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アヤ・イリーニ博物館(アヤ・イリーニ聖堂)

先週、お友達の madamkaseさんと、旧市街、トプカプ宮殿(Topkapı Sarayı)の前庭にある、アヤ・イリーニ博物館(Aya İrini Müzesi)へ行ってきました。
これまで、アヤ・イリーニ博物館は何度も外から見たことがあるんですけれど、中には入ったことがなかったので、ワクワクして出かけました。
実は、ある展覧会を見に行ったんですけれど、その展覧会の様子は次回ということで(写真、まだ整理ついてないもんで)、今回は、アヤ・イリーニ博物館について、ちょっとお話を。ちなみに、その展覧会も、すーっごく良かったですので、次回、お楽しみに~。

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この建物、今は博物館となっているんですけれど、元々はビザンティン帝国時代の聖堂でした。
トルコ語では、『アヤ・イリーニ』、ギリシャ語では『ハギア・エイレーネー』と呼ばれる聖堂は、色んな歴史を経て今に至ります。(イスタンブルにあるビザンティン建築の殆どがそうであるように)


アヤ・イリーニ聖堂のある場所には、元々、ビザンティオン(ビザンティウム)の時代に聖堂が立っていたらしいです。その場所に、4世紀初頭、コンスタンティヌス1世が、アヤ・イリーニ聖堂を建立しました。
アヤ・イリーニ聖堂は、この街で最古の聖堂で、アヤ・ソフィア大聖堂が建てられるまでは、ここに主教座が置かれていたそうです。

このアヤ・イリーニとは、「聖なる平和」という意味で、コンスタンティヌス1世の時代の実在の人物の名前だといわれています。コンスタンティノープルでは、まだキリスト教が浸透していなかった時代、民衆に非難・罵倒されながらも布教に命を注いだ人物なのだそうです。

そんな聖なる人物の名を冠したこの聖堂は、532年にニカの反乱で破壊され、その後、548年にユスティニアヌス1世が再建しました。現在ある建物は、この時代のもの。
8世紀には地震の被害にあい、かなりなダメージを受けるも、コンスタンティヌス5世が修復しました。その時、内部がモザイクやフレスコ画で飾られました。

1453年に、コンスタンティノープルが征服されてオスマン帝国になってからは、武器弾薬庫として利用されたり、また、スルタン・アフメット3世(Sultan III. Ahmet)の時代(18世紀初頭)には軍事博物館として利用されました。そして、スルタン・アブドゥルメジト(Sultan Abdülmecit)の時代(19世紀中頃)には、軍事と考古学博物館として利用されました。

1970年代には、大規模な修復がなされ、現在は、トルコ・文化観光省の管轄となっています。夏の「イスタンブル・国際音楽フェスティヴァル」の会場として利用されたり、展覧会やクラシックのコンサートホールとして利用されたりしています。

なお、普段は閉鎖されていて、催しがあるときのみ開館します。



ざぁっと、こんな歴史があります。
では、内部を見ていきましょう。

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まずは、入口の部分。

いかにも、歴史ありそうな雰囲気です。




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フラッシュ付けずに撮ると、こんな感じ。

ここは、身廊に続くアーチのある部分。

この右側向こうの部分で、今回の展覧会は行われていました。



展覧会が行われていた部分。ドームのある身廊の外側、中庭をアーケードでぐるりと囲んだ部分です。外部拝廊というんでしょうか?
アーチと、レンガの石積みが綺麗ですよね~。
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アーケード部分から、中庭を隔ててドームを眺める。

このような、ドームとバシリカが合わさった形式のものを「円蓋式バシリカ」というんだそうです。

初期ビザンティン時代の代表的な建築様式なのだそうです。



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大きな十字架の描かれた身廊部分。

この内部には立ち入り禁止のため、ガラスの外側から撮影したものですので、全体がいまいちわからず。


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ですので、こちらを。(wikipediaより拝借しました)


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展覧会会場の壁にあったモザイク。

この聖堂の床にあったものでしょう。

保存状態ばっちり。




こちらも、展覧会会場の壁にあったもの。
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右:ビザンティン帝国のお妃と皇帝(顔がないですけれど)&子供?
左:どなたでしょう?



