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歴史の町・アンタクヤ(その3)

アンタクヤ観光のハイライト的存在は、何といっても『考古学博物館』でしょう。
こじんまりとした館内には、これでもかぁ~っという程のローマ時代のモザイクが展示されていることで有名です。
モザイクだけではありません。近郊の町や墳墓からの、紀元前8000年頃の出土物から、オスマン帝国時代までの遺物をくまなく展示されています。

館内はフラッシュ撮影禁止だったため写りが悪いんですけれど、博物館のコレクションの一部を紹介していきます。これら、私の面白い、とか、ギャーッとか思った物たちです。偏っています(笑)。

まず、メイン展示のモザイクの数々。これらは全て、ローマ帝国時代の2~5世紀にかけて製作されたものです。邸宅の、おもに床に使われていたものなんだそうですよ。

f0058691_7123639.jpgソテリア。

ビザンティン様式のネックレスを付けているらしいのですけれど、この方、どなたなんでしょうか


f0058691_705672.jpgディオニュソス。

なんだか、酔っ払って千鳥足?赤ら顔?

やっぱり小アジアはディオニュソスが多いですねぇ。いいですねぇ。お酒の神様!

f0058691_7134479.jpgディオニュソスとアリアドネ。

ラビリンスのミノタウロス退治のための糸を若者に渡した、あのアリアドネです。
が、どうして、ディオニュソスと一緒にいるのでしょう。妖しい。

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魚(左)と鳥(右)。ローマといえば、海の生物。

f0058691_724532.jpg2匹のヘビ退治をするヘラクレス。

このヘラクレス、ちょっと太っちょじゃないですかぁ。
むっちむち!まぁ、これは赤ちゃんの頃でしょうから、こんなもんなんでしょうけれど。
それにしても、たくまし過ぎる赤ちゃん!

獅子座の獅子を退治したのは、このヘラクレス。私、獅子座なのですぅ。
蟹座のお化け蟹を退治したのも、ヘラクレス。ダンナは蟹座。


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エロスとプシュケ。(中庭に展示されていたもの)
プシュケ、しっかりと背中に蝶々の羽を背負っていますね。エロスとプシュケのお話って、切なくてやるせなくて。このモザイクを見た時は、うわぁ、感動!嬉しかったです!神話好きのひとりごと.....。


ここからは、彫刻・彫像などのコーナー。
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まずは、左:アッシリアの彫刻。 右:碑文。(共に紀元前8世紀)

f0058691_745940.jpgヒッタイト時代の神殿の円柱の台座となっていたライオン像。
(紀元前8世紀)

夫婦のライオンかと思ったのですけれど、違いました。オス2匹。温和なライオン。

f0058691_752711.jpgヒッタイト時代の玉座。
(紀元前8世紀)

とっても独特なレリーフで、繊細なんだけれども力強い。かっこいいなぁ。


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左:ヒッタイトの王子像(中~後期青銅器時代(BC2000~1200))。 右:パルミラの墓より出土した彫刻(3世紀)。

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左:炉の台2つ(銅器時代のもの(BC4300~3200))。 右:ビザンティン時代の燭台。(青銅製)
炉台、顔が彫られているんですよ~。可愛い♪

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こちらは、アンティオキア様式の石棺。3世紀のもの。
4面びっしりと素晴らしい彫刻がなされています。それぞれの面には、神話や逸話のストーリーに因んだ場面が模られているのだそうですけれど、メモが引越しのドタバタでどこかへいってしまい、わからず。
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ライオン狩の様子。
当時のアンティオキアの文化度の高さを物語っていますね。この石棺は、特別なライティングをされたうやうやしい部屋に展示されていたんですけれど、それだけ重要展示物ってことなんでしょうね。彫刻の嵐に、圧倒されました~。

なお、この石棺には、親子と思われる3体の骨が収められていたようです。

※モザイクの博物館としては、以前に紹介しています、ガズィアンテップ博物館のコレクションも目を見張る物があります。私が知る限り、トルコで一番のモザイク・コレクション。
修復のされ方や展示の仕方は、こちらの博物館の方がはるかに上でした。建物が新しいため、照明が凝っていたりという利点もあります。

アンタクヤの博物館は、少々老朽化していて、しかも狭い。倉庫にも大量のモザイクが眠っているらしいですので、それらにも日の目が当たるようにして頂けたらなぁ、と感じました。

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by yokocan21 | 2008-11-01 00:33 | 旅・散歩  

歴史の町・アンタクヤ(その2)

ここアンタクヤは、イスラムの歴史としても相当に古いものがあります。
何せ、トルコ(アナトリア)に一番最初にイスラム教が入ってきた場所です!638年のことです。
(610年にムハンマドがアッラーの啓示を受け、始まったイスラム教が、わずか28年の後には、アンタクヤにまで入ってきたという事実。凄い勢いです!)

