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イスタンブルのアールヌーヴォー建築・その1

ディヤルバクルの建物を紹介したました次は、イスタンブルの建物。

オスマン帝国も後期になると、ヨーロッパからの影響を少なからず受けてきます。
近代化を計る政策としての面は勿論、、文化面でもとても重要な位置を占めてきます。そんな近代化の波の中、イスタンブルの新市街の丘の上、ぺラ(Pera)やベイオール(Beyoğlu)一帯には、こぞってヨーロッパ建築の建物が建てられます。
時は、19世紀末。ヨーロッパでは、アール・ヌーヴォーが華麗に花咲いた時代。

このぺラ地区やベイオール地区には在外公館が建ち並び、外国人が住むエリアでした。そういう背景もあって、近代的な建築物を立てる土壌は整っていたのでしょう。そして、その建物を建てさせた人達も外国人が殆どです。

それでは、現在も残っている数多くのヨーロッパ建築の建物(主にアール・ヌーヴォー様式)を、少し紹介してみます。場所は、新市街・イスティクラル通り(İstiklal Caddesi)。なお、当時の通りの名前は、ジャッデ・イ・ケビル(Cadde-i Kebir)。
今回は、イスティクラル通りの中ほどより下のエリア(トゥネルに近い方面)のものをいってみます。

イスタンブルのアールヌーヴォー建築・その1_f0058691_1933079.jpg

こちらが、そのイスティクラル通りの様子。石畳の歩行者専用道になっている通りは、真ん中をレトロな赤い車体の路面電車が走る、新市街の目抜き通り。
イスタンブルのアールヌーヴォー建築・その1_f0058691_193598.jpg

ノスタルジック・トラムワイ(Nostaljik tramvay)と呼ばれる路面電車は、木製の車体が可愛い。
(画像は、IETTのサイトより拝借しました)


イスタンブルのアールヌーヴォー建築・その1_f0058691_1943573.jpgまずは、ムスル・アパルトマン(Mısır Apartmanı)。訳して、「エジプト・アパート」。

エジプトの総督・アッバス・ヒルミ・パシャが「冬の家」として1905年に建てた邸宅。
設計は、アルメニア人のホヴセプ・アズナヴールヤン(Hovsep Aznavuryan)。

アール・ヌーヴォー様式の均整のとれた美しい姿は、イスティクラル通りでもひときわ目を惹きます。


イスタンブルのアールヌーヴォー建築・その1_f0058691_195043.jpg建物中央上部の、アーチ。

ターコイズブルーのタイルが綺麗♪

随所に見られる丸みを帯びた植物の彫刻や装飾も綺麗~。

そして、この建物の最上階(テラス)には、今イスタンブルで人気抜群のオサレ系レストラン・カフェ(夜にはクラブになる)、
360 İstanbul〟があります。
ボスフォラス海峡の絶景が眺められるんだとか。


イスタンブルのアールヌーヴォー建築・その1_f0058691_1910728.jpgこちらは、サン・アントイネ・カトリック教会(St. Antoine Katolik Kilisesi )の横にある建物。(名前はわかりません)

中央にマリア様の像が立っています。

イオニア式の柱や、1階玄関横にはコリント様式を取り入れた柱。
玄関の上部には、アーカンサスの葉っぱのレリーフでしょうか。よく見えなくってすみません。


【訂正と追加】
この建物について、仲良くさせて頂いていますmadamkaseさんよりご指摘がありまして、訂正させて頂きます。
この写真の建物は、〝サンタ・マリア教会(Santa Maria Kilisesi)〟の全面にあるものです。サンタマリア・ハン(Santa Maria Hanı)というそうです。場所は、サン・アントイネ教会の横ではなく、通りをもうちょっと下った、オランダ領事館とロシア領事館に挟まれたところです。
すみません、いい加減なこと書いてしまいまして。
そして、ご丁寧に教えて下さったmadamkaseさん、ありがとうございました!

イスタンブルのアールヌーヴォー建築・その1_f0058691_17485050.jpgmadamkaseさんより、送って頂いた写真を載せさせて頂きます。

この建物の門をくぐると、中にはサンタ・マリア教会があります。

この教会は、1584年建立のカトリック教会(フランシスコ会)で、元々は丘の下に建っていたものです。
ところが、1660年の大火でイコン以外は全て崩壊してしまい、1678年に現在の場所に再建されたということです。

ひゃぁー、こんなにも由緒のある教会だったのですね。
これは、また再訪しなきゃ!



イスタンブルのアールヌーヴォー建築・その1_f0058691_1954932.jpg

こちらも、ギリシャっぽい建物。イオニア式の柱が印象的です。
バルコニーの鉄柵の装飾が繊細で美しい。


イスタンブルのアールヌーヴォー建築・その1_f0058691_19154261.jpg上の建物の斜め向かいの小径。

ちょっとオサレなカフェなどが並ぶ、私の好きな小径です。
アスマルメスジト通り(Asmalımescit Sokağı)。

『ジュムバ(Cumba)』という2階の窓部分が外に張り出した、オスマン朝の典型的な建築です。

窓部分は、よーく見ると、綺麗な装飾が施されているんですよね。



イスタンブルのアールヌーヴォー建築・その1_f0058691_19161440.jpgで、最後は、このエリアでは一番の見ごたえある建物。

ボッター邸(Botter Apartmanı)です。

スルタン・アブドゥルハミトの宮廷仕立て師だった、オランダ人のジャン・ボッター(Jean Botter)が、1900年に建てた邸宅。アトリエ兼住宅だったようです。
設計は、イタリア人建築家・ライモンド・ダロンコ(Raimondo D’Aronco)

ちなみに、この建物、現在は使われていません。痛みが相当にひどいですので、修復が待たれます。


イスタンブルのアールヌーヴォー建築・その1_f0058691_1916472.jpgこちらも、随所にアールヌーヴォー様式が見られます。

これは、建物右下にある玄関部分。

美しい曲線で描かれたバラの花や植物のツタでしょうか。うっとり。


イスタンブルのアールヌーヴォー建築・その1_f0058691_19171392.jpg
バラの花部分をUPで。


イスタンブルのアールヌーヴォー建築・その1_f0058691_19173244.jpg
こちらは、5階と6階の間部分にある装飾。
装飾は、左右対称で、写真は右側のもの。

メドゥーサの頭です。
窓と窓の間にも、細かい植物の装飾が。


ところで、このライモンド・ダロンコという建築家は、19世紀末から20世紀初頭のイスタンブルの建築を語るのにははずせない人なんです。
イスタンブル市内のあちこちに見事な建築物を残しています。いつか、紹介出来るといいなぁ。

ということで、オスマン帝国末期に花咲いたアールヌーヴォー様式の建物たち。
イスティクラル通りを中心としたエリアをそぞろ歩きする時は、上の方も眺めて歩くと、色んな発見があってとぉっても楽しいのです♪


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by yokocan21 | 2009-03-09 19:24 | 旅・散歩  

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