装飾が美しいモスク二つ
ディヤルバクルに数多くある歴史あるモスクの中から、今日は二つを紹介します。どちらも、もちろん旧市街にあります。
まずは、メリク・アフメド・ジャーミィ(Melik Ahmed Camii)。
旧市街の東西に走る大通り沿いにあるんですけれど、モスクの1階に商店が並んでいますので、入り口の門がわかりにくく、ミナレット(尖塔)を探しながら歩かないと、見つけにくいのが難点。
16世紀後半、メリク・アフメド・パシャ(宰相)によって建てられたこのモスクは、一説には、かの大建築家、ミマール・スィナン(Mimar Sinan)が設計したと言われています。どうりで、内装はイスタンブールにあるスィナン設計のモスクたちによく似た雰囲気を感じます。
天井のペイントは、いかにも的なオスマン朝風。
総タイル貼りのミフラープ(mihrap)。(メッカの方向を示す壁がん)。
ミフラープにタイルを使っている例はたくさんありますけれど、ここまで全面的に使用しているものは大変珍しいそうです。
私がとっても気に入っているのが、こちらのミナレットの台座のレリーフとタイル。
タイルは殆どが剥がれ落ちていて、当時の様子は殆どわからないんですけれど、細かい模様と少しだけ残ったトルコブルーがとっても綺麗。
レリーフもものすごく繊細で、まるで透かし彫りのよう。
そしてこのミナレットは、半分の高さまでの2つの階段が、お互いを見ることの出来ないように作られているのだそうです。その半分の高さのところで、2つの階段が合流するようになっているそうです。
うーむ、こういう造りのミナレットって、そうそう、ハサンケイフのチフト・メルディヴェンリ・ミナーレも
お互いが見えないように出来ているんですよね。一体どういう造りなんでしょう、中を見てみたいです。
ところで、このモスクを建てたメリク・アフメド・パシャは、地元ディヤルバクル出身の商人で、知事を務めたこともあり、後には宰相にまでなった偉大な人物です。
このモスクの他にも、通りを挟んだすぐそばにはハマム(トルコの風呂)も建設しています。このハマムは、今は使われていなくて、商店になっています。
また、このモスクのある大通りの名は、メリク・アフメド通り(Melik Ahmed Caddesi)です。
もう一つはこちら、サファ・ジャーミィ(Safa Camii)。 別名、パルル・ジャーミィ(Parlı Camii)。 また、イパリエ・ジャーミィ(İpariye Camii)とも呼ばれています。
↑のメリク・アフメド・ジャーミィの近く、大通りをちょっと入ったごちゃごちゃとした細い小道が入り組んだ所にあります。
このモスクは、15世紀、アクコユンル(白羊朝)時代に建てられたもので、屋根は八角形の大ドームと4つの小ドームからなる、この時代にはちょっと珍しい建築様式です。
見事な装飾が施されたミナレットが、何といっても素晴らしい!
玄武岩を基調とした白黒の縞々模様の剛健なモスクと、白い石で造られたこの優雅なミナレットの対比が素敵です♪
(礼拝中のため、内部の撮影は出来ませんでした)
ミナレットの台座は幾何学模様のタイルで飾られ、本体にはクーフィ体やナスヒー体のカリグラフィーが至るところに散りばめられています。
写真ではよく見えないのがとっても残念。実物は、もう、うっとりする位に素晴らしく美しいのです~。
ちなみにこのミナレットは、その昔は大きなカバーで覆われていて、金曜日にのみカバーがはずされ、一般に公開されていたらしいです。そのためか、乳白色の石が汚れから守られ綺麗に残っているようです。
そしてもうひとつ、ミナレットに関するエピソード。
別名のイパリエ(İpariye)とは、「良い香りのする」という意味があるそうで、このミナレットを建築時、石に香料を混ぜて造ったとか。へぇ~、どんな香りがしていたんでしょうね、思いは15世紀に馳せ~。
で、最後に、サファ(Safa)の名前の由来。
15世紀当時、ここディヤルバクルを統治していたアクコユンル(白羊朝)のスルタン、ウズン・ハサン(Uzun Hasan)が交流のあったサファヴィー教団(←※注)の長に敬意を表し建てたもの、と言われているためらしいです。
ウズン・ハサンの妹が、その教団長の妻となっている関係。
ディヤルバクルには、まだまだ素敵な(というか、濃いもの好き受けしそうな)モスクがたっくさん。
暇をみては、旧市街のモスクを訪ねては喜んでいる私、また別の機会にその他のモスクも紹介してきますね。
※注 ラマザン(Ramazan)・・・・・イスラムの断食月間。今年は9/13よりスタート。約1ヶ月続きます。断食明けには「ラマザン・バイラム」というお祭りがあります(今年は10/12より3日間)。
※注 サファヴィー教団・・・・・13世紀末から14世紀初頭にかけて誕生した、イスラム神秘主義教団。今のイラン西北部・アルダビールを中心に勢力を拡大し、後のサファヴィー朝を建てる。
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by yokocan21 | 2007-09-16 03:47 | ディヤルバクル