そんなこともあって、町の至るところにモスクが見られます。ぱっと見てオスマン朝様式なものや、最近になって建てられた感じの、比較的新しいものが多いんですけれど、中にはびっくりする程の歴史的なものもあって、うろうろ散策が楽しいのです。
しかも、この町の旧市街は、狭い路地が入り組んでいて、建物を見ながらのきょろきょろ歩きも格別です。

では、私の好きそうな古いモスクをちょっと紹介。

まず、アナトリアの比較的大きな町だと、どこにでも見られる、大モスクの総称の〝ウル・ジャーミィ(Ulu Camii)〟です。
モスクの外壁が全部商店になっている、モスクと商業の複合施設。(こういう複合体のモスクって、結構見かけます。)
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16世紀、オスマン朝初期またはマムルーク朝後期の建設で、モスクとして建てられたものの中では、アンタクヤで一番古いモスクと言われています。
モスクの様式はオスマン朝初期のものによく見られるものだそうで、随所にマムルーク朝様式も散りばめられているそうです。ミナレット(尖塔)は、細長い、見るからにオスマン朝のものですね。
地震によって痛みが酷かったため、現在の建物は1987年から2002年にかけて取り壊し・再建されたものです。その際、オリジナルの建材や石材などはそのまま使われた、ということです。

f0058691_9325197.jpgこちらは、モスクの中庭。

ウル(=壮大な)という割には、こじんまりとしたモスクです。

訪れた時はちょうど礼拝の時間で、中は拝見できなかったのですけれど、窓越しに覗いてみた限りは、シンプルな作りでした。


f0058691_934825.jpg大通りに面した側の門。
(このモスクには、裏通りに面して、もう一つ小さな門があります)

両側の円柱やアーチに沿った装飾、ローマっぽいですよね。ブドウのレリーフに見えます。

ディヤルバクルのウル・ジャーミィにも、ローマ風のレリーフが随所に見られるんですけれど、町の歴史を思って見ると、とっても興味深いです。



f0058691_93564.jpgこちらは、ウル・ジャーミィの裏側の路地ををブラブラ歩いている時に見つけたモスク。

〝イフサニイェ・ジャーミィ(İhsaniye Camii)〟

1221年の建立。地震で崩壊したため、1915年に再建されました。

アンタクヤのモスクのミナレットは、トルコでよく見かけるミナレットに比べると、かなり短いように思いました。しかも、どっしりとしている。(もちろん例外もありますけれどね)

写真を撮るのを忘れた、とあるモスクのミナレットも、どっしりと太くて短かったです。民家の屋根の横に、てっぺんだけがちょこっと見えている、という風な感じ。
町によって、また建てられた時代によって、ミナレットの形も色々。面白いです。



最後に紹介しますのは、またまたとっても興味深い歴史を持つモスクです。

〝ハビビ・ネッジャル・ジャーミィ(Habib-i Neccar Camii)〟
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モスクと神学校が一体となった施設です。
元々ローマ時代の神殿のあった場所に、この町に侵攻してきたイスラム軍がモスクを建てたのが始まり。
イスラム軍の侵攻が638年ですので、建築はおそらく640年頃でしょうか。
その後969年にビザンティン帝国の支配が始まると、このモスクは教会に替えられてしまいます。
教会として使われたのは、支配者がイスラム教徒のセルジューク朝にとって替わる1084年まで。
しばらくの間モスクとして使われますが、1096年に十字軍が侵攻してくると、また教会へと替えられてしまいます。
そして、1268年にマムルーク朝が侵攻してくると、またモスクへと替えられたのでした。