お隣にある、ビザンティン建築の最高峰・「アヤ・ソフィア大聖堂」の小型版のような「アヤ・イリーニ聖堂」。
イスタンブル観光の2大ハイライトである、アヤ・ソフィア大聖堂の真横で、トプカプ宮殿の真前、という位置にありながら、そして大勢の観光客が横を通り過ぎていきながら、気に掛ける人は少ないように思います。普段は閉館しているということもあるでしょうけれど。
なんだか、忘れ去られたかのように、ひっそりと佇むその姿は、ビザンティン帝国の栄光とオスマン帝国の栄華を見守ってきた、老貴婦人という風情でもありました。



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by yokocan21 | 2011-01-24 08:27 | 旅・散歩  

アルメニア教会

前々回の記事のレストランを探して歩いている時に、偶然見つけたアルメニア教会

f0058691_5261664.jpgSurp Vartanas Ermeni kilisesi(聖ヴァルタナス・アルメニア教会)というそうです。

新市街・フェリキョイ(Feriköy)という地区にある、アルメニア正教会(正しくは、アルメニア使徒教会)の教会です。
外観だけではアルメニア教会らしさがわからないですけれど、八角錐の鐘楼が、それらしさを現しているでしょうか。

可愛いピンク色の外壁なんですけれど、これは、初等教育学校(小・中学校一貫 ※)と繋がった建物であるためだと思います。
この教会、何故か初等教育学校の敷地内にあるんです。(その初等教育学校は、公立のアルメニア人の学校です)



このフェリキョイや、隣の地区のクルトゥルシュ(Kurtuluş)辺りは、昔からギリシャ人やアルメニア人の多い場所だったそうです。クルトゥルシュにはギリシャ正教会の教会や墓地がありますし、また、もう少し北に行けば、カトリック教会と墓地、ユダヤ教のシナゴーグやブルガリア教会もあります。
この辺り一帯は、オスマン帝国時代から、イスラム教徒以外の人たちの住むエリアだったのでしょうね。今は、もちろんギリシャ系やアルメニア系の人達も住んでいるようですけれど、トルコ人の方が大多数です。
 ∮なんだかややこしくて申し訳ないんですけれど、ここで言うギリシャ人だのアルメニア人だのという言い方は、トルコに住むそれらの民族ということで、彼らの国籍はトルコです。ですので、厳密に言えば、ギリシャ系トルコ人、アルメニア系トルコ人、ってことです。

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管理人のおじさんが、内部も見学させてくださいました。
いくつもの豪華なシャンデリアにステンドグラス、ゴールドの装飾など。外観の地味な印象からは想像できないほどにゴージャス~。
トルコにあるアルメニア教会は、外観に反して内部がもの凄く煌びやかなんです。
澁澤幸子先生の最新著書『だから、イスタンブールはおもしろい』によると、「オスマン時代はモスクを凌ぐような立派な外観の教会を建てることは禁じられていたから」、なのだそうです。著書より一部抜粋させて頂きました。)

中では、教会の合唱団の音楽が流れていました。この教会には、付属の合唱団があるのだそうですよ。そして、黒い服(喪服かしら)を着たおばあさんが3人、お祈りをされていました。

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正面には、イエスを抱くマリア様のイコン。

この時は、白いカーテンが右に寄せられていたんですけれど、普段は祭壇のカーテンが閉じられているということなんでしょうか。

その日、管理人のおじさんには来客があり、お話を伺うことが出来なかったのが残念です。
また今度おいでね~と言っていただいたんですけれど、うちからじゃぁちょっと遠いですよ。


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玄関入ってすぐのポーチにあったマリア様の銅版。(左) と、外壁に刻まれていたアルメニア文字。(右) (右側の写真、クリックすると拡大します。アルメニア文字読める方、お助けを~)

この教会の建立は1932年なのだそうですけれど、一番下に書いてある「1955-1967」は一体何.....。
あぁ、やっぱりもう一度訪ねて、管理人さんにお話聞かなきゃ。
私の知っている他のアルメニア教会と比べると、随分と新しいものですけれど、あの豪華な内装や厳かなイコン、細かな装飾など、アルメニア教会らしさが随所に感じられて、とても楽しかったです。

教会やモスクなど、信仰心はないけれど、見学するのは大好き!

