アヤ・イリーニ博物館(アヤ・イリーニ聖堂)
これまで、アヤ・イリーニ博物館は何度も外から見たことがあるんですけれど、中には入ったことがなかったので、ワクワクして出かけました。
実は、ある展覧会を見に行ったんですけれど、その展覧会の様子は次回ということで(写真、まだ整理ついてないもんで)、今回は、アヤ・イリーニ博物館について、ちょっとお話を。ちなみに、その展覧会も、すーっごく良かったですので、次回、お楽しみに~。

この建物、今は博物館となっているんですけれど、元々はビザンティン帝国時代の聖堂でした。
トルコ語では、『アヤ・イリーニ』、ギリシャ語では『ハギア・エイレーネー』と呼ばれる聖堂は、色んな歴史を経て今に至ります。(イスタンブルにあるビザンティン建築の殆どがそうであるように)
アヤ・イリーニ聖堂のある場所には、元々、ビザンティオン(ビザンティウム)の時代に聖堂が立っていたらしいです。その場所に、4世紀初頭、コンスタンティヌス1世が、アヤ・イリーニ聖堂を建立しました。
アヤ・イリーニ聖堂は、この街で最古の聖堂で、アヤ・ソフィア大聖堂が建てられるまでは、ここに主教座が置かれていたそうです。
このアヤ・イリーニとは、「聖なる平和」という意味で、コンスタンティヌス1世の時代の実在の人物の名前だといわれています。コンスタンティノープルでは、まだキリスト教が浸透していなかった時代、民衆に非難・罵倒されながらも布教に命を注いだ人物なのだそうです。
そんな聖なる人物の名を冠したこの聖堂は、532年にニカの反乱で破壊され、その後、548年にユスティニアヌス1世が再建しました。現在ある建物は、この時代のもの。
8世紀には地震の被害にあい、かなりなダメージを受けるも、コンスタンティヌス5世が修復しました。その時、内部がモザイクやフレスコ画で飾られました。
1453年に、コンスタンティノープルが征服されてオスマン帝国になってからは、武器弾薬庫として利用されたり、また、スルタン・アフメット3世(Sultan III. Ahmet)の時代(18世紀初頭)には軍事博物館として利用されました。そして、スルタン・アブドゥルメジト(Sultan Abdülmecit)の時代(19世紀中頃)には、軍事と考古学博物館として利用されました。
1970年代には、大規模な修復がなされ、現在は、トルコ・文化観光省の管轄となっています。夏の「イスタンブル・国際音楽フェスティヴァル」の会場として利用されたり、展覧会やクラシックのコンサートホールとして利用されたりしています。
なお、普段は閉鎖されていて、催しがあるときのみ開館します。
ざぁっと、こんな歴史があります。
では、内部を見ていきましょう。

まずは、入口の部分。
いかにも、歴史ありそうな雰囲気です。

フラッシュ付けずに撮ると、こんな感じ。
ここは、身廊に続くアーチのある部分。
この右側向こうの部分で、今回の展覧会は行われていました。
展覧会が行われていた部分。ドームのある身廊の外側、中庭をアーケードでぐるりと囲んだ部分です。外部拝廊というんでしょうか?
アーチと、レンガの石積みが綺麗ですよね~。


アーケード部分から、中庭を隔ててドームを眺める。
このような、ドームとバシリカが合わさった形式のものを「円蓋式バシリカ」というんだそうです。
初期ビザンティン時代の代表的な建築様式なのだそうです。

大きな十字架の描かれた身廊部分。
この内部には立ち入り禁止のため、ガラスの外側から撮影したものですので、全体がいまいちわからず。

ですので、こちらを。(wikipediaより拝借しました)

展覧会会場の壁にあったモザイク。
この聖堂の床にあったものでしょう。
保存状態ばっちり。
こちらも、展覧会会場の壁にあったもの。


右:ビザンティン帝国のお妃と皇帝(顔がないですけれど)&子供?
左:どなたでしょう?
お隣にある、ビザンティン建築の最高峰・「アヤ・ソフィア大聖堂」の小型版のような「アヤ・イリーニ聖堂」。
イスタンブル観光の2大ハイライトである、アヤ・ソフィア大聖堂の真横で、トプカプ宮殿の真前、という位置にありながら、そして大勢の観光客が横を通り過ぎていきながら、気に掛ける人は少ないように思います。普段は閉館しているということもあるでしょうけれど。
なんだか、忘れ去られたかのように、ひっそりと佇むその姿は、ビザンティン帝国の栄光とオスマン帝国の栄華を見守ってきた、老貴婦人という風情でもありました。
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by yokocan21 | 2011-01-24 08:27 | 旅・散歩