なぁんと、アンタクヤの激動の歴史、そのままの運命を受け入れてきたモスクですね~。
なお、17世紀のオスマン朝支配下には大規模な修復が行われ、現在の姿をとどめています。

ところで、このミナレット(尖塔)、どこかで見たことのあるのものだぁ、と思ったら、ガズィアンテップのモスクのものにそっくり!地理的に近いですからね、なるほどねぇ。

↓、お祈りの前に体を清めるための泉(シャドゥルワン)と、モスクの入り口。なお、この泉は19世紀のものです。
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ところで、ハビビ・ネッジャルは、紀元40年頃、アンティオキアにいた実在の人物で、この町で、イエス・キリストの教えを最初に信仰した人です。
当時のアンティオキアの人々は偶像信仰だったため、ハビビ・ネッジャルは次第に疎外されてゆき、改宗を求められるも、拒否し、仕舞いには殺されてしまいました。
熱心な信仰心のために殉教したハビビ・ネッジャルは、このモスクの隅に葬られています。
そして、このモスクの向こう側に見える山の名前も、〝ハビビ・ネッジャル山〟と名付けられています。この山の麓にも、ハビビ・ネッジャルの廟があるそうです。

アンタクヤの人々に尊敬され続けてきたハビビ・ネッジャルという人の、人柄がうかがえるお話ですね。

こちらは、モスクの裏手。門の横にある2階が突き出た部分、あの場所にハビビ・ネッジャルの霊廟があります。
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ハビビ・ネッジャル・ジャーミィ近くの通り。伝統的な、オスマン建築が並びます。保存状態が良くないのが、残念。
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こちらは、アンタクヤの町でよく見かけたシミット(Simit)屋さん。
トルコで一般的なシミットとはちょっと違って、ゴマがまぶされていませんし、かなり大型。
ギリシャのクルーリというパンに似ています。町には正教会の教会があることだし、ギリシャとの繋がりがどこかであったんでしょうかぁ。面白い!
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と、こんな感じの町なのですよ。歴史が渦巻く町って、歩いているだけでワクワクしてきます。
実は、前回訪れたときからは15年ほども経っているんです。あちこちがモダンに変身しているのは最近のトルコでは当たり前のことで、それを除きさえすれば、町の活気ある雰囲気、落ち着いた雰囲気は、当時のまんま。やっぱり来てよかったなぁと思いました!

で、次回アンタクヤ編の最終回は、ちょっと芸術と美味しい物です!お楽しみに~。

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by yokocan21 | 2008-10-30 09:44 | 旅・散歩  

歴史の町・アンタクヤ(その1)

イスケンデルン(İskenderun)より南へ約40km。途中、雲のかかった山越えルートを通って、車で30分ほど。
シリア国境まで40kmという、まさに文化融合の地・アンタクヤ(Antakya)へやって来ました。
ここは、随分と昔に訪れたことがあるのですけれど、もう記憶がかすれがちになっていて、細かなところまでは思い出せずにいました。ダンナは、もちろん訪ねたことなんてなかったですので、行ってみなきゃ、ってことでの再訪です。

トルコの地図を見ると、地中海の北東の部分に盲腸のように突き出た部分があるんですけれど、その突き出たところがハタイ(Hatay)県。アンタクヤはハタイ県の県庁所在地です。
ハタイ県の中でも、シリアにかなり近い場所に位置しているということ、また歴史的にもシリアとの関係が深いということで、町の人たちの風貌もどことなくトルコっぽくなくてシリア(アラブ)っぽい。文化面はもちろん、お料理もトルコとアラブの融合~。
これだけでも、何やら面白そうな町、ってことがわかりますよね。

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この写真は、町の中心地、ツーリスト・インフォメーションのあるロータリー。

では、複雑な歴史を辿ってきたアンタクヤの町の概要でも。あまりにも複雑な歴史ですので、ササーッといきます。(って、書くのが大変なだけ(爆!))