ちょっと余談ですけれど、ここイスタンブルには、様々な宗派の教会がたっくさんあります。
中でも、一番数が多いのがギリシャ正教の教会。もう数えられないくらい。(うちの近くにも、ギリシャ正教教会があります) 次に多いのは、アルメニア使徒教会の教会。ざっと調べただけでも30位はあります。その他、カトリックやプロテスタント、ブルガリア正教、シリア正教の教会もあります。
それらが、昔から街の中に普通に存在するという、何ともコスモポリタンな街なんでしょう、イスタンブルって!

なお、アルメニア教会については、Wikipediaで詳しく書かれています。
また、トルコの東部や南東部地方には、歴史的背景から、アルメニア教会が多く残されています。以前住んでいたディヤルバクルにも、朽ちかけてはいましたけれどアルメニア教会がありましたよ。

※ 初等教育学校・・・・・トルコでは、以前は小学校(5年)・中学校(3年)と別々だったのが、2000年頃に方針が変わり、小・中学校一貫教育(8年)となりました。


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by yokocan21 | 2010-03-03 05:51 | 旅・散歩  

歴史の町・アンタクヤ(その1)

イスケンデルン(İskenderun)より南へ約40km。途中、雲のかかった山越えルートを通って、車で30分ほど。
シリア国境まで40kmという、まさに文化融合の地・アンタクヤ(Antakya)へやって来ました。
ここは、随分と昔に訪れたことがあるのですけれど、もう記憶がかすれがちになっていて、細かなところまでは思い出せずにいました。ダンナは、もちろん訪ねたことなんてなかったですので、行ってみなきゃ、ってことでの再訪です。

トルコの地図を見ると、地中海の北東の部分に盲腸のように突き出た部分があるんですけれど、その突き出たところがハタイ(Hatay)県。アンタクヤはハタイ県の県庁所在地です。
ハタイ県の中でも、シリアにかなり近い場所に位置しているということ、また歴史的にもシリアとの関係が深いということで、町の人たちの風貌もどことなくトルコっぽくなくてシリア(アラブ)っぽい。文化面はもちろん、お料理もトルコとアラブの融合~。
これだけでも、何やら面白そうな町、ってことがわかりますよね。

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この写真は、町の中心地、ツーリスト・インフォメーションのあるロータリー。

では、複雑な歴史を辿ってきたアンタクヤの町の概要でも。あまりにも複雑な歴史ですので、ササーッといきます。(って、書くのが大変なだけ(爆!))

アレキサンダー大王の死後、家臣の将軍たちによる覇権争いが激しくなる中で、イプソスの戦いに勝利したセレウコスⅠ世が、紀元前300年にシリア地方のオロンテス川(※注1)沿いに建設した都市が、このアンタクヤです。
父アンティオコスの名に因んで、〝アンティオキア(Antioch)〟と名付けられました。
アンティオキアはセレウコス朝の首都として、ヘレニズム期の代表的な都市として、発展していきます。
紀元前64年には、ローマ帝国に攻め落とされますが、繁栄は続きました。
また、1世紀初頭に表れたキリスト教の布教地として、エルサレムの次にこの地が拠点として選ばれました。聖パウロの布教地として知られています。
キリスト教がローマ帝国に認められてからは、アンティオキア教会(※注2)が、五大総主教座(※注3)の一つとして栄えました。
1世紀当時、ローマ帝国内では、ローマ、アレクサンドリアに次ぐ第3の都市だったのだそうです。

6世紀初頭に大地震にみまわれ、町は壊滅的なダメージを受けます。町は再建されますが、ササン朝ペルシャに攻撃され、また638年には、当時治めていたビザンティン帝国がイスラム軍に破れ、町は徐々に衰退の一途をたどります。
969年にビザンティン帝国に一時支配されますが、1084年にはセルジューク朝の支配下となります。
その後、1096年には第一次十字軍に征服され、〝アンティオキア公国〟が建ちます。
1268年にはマムルーク朝に支配され、1516年にはオスマン朝の支配下となります。

そして、第一次世界大戦後の1918年、この地はフランスの統治下となり1938年までの間は、フランス領シリアの一部として統治されていました。
そして、1939年6月29日、トルコ共和国へと編入されました、というくだりは、イスケンデルンの歴史と同じです。

