ディディムとディディマ遺跡
南エーゲ海の小さな町、ディディム(Didim)には、義母のサマーハウスがあるので、私たちも遊びに行っています。
トルコ人は海が大好き。夏の間、町の中の喧騒を逃れて、海の近くのサマーハウス(別荘)で過ごす、という人が多いです。普段イズミールに住んでいる義母も、夏の間(というよりは1年の約半分)をディディムで過ごしています。
この町の近くの他のビーチは、海水が冷たかったり、海草が浮いていたりと、雰囲気はいいのだけれど海水浴には向かないかなぁ、という所が多いんですけれど、このアルトゥンクム・ビーチは、どこまでも遠浅で海水も温かくって、しかも波が殆どない、といいことづくめ!私たちのような小さな子供のいる家庭には、もってこいの環境なんです。
ビーチに沿って、カフェやレストラン、バー、雑貨屋さんなどがズラーッと並んでいて、特に日が暮れた後には、すっごく賑わいをみせます。私たちも、夕食後、アイスクリームを食べながらブラブラ。
たまに子供を義母に預けて、ダンナとバーで一杯、なんてことも。うふふっ。
ここディディムは、近年イギリス人観光客や長期滞在者が多くて、お店にはポンド表示のメニューが並んでいることが多いんです。イギリス人用に建てられたアパートも多くて、義母の家の道を挟んで隣はイギリス人用のアパートです。
なので、お店のメニューにフィッシュ&チップスがあったり、スーパーには豚肉やハムが売られていたりと、小さな町の割には国際色豊か。
そして、このディディムの町のもうひとつの顔は、遺跡。
町の入り口にそびえるアポロン神殿が目を惹く、『ディディマ(Didyma)遺跡』です。
と、ここでいつものように遺跡の説明。
古代からこの地にはアナトリアの神を祭る神託所があったそうで、ここにイオニア人が入ってくると、その神託所はアポロン信仰のものに取って替えられました。
紀元前8世紀には、アルカイック式のアポロン神殿の建設が開始され、200年後に完成します。
しかし、紀元前494年にイオニアの反乱が起こると、この神殿はペルシャ軍によって破壊されてしまいます。
その後、紀元前334年、アレキサンダー大王によってこの地はペルシャから取り戻され、それに続くセレウコス朝には、新たにアポロン神殿の再建設にも着手されます。現在残っている神殿は、この時代のものです。
(←アポロン神殿の正面)
このアポロン神殿、当時は、24km離れたミレトス(Miletos)というイオニア地域最大の都市と、〝聖なる道〟で繋がっていました。この聖なる道の両側には、アポロンを始めギリシャの神の彫像が並んでいたそうなんですけれど、19世紀の発掘調査の時に、イギリスへと持ち帰られてしまいました。
大理石の石畳が敷かれた聖なる道は、今も一部が残っています。
ローマ時代には、ギリシャのデルフィに次ぐ神託所として大いに栄えますが、キリスト教が布教されるにつれ、だんだんと役目も小さくなり、4世紀、キリスト教が国教とされると、遂には神殿の役目も終わってしまいました。
そして、15世紀に起こった大規模な地震で、この神殿の殆どは崩れ落ちてしまい、現在の姿となりました。
ちなみに、〝ディディマ〟とはギリシャ語で〝双子〟の意味があるそうです。← 双子のアポロンとアルテミスにちなんでという説があり。
こちらは、神殿の袂に残る、円柱の土台。凝ったレリーフが美しい~。
神殿の中心部・聖域へは、左右にある二つのトンネンルをくぐって入っていきます。
神殿は、正面の階段を上ったところ。 (写真は、聖域である中庭)
この聖域より眺めた神殿の円柱。
聖域の中で見つけた、グリフィン。
地震の凄まじさを現す、崩れた円柱。
何の植物なのか、葉っぱなのか.....。
神殿の一部を飾っていたレリーフ。
遺跡の入り口近くに置かれていた、メドゥーサの首。
神託を下す巫女が身を清めたり、また参拝者が身を清めたりした泉です。その泉は、今も形をとどめて残っていました。
当時の面影を偲ぶには、かなりな想像力が必要とされそうなほど朽ち掛けた遺跡なんですけれど、壮大な神殿の円柱などを眺めていると、やっぱりものすごく素晴らしい文化を誇った場所であることには違いないです。
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by yokocan21 | 2008-03-03 20:19 | 旅・散歩