アレキサンダー大王の死後、家臣の将軍たちによる覇権争いが激しくなる中で、イプソスの戦いに勝利したセレウコスⅠ世が、紀元前300年にシリア地方のオロンテス川(※注1)沿いに建設した都市が、このアンタクヤです。
父アンティオコスの名に因んで、〝アンティオキア(Antioch)〟と名付けられました。
アンティオキアはセレウコス朝の首都として、ヘレニズム期の代表的な都市として、発展していきます。
紀元前64年には、ローマ帝国に攻め落とされますが、繁栄は続きました。
また、1世紀初頭に表れたキリスト教の布教地として、エルサレムの次にこの地が拠点として選ばれました。聖パウロの布教地として知られています。
キリスト教がローマ帝国に認められてからは、アンティオキア教会(※注2)が、五大総主教座(※注3)の一つとして栄えました。
1世紀当時、ローマ帝国内では、ローマ、アレクサンドリアに次ぐ第3の都市だったのだそうです。

6世紀初頭に大地震にみまわれ、町は壊滅的なダメージを受けます。町は再建されますが、ササン朝ペルシャに攻撃され、また638年には、当時治めていたビザンティン帝国がイスラム軍に破れ、町は徐々に衰退の一途をたどります。
969年にビザンティン帝国に一時支配されますが、1084年にはセルジューク朝の支配下となります。
その後、1096年には第一次十字軍に征服され、〝アンティオキア公国〟が建ちます。
1268年にはマムルーク朝に支配され、1516年にはオスマン朝の支配下となります。

そして、第一次世界大戦後の1918年、この地はフランスの統治下となり1938年までの間は、フランス領シリアの一部として統治されていました。
そして、1939年6月29日、トルコ共和国へと編入されました、というくだりは、イスケンデルンの歴史と同じです。

なお、現在の町は、7番目の層の上に成り立っているものだそうで、町があまりにも古過ぎて、掘り起こそうものなら、もの凄い物が出てきそうですね。

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それでは、アンタクヤの町を見て周ります。見どころが多いですので、今回は、聖堂(教会)を中心に。

旧市街の一角にる、正教会の聖堂(Ortodoks Kilisesi)。またの名を、『ペテロ&パウロ聖堂(Aziz Piyer Ve Aziz Paul kilisesi)』。アンティオキア教会の聖堂です。
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1860年代の建立と、この町の歴史の中では新しい建物。1872年の地震で大きな被害を被り、修復作業は1900年になってようやく終了したそうです。

私が訪ねた日は、年に1回行われる重要なミサのある前日とあって、教会の中庭には綺麗に飾られたイスがたくさん並べられていました。その日の夜に、コンサートが開かれるとのことでした。
案内下さった教会の方から、そのコンサートに招待頂いたんですけれど、子供もいることだし、夜遅くなってしまうし、でお断りしました。あぁ、どんなコンサートだったのでしょう.....。ちょっと残念。

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普段は鍵がかかっていて、お祈りの時間以外は入れてもらえないのだそうですけれど、特別に中を見せて下さいました。
厳かな空間です。いかにも正教会らしい内装。右の写真、聖人の肖像画が並んでいます。十字架がとっても豪華で、繊細な飾りに目が釘付け!

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こちらは、↑の教会近くの小径。

昔ながらの古い家屋がたくさん残っています。中には、今にも崩れそうなもののありましたけれど、丁寧に使っている感じがしました。2階部分が1階部分よりも張り出している独特の建築様式は、オスマン朝時代の建物によく見られるものです。
ここアンタクヤも、夏は相当に暑い町ですので、窓には鎧戸が付けられていたり。

次に紹介しますのは、ものすごーく古い聖堂。
アンタクヤの町の郊外の岩山の中にある洞窟聖堂です。

f0058691_6173670.jpgまず、こちらの岩山。この岩山の中にその教会はあります。

聖ペテロ聖堂(St. Piyer Kilisesi)です。

ここは、アンタクヤに初めてキリスト教が伝えられた時期に建てられたもので、聖ペテロが初めて説教をし、キリスト教コミュニティーを作った聖堂です。(おそらく、1世紀初頭)
使徒行伝によれば、〝クリスチャン〟(=ハリスティアニン「キリスト愛好者」という意味)の言葉が最初に用いられたのが、この聖堂のある場所なんだだそうです。