なお、現在の町は、7番目の層の上に成り立っているものだそうで、町があまりにも古過ぎて、掘り起こそうものなら、もの凄い物が出てきそうですね。

*:…:*:…:*:…:*:…:*:…:*:…:*:…:*:…:*:……:*:…:*:…:*:…:*:…:*:……:*:…:*:…:*:…:*

それでは、アンタクヤの町を見て周ります。見どころが多いですので、今回は、聖堂(教会)を中心に。

旧市街の一角にる、正教会の聖堂(Ortodoks Kilisesi)。またの名を、『ペテロ&パウロ聖堂(Aziz Piyer Ve Aziz Paul kilisesi)』。アンティオキア教会の聖堂です。
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1860年代の建立と、この町の歴史の中では新しい建物。1872年の地震で大きな被害を被り、修復作業は1900年になってようやく終了したそうです。

私が訪ねた日は、年に1回行われる重要なミサのある前日とあって、教会の中庭には綺麗に飾られたイスがたくさん並べられていました。その日の夜に、コンサートが開かれるとのことでした。
案内下さった教会の方から、そのコンサートに招待頂いたんですけれど、子供もいることだし、夜遅くなってしまうし、でお断りしました。あぁ、どんなコンサートだったのでしょう.....。ちょっと残念。

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普段は鍵がかかっていて、お祈りの時間以外は入れてもらえないのだそうですけれど、特別に中を見せて下さいました。
厳かな空間です。いかにも正教会らしい内装。右の写真、聖人の肖像画が並んでいます。十字架がとっても豪華で、繊細な飾りに目が釘付け!

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こちらは、↑の教会近くの小径。

昔ながらの古い家屋がたくさん残っています。中には、今にも崩れそうなもののありましたけれど、丁寧に使っている感じがしました。2階部分が1階部分よりも張り出している独特の建築様式は、オスマン朝時代の建物によく見られるものです。
ここアンタクヤも、夏は相当に暑い町ですので、窓には鎧戸が付けられていたり。

次に紹介しますのは、ものすごーく古い聖堂。
アンタクヤの町の郊外の岩山の中にある洞窟聖堂です。

f0058691_6173670.jpgまず、こちらの岩山。この岩山の中にその教会はあります。

聖ペテロ聖堂(St. Piyer Kilisesi)です。

ここは、アンタクヤに初めてキリスト教が伝えられた時期に建てられたもので、聖ペテロが初めて説教をし、キリスト教コミュニティーを作った聖堂です。(おそらく、1世紀初頭)
使徒行伝によれば、〝クリスチャン〟(=ハリスティアニン「キリスト愛好者」という意味)の言葉が最初に用いられたのが、この聖堂のある場所なんだだそうです。

十字軍の時代には拡張工事がなされ、そして1863年にはローマ法王・ピウスⅣ世によって修復工事がなされ、この工事にはナポレオンⅢ世も協力をした、ということです。

ただ現在、この聖堂は大規模な修復中で、立入り禁止なのです。(あぁ、残念!)
上から岩が落下してきたりと、かなり危険な状態なのだそうです。(今年中には修復は終わるそうですけれど)
中には、ローマ帝国、ビザンティン帝国時代のモザイク画が残されているそうです。
写真、右側の壁の向こう側に聖堂はあります。

聖堂そのものを見ることが出来なかったので、正教会聖堂で頂いた絵葉書を載せておきます。
こんな感じなのです。ちなみに、幅:9.5m、奥行き:13m、高さ:7mの小さな教会。
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また、この聖堂では、ペテロの聖名祝日に合わせて、毎年6月29日には、世界中から信徒が集まりミサが行われているんですけれど、今年は修復工事中のため、正教会聖堂(聖ペテロ・聖パウロ聖堂)で行われました。 ↑で書きました重要なミサ、とはこのことだったのです。
そして、1983年にはローマ法王・ヨハネ・パウロⅡ世によって聖地に指定され、6月のミサにはバチカンからも聖職者が出席しているということです。

おそらくキリストの死後まもなく建てられたのでしょう、この聖堂。現在までの間の長~い歴史を色々と見てきたんでしょうね。この辺りは特に支配者がころころと変わった場所ですし、聖堂の存在そのものも危うい時期もあったでしょう。それでも、連綿と活動を続けてこられたという事実。
凄いです!ちょっと感動~。


こちらは、この聖堂の前から見たアンタクヤ郊外。
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聖堂の側に咲いていた花。アザミでしょうか。
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※注1. オロンテス川・・・トルコ語では、「アスィ川(Asi Nehri)」。レバノンのベッカー高原に発する川。シリアを南から北へと流れ、途中には世界最古のダムと言われている「ホムス湖」がある。アンタクヤを通った後は地中海へと注ぐ。

