いです。
最後に紹介しますのは、またまたとっても興味深い歴史を持つモスクです。
〝ハビビ・ネッジャル・ジャーミィ(Habib-i Neccar Camii)〟。

モスクと神学校が一体となった施設です。
元々ローマ時代の神殿のあった場所に、この町に侵攻してきたイスラム軍がモスクを建てたのが始まり。
イスラム軍の侵攻が638年ですので、建築はおそらく640年頃でしょうか。
その後969年にビザンティン帝国の支配が始まると、このモスクは教会に替えられてしまいます。
教会として使われたのは、支配者がイスラム教徒のセルジューク朝にとって替わる1084年まで。
しばらくの間モスクとして使われますが、1096年に十字軍が侵攻してくると、また教会へと替えられてしまいます。
そして、1268年にマムルーク朝が侵攻してくると、またモスクへと替えられたのでした。
なぁんと、アンタクヤの激動の歴史、そのままの運命を受け入れてきたモスクですね~。
なお、17世紀のオスマン朝支配下には大規模な修復が行われ、現在の姿をとどめています。
ところで、このミナレット(尖塔)、どこかで見たことのあるのものだぁ、と思ったら、ガズィアンテップのモスクのものにそっくり!地理的に近いですからね、なるほどねぇ。
↓、お祈りの前に体を清めるための泉(シャドゥルワン)と、モスクの入り口。なお、この泉は19世紀のものです。


ところで、ハビビ・ネッジャルは、紀元40年頃、アンティオキアにいた実在の人物で、この町で、イエス・キリストの教えを最初に信仰した人です。
当時のアンティオキアの人々は偶像信仰だったため、ハビビ・ネッジャルは次第に疎外されてゆき、改宗を求められるも、拒否し、仕舞いには殺されてしまいました。
熱心な信仰心のために殉教したハビビ・ネッジャルは、このモスクの隅に葬られています。
そして、このモスクの向こう側に見える山の名前も、〝ハビビ・ネッジャル山〟と名付けられています。この山の麓にも、ハビビ・ネッジャルの廟があるそうです。
アンタクヤの人々に尊敬され続けてきたハビビ・ネッジャルという人の、人柄がうかがえるお話ですね。
こちらは、モスクの裏手。門の横にある2階が突き出た部分、あの場所にハビビ・ネッジャルの霊廟があります。

ハビビ・ネッジャル・ジャーミィ近くの通り。伝統的な、オスマン建築が並びます。保存状態が良くないのが、残念。

こちらは、アンタクヤの町でよく見かけたシミット(Simit)屋さん。
トルコで一般的なシミットとはちょっと違って、ゴマがまぶされていませんし、かなり大型。
ギリシャのクルーリというパンに似ています。町には正教会の教会があることだし、ギリシャとの繋がりがどこかであったんでしょうかぁ。面白い!

と、こんな感じの町なのですよ。歴史が渦巻く町って、歩いているだけでワクワクしてきます。
実は、前回訪れたときからは15年ほども経っているんです。あちこちがモダンに変身しているのは最近のトルコでは当たり前のことで、それを除きさえすれば、町の活気ある雰囲気、落ち着いた雰囲気は、当時のまんま。やっぱり来てよかったなぁと思いました!
で、次回アンタクヤ編の最終回は、ちょっと芸術と美味しい物です!お楽しみに~。
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【関連記事】
・歴史の町・アンタクヤ(その1)
・歴史の町・アンタクヤ(その3)
by yokocan21 | 2008-10-30 09:44 | 旅・散歩