十字軍の時代には拡張工事がなされ、そして1863年にはローマ法王・ピウスⅣ世によって修復工事がなされ、この工事にはナポレオンⅢ世も協力をした、ということです。

ただ現在、この聖堂は大規模な修復中で、立入り禁止なのです。(あぁ、残念!)
上から岩が落下してきたりと、かなり危険な状態なのだそうです。(今年中には修復は終わるそうですけれど)
中には、ローマ帝国、ビザンティン帝国時代のモザイク画が残されているそうです。
写真、右側の壁の向こう側に聖堂はあります。

聖堂そのものを見ることが出来なかったので、正教会聖堂で頂いた絵葉書を載せておきます。
こんな感じなのです。ちなみに、幅:9.5m、奥行き:13m、高さ:7mの小さな教会。
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また、この聖堂では、ペテロの聖名祝日に合わせて、毎年6月29日には、世界中から信徒が集まりミサが行われているんですけれど、今年は修復工事中のため、正教会聖堂(聖ペテロ・聖パウロ聖堂)で行われました。 ↑で書きました重要なミサ、とはこのことだったのです。
そして、1983年にはローマ法王・ヨハネ・パウロⅡ世によって聖地に指定され、6月のミサにはバチカンからも聖職者が出席しているということです。

おそらくキリストの死後まもなく建てられたのでしょう、この聖堂。現在までの間の長~い歴史を色々と見てきたんでしょうね。この辺りは特に支配者がころころと変わった場所ですし、聖堂の存在そのものも危うい時期もあったでしょう。それでも、連綿と活動を続けてこられたという事実。
凄いです!ちょっと感動~。


こちらは、この聖堂の前から見たアンタクヤ郊外。
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聖堂の側に咲いていた花。アザミでしょうか。
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※注1. オロンテス川・・・トルコ語では、「アスィ川(Asi Nehri)」。レバノンのベッカー高原に発する川。シリアを南から北へと流れ、途中には世界最古のダムと言われている「ホムス湖」がある。アンタクヤを通った後は地中海へと注ぐ。

※注2. アンティオキア教会・・・古代の五つの総主教座の一つ。現在は東方正教会(アンティオキア総主教庁)およびシリア正教会が総主教座を置いている。なお、現在の所在地は、シリアのダマスカス。
古代キリスト教教会のなかでも、最も古いものの一つ。初代総主教は使徒ペテロ。

※注3. 五大総主教座・・・ローマ、コンスタンティノポリス、アレクサンドリア、エルサレム、そしてアンティオキア


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by yokocan21 | 2008-10-28 06:26 | 旅・散歩  

地中海の街・イスケンデルン

先日の記事で、ディヤルバクルからイスタンブルに引っ越して来るときに、約1400kmを走破してきました~と、書いたのですけれど、今日はそのお話の続き。

ディヤルバクルをお昼前に出発して、その日の夕方にたどり着いた町は、地中海沿岸のイスケンデルン(İskenderun)
途中のウルファからは高速道路が付いていますので、結構楽な旅でした。

ここは、地中海の北東のどん突きに当たる場所。
海岸通りは、パームツリーの並木道。芝生の公園が広がっていて、さすが地中海の町だわぁ~という開放感に溢れています。こんな感じです。
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でも、しっかし湿気が凄かったです!もう、町を歩いているだけで汗がだぁ~っ。カラカラ乾燥のディヤルバクルからやって来た身には、こたえましたよ。
町の電光掲示板をふと見ると、なんと!「湿度85%!!!」。 これって、日本の夏より凄いじゃぁないですか!町の人いわく、イスケンデルンはトルコでも一番湿度の高い町なのだとか。納得。

こちらは、海岸通りにあるメモリアル・パーク。1938年7月5日に、この町がフランス領シリアから奪回された記念碑が建っています。
この辺り、夕方から深夜にかけて若者達や家族連れがわんさとやってきては、散歩したりお茶を飲んだりと、市民の憩いの場になっているようです。
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さて、ここでいつものように町の概要をザザーッと。

イスケンデルン(İskenderun)。この地は、かのアレキサンダー大王にちなんで名付けられた数ある都市のうちの一つなんです。
アレキサンダーをトルコ語読みすると、〝イスケンデル(İskender)〟となり、まさに、その通り。
紀元前333年、イッソスの戦いでペルシャ軍に勝利したアレキサンダー大王は、北シリアに位置するこの地の重要性に注目し、都市の建設を命礼したと言われています。
当時の名前は、〝アレキサンドレッタ(Alexandretta)〝。