※注2. アンティオキア教会・・・古代の五つの総主教座の一つ。現在は東方正教会(アンティオキア総主教庁)およびシリア正教会が総主教座を置いている。なお、現在の所在地は、シリアのダマスカス。
古代キリスト教教会のなかでも、最も古いものの一つ。初代総主教は使徒ペテロ。

※注3. 五大総主教座・・・ローマ、コンスタンティノポリス、アレクサンドリア、エルサレム、そしてアンティオキア


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【関連記事】
歴史の町・アンタクヤ(その2)
歴史の町・アンタクヤ(その3)
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by yokocan21 | 2008-10-28 06:26 | 旅・散歩  

マルディン紀行・6(教会編)

この地マルディン(Mardin)は、地理的・歴史的背景から、色んな民族が交錯してきた町。そして、今も色んな民族が一緒に暮らしている町なんです。トルコ人・クルド人・アラブ人、そしてトルコ語でシュリヤーニ(Süryani)と呼ばれるシリア人(シリアという国とは別ですよ)。
このシュリヤーニと呼ばれる人たちは、イエス・キリストが話していたと言われる「アラム語」の一派である「シュリヤーニ語(シリア語)」を話す人たちで、主にシリア正教会徒です。(←※注)

では、そのシリア正教会の教会を紹介。
以前の記事でも紹介しました、『Mor Behnam Kilisesi(モル・ベフナム教会)』
(別名『Kırklar Kilisesi(40人教会)』。5世紀に建立された歴史ある教会です。
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ここは、マルディンの町中でも、数少ない現在も活動中の教会で、いつも訪れている親しみのある教会なのです。観光客が来ると、管理されている方の中からどなたかが案内を駆って下さいます。
内部は撮影禁止ですので写真はないのですけれど、他のシリア正教会の教会と同じく、とてもシンプルで可愛い感じのものです。

礼拝堂の外壁に施されたレリーフ。↓
どちらも、シュリヤーニ語 アラブ文字で色々と書かれています。ただ、言語については、アラブ語なのか、シュリヤーニ語なのか、はてまた他の言語なのかはわかりません。繊細で独特な曲線模様がなんとも美しい♪
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【追記】 レリーフの文字は、アラブ文字のようです。miriyunさん、ご指摘ありがとうございました!このレリーフ部分だけ周りの石の色とは違った色になっていますので、おそらく後から付け加えられたもののようです。

こちらは、礼拝堂に続くドアの上部のレリーフ(左)と、その横にあった馬に乗るキリストではなく、大天使ミカエルでしょうか。羽根があり、剣を持っていますものね。(右)。↓  ヨーロッパの教会で見かけるような厳かで神々しいお姿ではなく、何だか親しみやすい温和な印象です。
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こちらは、『Meryemana Kilisesi(聖マリア教会)』
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シュリヤーニ・カトリックの教会で、1895年、アンタクヤの主教、イグナティオス・ベンハムによって建立されました。
一時期は、主教座も置かれていたということです。
モル・ベフナム教会の横(裏側)に位置しているんですけれど、入り組んだ路地にあって、入り口が小さく、地元の少年が案内してくれていないと、見過ごしていたところでした。
比較的新しい建物ですので、レリーフなんかもとっても綺麗に残されていました。

中庭に面した壁に施されたレリーフ。文字はもちろんシュリヤーニ語。
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こちらは、礼拝堂内部の様子。内部はかなり広々としていて天井も高く、清々しい雰囲気でした。
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ここマルディンには、教会が9つもあると言われているのですけれど、実際に今も活動しているところは、数箇所のみ。近年になって、この地方の治安の悪さや経済状況の悪化などによって、シュリヤーニの人達がイスタンブールなどの都会や、またアメリカやヨーロッパなどへ移住していき、信者の減少が著しいのだそうです。
この聖マリア教会の近くにあるアルメニア教会の『モル・ユスフ教会(Moe Yusuf Kilisesi)』や、
町の下方にある2世紀に建立されたマルディン最古の教会・『マル・ミハイル教会(Mar Mihail Kilisesi)』といった教会は、活動休止中だということで、見学は無理でした。
それでも、細々とでもしっかりと自分達の信仰や文化を守り続けて来られているシュリヤーニの方々、頑張って欲しいものです。


