アルメニア教会

新市街・フェリキョイ(Feriköy)という地区にある、アルメニア正教会(正しくは、アルメニア使徒教会)の教会です。
外観だけではアルメニア教会らしさがわからないですけれど、八角錐の鐘楼が、それらしさを現しているでしょうか。
可愛いピンク色の外壁なんですけれど、これは、初等教育学校(小・中学校一貫 ※)と繋がった建物であるためだと思います。
この教会、何故か初等教育学校の敷地内にあるんです。(その初等教育学校は、公立のアルメニア人の学校です)
このフェリキョイや、隣の地区のクルトゥルシュ(Kurtuluş)辺りは、昔からギリシャ人やアルメニア人の多い場所だったそうです。クルトゥルシュにはギリシャ正教会の教会や墓地がありますし、また、もう少し北に行けば、カトリック教会と墓地、ユダヤ教のシナゴーグやブルガリア教会もあります。
この辺り一帯は、オスマン帝国時代から、イスラム教徒以外の人たちの住むエリアだったのでしょうね。今は、もちろんギリシャ系やアルメニア系の人達も住んでいるようですけれど、トルコ人の方が大多数です。
∮なんだかややこしくて申し訳ないんですけれど、ここで言うギリシャ人だのアルメニア人だのという言い方は、トルコに住むそれらの民族ということで、彼らの国籍はトルコです。ですので、厳密に言えば、ギリシャ系トルコ人、アルメニア系トルコ人、ってことです。

管理人のおじさんが、内部も見学させてくださいました。
いくつもの豪華なシャンデリアにステンドグラス、ゴールドの装飾など。外観の地味な印象からは想像できないほどにゴージャス~。
トルコにあるアルメニア教会は、外観に反して内部がもの凄く煌びやかなんです。
(澁澤幸子先生の最新著書『だから、イスタンブールはおもしろい』によると、「オスマン時代はモスクを凌ぐような立派な外観の教会を建てることは禁じられていたから」、なのだそうです。著書より一部抜粋させて頂きました。)
中では、教会の合唱団の音楽が流れていました。この教会には、付属の合唱団があるのだそうですよ。そして、黒い服(喪服かしら)を着たおばあさんが3人、お祈りをされていました。

正面には、イエスを抱くマリア様のイコン。
この時は、白いカーテンが右に寄せられていたんですけれど、普段は祭壇のカーテンが閉じられているということなんでしょうか。
その日、管理人のおじさんには来客があり、お話を伺うことが出来なかったのが残念です。
また今度おいでね~と言っていただいたんですけれど、うちからじゃぁちょっと遠いですよ。


玄関入ってすぐのポーチにあったマリア様の銅版。(左) と、外壁に刻まれていたアルメニア文字。(右) (右側の写真、クリックすると拡大します。アルメニア文字読める方、お助けを~)
この教会の建立は1932年なのだそうですけれど、一番下に書いてある「1955-1967」は一体何.....。
あぁ、やっぱりもう一度訪ねて、管理人さんにお話聞かなきゃ。
私の知っている他のアルメニア教会と比べると、随分と新しいものですけれど、あの豪華な内装や厳かなイコン、細かな装飾など、アルメニア教会らしさが随所に感じられて、とても楽しかったです。
教会やモスクなど、信仰心はないけれど、見学するのは大好き!
ちょっと余談ですけれど、ここイスタンブルには、様々な宗派の教会がたっくさんあります。
中でも、一番数が多いのがギリシャ正教の教会。もう数えられないくらい。(うちの近くにも、ギリシャ正教教会があります) 次に多いのは、アルメニア使徒教会の教会。ざっと調べただけでも30位はあります。その他、カトリックやプロテスタント、ブルガリア正教、シリア正教の教会もあります。
それらが、昔から街の中に普通に存在するという、何ともコスモポリタンな街なんでしょう、イスタンブルって!
なお、アルメニア教会については、Wikipediaで詳しく書かれています。
また、トルコの東部や南東部地方には、歴史的背景から、アルメニア教会が多く残されています。以前住んでいたディヤルバクルにも、朽ちかけてはいましたけれどアルメニア教会がありましたよ。
※ 初等教育学校・・・・・トルコでは、以前は小学校(5年)・中学校(3年)と別々だったのが、2000年頃に方針が変わり、小・中学校一貫教育(8年)となりました。
ブログ・ランキングに参加しています。ポチッと応援よろしくお願いします♪


by yokocan21 | 2010-03-03 05:51 | 旅・散歩