この辺りには、紀元前2000年頃から町の形成がなされていたそうです。
また、紀元前1200年以前は、フェニキア人の植民都市として、「Myriaydus」と呼ばれていました。その後、ハッティ人やフルリ人に支配され、紀元前6世紀以降はペルシャ帝国の支配下となります。

アレキサンダー大王の統治の後は、セレウコス朝、ローマ帝国、そしてビザンティン帝国の支配と、この辺り一帯にみられる一様の歴史を歩みます。
7世紀中頃にはアラブ人に支配され(イスラム化が進む)、セルジューク朝支配の後、1097年には第一次十字軍の支配下となります。1516年にはマムルーク朝の支配下となり、1517年にはオスマン朝の支配下に入ります。

そして、第一次世界大戦時の1918年、この地はフランスの統治下となります。1938年までの間、このイスケンデルンを含むハタイ(Hatay)県は、フランス領シリアの一部として統治されたという歴史があります。
1938年9月7日より、1939年6月29日までの間は、「ハタイ共和国」という国が作られていましたが、1939年6月29日、正式にトルコ共和国へと編入されました。

トルコには、色々と激動の歴史を駆け抜けてきた町が多いのですけれど、ここイスケンデルンも例に漏れず。ほんの最近まで激動の歴史の真っ只中にいたのですよね。

【追記】
ところで、現在のイスケンデルンは、町の北側に大規模な重工業地帯をかかえる、産業・工業都市となっています。高台を走る高速道路からは、煙突からモクモク煙が立ち上がっている様子がよく見えました。
そういうこともあって、近年は海や空の汚染が酷いらしく、公害も問題となっているようです。発展し続けるトルコの、もうひとつの姿がここにもありました。
また、町の中心部には、これといった見どころ(歴史的なモスクや建築物etc.)もなくて、ちょっと寂しいです。

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それでは、ここから本題です!って、またまた食べ物のことなんですけれどぉ.....。

この町には、ダンナの仕事上の知り合いの方がいらして、美味しいお店に案内してくださいました。
その時は、奥様とお子さんは奥様の実家へ里帰りされていて、お会い出来なかったのが残念でした。

イスケンデルンの町より、海沿いに南へ車を走らせると、瀟洒な家々が建ち並ぶ別荘地へと入っていきます。その先は、リゾート地としても有名なアルスス(Arsuz)という小さな町。
そのアルススの手前、別荘が並ぶ一角にあるシーフードレストランです。やっぱり海辺に来たからには、シーフード
この日は、ちょうどダンナの誕生日でもあったので、お祝いも兼ねて。

まずは、前菜(メゼ=Meze)から。
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イスケンデルンは、一時期シリア領だったこともあって、シリアやレバノン風の前菜が多く見られるんです。
・写真一番奥は、レバノンのメゼの代表的なもの、〝タブーレ(tabbouleh)〟
たっぷりパセリの香りが嬉しい、ブルグル(挽き割り小麦)とトマトのサラダです。レモンやスマック(※)がたっぷりと使われていて、オリーブ油もたっぷりな割にはあっさりと食べられて、とっても美味しかった~!
・その左下は、私の大好物、フムス(Humus)。パンがすすむ~。さすが本場のフムスは香ばしくって美味しかったぁ!
・その下の白い物は、羊の白チーズ。クルミと一緒に。トルコ人的には、「ラク(rakı)には白チーズ」なのです。
・右真ん中の赤い物は、ムハムマラ(Muhammara)。これも私の大好物~。ナル・エクシシ(nar ekşisi)というザクロシロップがかかっていて、ピリリッと辛くって、これもまたパンがすすむのですぅ。危険。
・右手前は、グリルした赤ピーマンのヨーグルト和え。

