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犠牲祭@イズミル パート3

昨年の犠牲祭に訪ねたイズミル(İzmir)の続きです。
   (以前の記事は、こちら と こちら です)

なんだか、もうとっくの昔の話のようですけれど、お付き合い下さいませ~。

犠牲祭の連休の間は、ぽかぽか陽気の日が多くって、お散歩やぶらぶら外出にはもってこいでした。そんな晴々したある日、久しぶりに訪ねたのが、この建物。
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これ、エレベーターです。トルコ語でアサンソル(Asansör)

場所は、海岸通りに近いミトハト・パシャ通りと、丘の上のハリル・ルファット地区とを結ぶところ。
イズミルの中心地にほど近い住宅地なんですけれど、その辺りって、急な坂道ばかりで、海岸沿いの通りから上の通りに行くには、さぞ大変。特に、お年寄りや子供、妊婦さん達には生活しにくいもの。
そこで、このイズミルに住むユダヤ系の慈善家、ネシム・レヴィ・バイラクルオール(Nesim Levi Bayraklıoğlu)という方が、この地にエレベーター(アサンソル)を建設しようと思いついたのです。
今からかれこれ100年以上も前、1907年のことです。
なんと、当時としては斬新なことを思いつく方がいらしたのですね。

建設当時は、蒸気機関でモーターを動かしていたようです。


犠牲祭@イズミル パート3_f0058691_22374473.jpgちなみに、この辺の坂道に付けられた、延々と続く階段。

相当に旧勾配なのがわかります。

これ、毎日だと、大変だよなぁ.....。



犠牲祭@イズミル パート3_f0058691_2257343.jpgこちら、アサンソルの近景。

背後の絶壁、見えますかぁ?

イズミルのこの辺りは、海からいきなり山、みたいな地形です。



で、このアサンソルに乗って、すぅ~っと、上まで登ってみますとーーー。
こぉんな絶景がぁ~♪

コナック(Konak)やアルサンジャク(Alsancak)方面を眺める。柵やランプの装飾も素敵! 
ここは展望台にもなっていて、カフェも併設されているので、お天気ばっちりなその日は、大勢の人で賑わっていました。
このカフェ、デートスポットでもあって、いつもカップルでいっぱいです。私たち夫婦も、昔は(!)何度かここにお茶しに来たことがありますよ。
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カフェの内部からの眺め。
この横には、夜だけオープンする、ちょっとオサレなレストランもあって、なかなかいい雰囲気なのです~。
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こちらは、対岸のカルシュヤカ(Karşıyaka)地区を眺める。イズミル湾を、の~んびり船がゆく。
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こういう光景を眺めると、ほぉ、イズミル、いいなぁ~~~って思います。
トルコでも、住んでみたい街の人気上位ランクされいますからねぇ。納得ですよね!



ところで、ここ、アサンソル(エレベーター)本体は言うまでもなく、もう一つ有名なものがあります。

犠牲祭@イズミル パート3_f0058691_22594517.jpgこの方。

ダリオ・モレノ(Dario Moreno)さんです。

地元イズミル出身の、往年のシャンソン歌手です。
50年~60年代にかけて、数々の舞台で歌い、何枚ものレコードを出し、また、ブリジット・バルドーとも共演したり、俳優としても大活躍されていたようです。

一番上の写真、左側にある白壁のおうちに一時住んでいたということで、その小径は「ダリオ・モレノ通り(Dario Moreno Sokağı)」と呼ばれています。



ちょっと参考に、こちら、どうぞ。
イスタンブル・ボスフォラス海峡の素晴らしい景色をバックに、ダリオ・モレノの歌声が冴えわたります。



そうそう、我が美輪明宏さん(当時は丸山明宏でした)のお馴染み・『Me Que Me Que(メケメケ)』は、このダリオ・モレノさんも歌っているようですね。 (メケメケのオリジナルは、ジルベール・ベコー)


※このアサンソル、以前は、乗車料金を払っていたんですけれど、今はタダです。そして、アサンソルの中では、ダリオ・モレノさんの曲かと思われるシャンソンが流れていました。


このアサンソルのある地区には、昔ながらの木造建築も残っていて、散策してみると、なかなか面白いエリアでもあるんです。
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2階の窓部分が外に張り出した形の、オスマン朝時代の建物。
これらは、“ルム・エヴィ(Rum Evi)=ルムの家”と呼ばれています。ルム(Rum)とは、トルコ領在住のギリシャ人、という意味で、当時のギリシャ人達が好んで建てた建築様式なんでしょうね。
(背後の高い建物は後になって建てられた、コンクリート造りのものです)


【追記】 この、2階の窓部分が張り出している様式の木造住宅、コメントでも興味を持って下さる方がいらっしゃいましたので、ちょっと補足をしておきます。

2階の窓が外に張り出した形のものを、ジュンバ(Cumba)というんですけれど、このジュンバの付いたオスマン時代の木造建築は、トルコの古い街では、今もよく残っています。ここイスタンブルでも、旧市街やボスフォラス海峡沿いの古くからの町では、まとまって残っていたり。うちの近所にも、何軒かありますよ。
最近は、そういう伝統的な木造住宅を綺麗に修復し、保存する動きも盛んです。

このような様式の住宅は、一般的には「オスマン時代の家(Osmanlı Evi)」という風に呼ばれています。
ただ、イズミルを含めたエーゲ海地方では、元々ギリシャ人が多かったこともあってか、「ルムの家(Rum Evi)」と呼ばれています。

建築については詳しいわけではないですし、特別に勉強をしたこともないですけれど、私の知っている範囲では、こんな感じです。詳しい方いらっしゃいましたら、ご教授お願いします。

エーゲ海地方の、伝統的な家屋は、こちらでも紹介しています。参考までにどうぞ。



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by yokocan21 | 2011-01-07 23:03 | 旅・散歩  

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