マルディン紀行・2
マルディンのイスラム文化を語るのに、まずはずせないのが〝アルトゥク朝〟。11世紀から15世紀にかけてこの地方一体を支配したトルコ系(トゥルクマン)の王朝です。
マルディンの歴史あるモスクやメドレッセ(神学校)は、このアルトゥク朝時代に建設されたものがたくさんあります。
アルトゥク朝とは何ぞや?という方、詳しくは、こちらをご覧下さい。(私もマルディンのことを調べるまでは、そんな王朝、聞いたこともなかったんですよね。)
で、こちらは、アルトゥク朝後期の建築物、『Kasımiye Medresesi(カースゥミイェ・メドレセシ)』。訳して、カースゥミイェ神学校。

実際には、アルトゥク朝時代に建設が始められ、その後この地を支配したアクコユンル朝時代に完成したらしいです。
スルタン・ジハンギル(Sultan Cihangir)の子、カースゥム(Kazım)の名の付いた神学校で、14世紀後半の建物です。
入り口の上にある波うち・縞々状のドームが、何ともマルディンらしいです。この町で見かけたモスクや神学校のドームは(古いものは)皆、このような特徴的な波うち・縞々状でした。

中庭に泉があり、川が流れるようになっており、涼しさを演出しています。
ただ、この中庭に面した壁に、なぁんと血痕の跡が...! 神学校で何故に血...?。後でわかったのですが、無料案内してくれた少年いわく、カースゥム皇子が殺された時の血の跡だとか。
うへっ、何だか生臭い歴史のある神学校なんですね。
(この神学校は20世紀初頭まで、使われていたそうです。)

屋上より、メソポタミア平原を望む。 ↑
この神学校のすぐ近くには、スルタン・ジハンギルの廟がありました。
こちらは、町の中心にある博物館。

メソポタミア文明期の出土品の数々も展示されています。またマルディン地方の民俗博物館も兼ねていて、人々の生活がよくわかるようになっています。
博物館近くの町並み。

家々は岩山に重なるように建てられていますので、道は狭く、急な坂道や階段だらけです。
給水事情も良くないらしく、1回目に訪れた時は、日中断水していました。
古い町並みは、私たち観光客には趣があって魅力的なんですけれど、そこに住む人達にとってはそんなことはないようです。近年は、岩山の麓に新しく作られた新市街の方へ移り住む人も多いのだそうです。
大きな病院や学校も、新市街の方に出来ていますし、スーパーマーケットもありました。現代的な生活を望む人達にとっては、旧市街はあまりにも住み辛いようです。
岩山の頂上には城塞が。今は軍の施設になっているため立入り禁止。
あそこまで登れたら、さぞかし眺めがいいでしょうに。
第2回目はこれで終わり。第3回目に続く。
(えぇーーっ、まだやるのん、なんて言わないでぇ~)
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by yokocan21 | 2007-03-02 22:59 | 旅・散歩