※スマック(sumak)・・・中東地域でよく使われる、赤紫蘇のような濃い紫色と香りをした酸っぱいスパイスです。こちらに写真があります。

メインは、ラゴス(Lagos)という地中海でよく捕れる魚。日本では、たぶん「クエ」です。
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この町では、「カヤ・バルーウ(Kaya balığı)=岩の魚」と呼ばれたりしていました。うん、なるほど、見かけは岩っぽい。
小ぶりなものを素揚げにしてもらいました。緑色のはライム?と思ったのですけれど、レモン。
このもっちりとした食感と、淡白な味でとぉっても美味しい魚ですよね~。揚げたのも美味しかったです!
クエって、日本でも高級魚ですよね。ここトルコでもお高いお魚で、地中海地方以外ではなかなかお目にかかることがないんですよ。でも、ここ地元では、比較的割安に食べられまして、うふふっっラッキーでしたぁ。

波のせせらぎを聞きながら、美味しいメゼの数々とラゴスのご馳走~。パンもいっぱい食べておなかいっぱい。そして、私は白ワイン(ハーフボトルです、ちなみに)でホロ酔い~。
ダンナのお誕生日も、こうして楽しく夜が更けていったのでした!

で、フィニッシュ。 な筈がぁーーー。 ↓↓↓ 


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by yokocan21 | 2008-10-15 07:43 | 旅・散歩  

アダナ旅行・その3

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アダナ旅行は、買って・食べて、だけではなくて、ちゃんと観光もして来ました。
特に歴史的建物や遺跡などは、市内にはないのですが、これだけは、というのがウル・ジャーミィ(Ulu Camii=大モスク)です。


1541年建立のこのモスク、パームツリー並木の公園が横にあるせいか、なんだかとっても南国チックです。ミナレットの装飾もとっても繊細・綺麗で、トルコでは珍しいタイプです。
私が今までトルコで見てきた「ウル・ジャーミ」は、その名の通り壮大でどっしりと構えたものばかりだったのですが、アダナのは、他のウル・ジャーミに比べて小ぶりで可愛い感じがしました。
古い町並みの中にひっそりと佇んでいる、可憐なモスクでした。

私は以前から、訪れた町では必ずモスクをたずねます。
新しいものには全く興味はなく、何百年もの間人々に親しまれてきた歴史あるモスクが大好きです。
私はイスラム教徒ではないので、モスクはあくまでも芸術品としての見方しか出来ないのですが、モスクの中に佇んだ時、さも自分と宇宙空間とが繋がっているかのような不思議な感覚に襲われることがあります。イスラムって、宇宙的なんだなぁと勝手に思っております。

モスクに入ろうと思うと、女性は肌の露出は控えなければいけないし、髪の毛も隠さなくてはいけませんね。そういう時に重宝なのが、大ぶりのスカーフ。冬場だとマフラーも代用できます。
イスタンブールの観光地のモスクでは、観光客用にスカーフを貸してくれますが、地方の町ではそういう訳にはいかないです。
ちなみにうちのダンナはモスクには全く興味なし。中にも入ってきません。こういうトルコ人もいるのです。
だからいつも私一人で見学です。最近は息子(幼稚園児)が一緒について来ることが多いのですが、いかんせん仏像やキリスト像のような対象物がないのが、よくわからないらしく(当たり前)、それをどう説明すればいいのか、困ってしまいます...。

今回でアダナ旅行記は一応終わりにします。
詳しく書けなかった部分は、改めてHPの方で書いてみようかと思っております。

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アダナ旅行・その2
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by yokocan21 | 2006-01-30 21:17 | 旅・散歩  

アダナ旅行・その2

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私達のアダナ滞在中は、ほーんとにお天気が良くて、まさに観光日和でした。

ですが、バイラム1日目は町はガラーン。殆どのお店は閉まっています。皆、クルバン切ったり親戚のお家訪問に忙しいのでしょう。
2日目になって、少しづつ開けるお店も出てきましたが、中心部は相変わらずガラーン。
このあたり、イスタンブールなどとは少し様子が違いますね。地方都市って、こんなもんなんでしょうか。
3日目になると、かなりのお店が開くようになり、やっと買い物が出来るようになりました。

いえいえ、1.2日目はお店が閉まってるからといって何も出来なかったわけじゃぁないんです。
しっかり行く所はあるんです。そう、ショッピングセンター!

