ヒディヴ・カスル
チューリップを見学に行った、〝ヒディヴ・カスル(Hidiv Kasrı)〟、または〝フディヴ・カスル(Hıdiv Kasrı)〟。
アジア側の、第二ボスフォラス大橋を少し北に行った、チュブックル(Çubuklu)という地の小高い丘に建つ瀟洒なオスマン朝時代の邸宅です。

オスマン朝後期の1907年、当時のエジプト知事(総督)でもあった、アッバス・ヒルミ・パシャ(Abbas Hilmi Paşa)が、「夏の家」として建てたもの。設計は、イタリア人のデルフォ・セミナッティ(Delfo Seminati)。
アッバス・ヒルミ・パシャは、「フディヴ(Hıdiv)」(※)という称号をオスマン朝から与えられていたため、この邸宅を、「〝フディヴ(Hıdiv)〟の〝夏の屋敷(Kasrı)〟」と言われています。
20世紀初頭のエジプトは、オスマン朝の支配下にはあったものの、次第にイギリスの影響力が強くなってきた時代。エジプト知事・アッバス・パシャは、オスマン朝の援助を得るため、長期に首都・イスタンブルに滞在することとなり、「夏の家」の邸宅を建設しました。
ちなみに、「冬の家」は、こちらで紹介しています、〝ムスル・アパルトマン(Mısır Apartmanı)〟。

建物は、当時トルコでも流行だったアール・ヌーヴォー様式で、ルネッサンス時代の別荘をイメージしたものだということです。
後ろ部分は、なだらかな曲線になっていて、屋根の下の部分は全てレリーフが施されています。




うっとりするほど美しいフルーツのレリーフとお花の装飾。
装飾は、ゴールド・メッキだそうです。

柔らかいお花の絵と、イスラムちっくなゴールドの装飾が、見事にマッチ。
柱(?)の先には、ゴールドのチューリップが。

エミール・ガレ風のブドウの葉っぱ。


そのレストラン部分のランプ。
この邸宅は広大な林に囲まれています。その林の中には遊歩道が整備されていて、木漏れ日の中、時々木の間からのぞくボスフォラス海峡を眺めながら散歩できます。

ボスフォラス海峡をゆく貨物船。白い塊が2つあるのは、雲。

と、こんなに素敵な建物なんですよ。
庭園のチューりップや春の花たちを愛でながら、美しいアール・ヌーヴォーの邸宅を見学。そして、林の中で美味しい空気をもらいながらの散歩。とまぁ、春のうららの昼下がりは、こうしてまったりと過ぎていったのでした。
ところで、このヒディヴ・カスルのその後の歴史を少し。
オスマン帝国の援助も空しくイギリスとの交渉は上手くいかず、また第一次世界大戦にオスマン帝国が参戦し破れたため、エジプトは独立したものの事実上はイギリスの支配下に置かれることとなり、アッバス・パシャはフディヴの称号を剥奪され、1931年、スイスに亡命しました。
だけれど、アッバス・パシャの家族はその後も、ここヒディヴ・カスルに住み続けました。
1937年、イスタンブル市がこの邸宅を購入。しかし、長い間放置されたままの状態でした。
1984年に、トルコ・ツーリング自動車クラブが修復し、一時期はプチホテルとして使われていました。
1996年には、またイスタンブル市の所有するものとなり、現在に至っています。
20世紀初頭といえば、オスマン帝国もその支配下のエジプトも瀕死の状態。そんな時代にあってなお、この豪華な邸宅を建てたという財力と根性にあっぱれ。
そして、オスマン帝国と自身の国・エジプト、双方が崩れかけてゆく様を、このパシャは、どのような思いでボスフォラス海峡を眺めたのでしょう。
※ フディヴ(Hıdiv)・・・・・オスマン朝の支配下にあった、エジプトの知事(総督)を代々世襲制にするという制度が1867年に出来、その称号がフディヴ。初代フディヴは、アッバス・パシャの祖父にあたる、イスマイル・パシャ(İsmail Paşa)。 フディヴとは、ペルシャ語で「偉大な大臣」という意味。
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by yokocan21 | 2010-04-09 04:32 | 旅・散歩