ひとつはCarrefour(カルフール)。さすがサバンジュ(※注)ゆかりの地、しっかりありました。
ここではディヤルバクルでは買えない物たちをゲットしてきました。韓国のカップ麺やタイの乾麺などありましたが、キッコーマンの醤油が置いてなくて残念。
今となっては憧れの白菜やもやしもチェックしましたが、案の定なし...。
そして、無謀にもブタも探してみましたが、あるわけないですね。

※最近、トルコの大都市やリゾート地の大型スーパーでは、ブタ肉が手にはいるんです。それだけ、外国人が多いということなんでしょうね。

そしてもうひとつがM1。こちらはかなり大きなショッピングセンターです。
大型スーパー、ホームセンター、シネモール、そして専門店もずらーっと。もう、見て回るだけで疲れましたね。
専門店の方は、イスタンブールなどのショッピングセンターにあるトルコブランドのお店が、殆ど揃っていました。
こちらのスーパーREALには、なぁんと白菜が売ってたのです!が、あまりにもしなびすぎていて、買えなかったです。

今回の旅の目標のひとつは買い物だったので、十分に満喫できました!
いやぁ、かなり低い次元での満足度ですけれど...。
ええ、もちろん洋服もバーゲンでゲットです。

ところで、アダナに来たもうひとつの目標は、「中華料理」なんです。ディヤルバクルから一番近い中華料理屋さんが、ここのお店。
シェフが中国人ということで、ちゃんと美味しかったです。
うちは、子供もダンナも中華大好き。デザートまで平らげ、大満足な夜となりました!

♪写真は、アダナの町の北にあるセイハンダム湖。

(※注)サバンジュ→トルコの大財閥。アダナはサバンジュ創始者の起業地。

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アダナ旅行・その3
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by yokocan21 | 2006-01-20 21:08 | 旅・散歩  

アダナ旅行・その1

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私の住むディヤルバクルからアダナへの道。
地図で見ると比較的近いように見えるんですが、いえいえトルコは広い、車で6時間程かかりました。直線距離にして、530km。

一応、地中海の近くだけれど、イメージとしては「濃い」アダナ。
ところが、町は思っていたよりもずーっと都会的でした。街路樹がパームツリーやオレンジの木なんてのが南国ムードを醸し出していました。パームツリーの並木道は、イズミールやメルシンの海岸通りに似た感じでした。
オレンジの実も勿論なってましたが、手の届く範囲は全てもぎ取られてましたね。
でも、街路樹のオレンジなんて果たして美味しいのだろうか。

大通りは広々、町も整備されていて、ディヤルバクルからやって来た私達は「都会だぁ!」と叫んでしまったほど。
そして何よりも嬉しかったのが、緑が多いこと。町の東側をセイハン川が流れているし、やっぱり地中海が近い。
緑と水(湿気)は人間をホッとさせてくれます。

私達が滞在した間は、天気も良くとても暖かくて、まさに旅日和でした。バイラム期間中のトルコは、雨模様・雪模様のところが多かったようですが、私達はラッキーでした。

そこでいきなりですが、今日の写真ネタ。アダナ名物「アダナケバブ」。
さすが本場のは美味しかったです。とってもジューシーで柔らかくって。これ食べてしまうと、もう他の所でアダナケバブ頼めなくなってしまうかも。
このケバブは、薄いナンのようなラワシュと一緒にサービスされてきます。これと一緒に食べると尚、美味しい。

写真、ケバブの右上のお皿は、ざくろシロップのかかったサラダ。南東部地方では、このざくろシロップをよく使いますね。我が家では、もうこれがないと生きていけない位ですよ。色が黒いんで、見た目バルサミコかって感じです。甘酸っぱい濃厚な味。
その左側のお皿は、ケスメヨーグルト。ヨーグルトの水分を布で漉してあるので、クリ-ミーな味わい。
奥に見えるのは、普通のサラダです。

どれもこれも美味しすぎて、ついつい食べ過ぎてしまいました!アダナは危険だぁ。
素材の味がしっかりしているので、十分に美味しいんですね。

ここでちょっとアダナケバブの説明を。
ひき肉(牛とラム)に微塵切りの玉ねぎ・唐辛子・パセリ・油・スパイスを混ぜ合わせて、平たく長い金串の周りに貼り付けて、炭火でじっくりと焼いていく。
スパイスは、レッドペッパーやクミンなど。
相当に辛いです。

次回につづく。

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by yokocan21 | 2006-01-19 21:04 | 旅・散歩