※注 シュリヤーニ(Süryani)・・・シリア人、またはアッシリア人(現代アッシリア人)とも呼ばれる人たち。祖先はアッシリア人であったことから、こう呼ばれているそうです。
以前の記事では、シュリヤーニ=シリア正教会徒という書き方をしていたんですけれど、実はシュリヤーニの人達の全てがシリア正教会徒というわけではなく、カトリック(シュリヤーニ・カトリック)の信者の方もいます。
また、シリア正教について、とても詳しいサイトがありましたので、興味のある方、参照してみて下さい。こちら です。

で、マルディンといえば、ここを訪ねないわけにはいかない、素晴らしい修道院があります。
続きは、 からどうぞ~。


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続き・『デイルゥル・ザファラン修道院』
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by yokocan21 | 2008-04-09 21:04 | 旅・散歩  

ガズィアンテップ・旧市街散策

だ~いぶと前の記事で、「南東部地方・歴史を訪ねる&食いしん坊旅」などと謳っておきながら、すっかり書くのを忘れてしまっていました...。
記憶が薄れてしまわない内に、書いてしまいましょう。

6月上旬の週末、ダンス教室で仲良くなり良いお付き合いをさせて頂いている、M&Mさんご一家と一緒に、ガズィアンテップとシャンルウルファの旅に出掛けて来ました。

まずは、ガズィアンテップ(Gaziantep)
ディヤルバクルより西に約330km、南東部地方最大の商工業都市です。トルコで6番目に大きな町なのだそうです。トルコ人は、単に「アンテップ」と呼ぶことの方が多いです。

古代よりアインタープまたはアインターブと呼ばれてきたこの町は、地中海とメソポタミアに挟まれた地理的条件から、交通の要所として重要な役割を果たして来、なぁんと6000年の歴史を誇ります。

紀元前3000年頃からこの辺り一帯に定住民が増え続け、都市として最初に栄えた時代は、紀元前1800~1700年頃のヒッタイトの時代で、いくつもの王族が町を支配していました。
その後、紀元前850年にアッシリア王の支配下になり、続いてメディア王国、ペルシャ帝国(アケメネス朝)の支配を受け、紀元前4世紀にはアレキサンダー大王の支配、そして紀元前395年より紀元後638年までの間はビザンティン帝国の支配下になるという、目まぐるしく歴史は動いていきます。
その後、アラブ人やセルジューク朝の支配を経て、1516年よりオスマン朝の領土となります。

ま、歴史の話はこの辺にしておいて、町をサラサラ~ッと見て周ることに致しましょう。
まず、町の南側にデーンと構えるガズィアンテップ城(Gaziantep Kalesi)。
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元々6000年前に造られた砦の上に、3世紀のローマ時代に要塞として建造。それを6世紀のビザンティン帝国・ユスティニアヌス帝が強固な城塞として建造、その後1481年、エジプトのスルタン・カユトバイが今ある形の城塞として修復・改築したもの。
内部は発掘作業が行われていて、ハマム(トルコ風呂)や牢獄跡などがあります。
私たちが訪れた時は、この城一帯が修復作業の真っ最中でした。数ヵ月後(いや、数年後?)にはすごーく綺麗に整備された城を見学できることになりそうです。
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城からの眺め。旧市街を望む。

では、この城の麓一帯に広がる旧市街を散策。

城から見た、タフタニ・ジャーミィ(Tahtani Camii)。
建立は定かではないが、おそらく1557年。ミナレット(尖塔)の形がこの地方独特のものです。
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f0058691_2149394.jpgこちらは、城の真横にあるシルヴァニ・ジャーミィ(Şirvani Camii)。1677年建立。
イキ・シェレフェリ・ジャーミィ(İki Şerefeli Camii = 2つのシェレフェのあるモスク)として知られています。
〝シェレフェ(şerefe)〟とは、モスクのミナレットにあるバルコニーのことで、昔はここでお祈りの呼びかけ・エザーンを詠んでいました。

このシェレフェとそれに続く装飾部分には、青いガラスがはめ込まれていて、近くで見るととっても綺麗なのです~。


細く、車が一台通るのがやっとのこの旧市街、道も迷路のように入り組んでいて、現在地を把握するのが大変です。
小さな商店が所狭しと軒を連ねていて、物売りのおじさんの声を聞きながら、また職人さんのトンカン♪という槌音を聞きながら、遠い昔の町の様子を思い描きながら、てくてく散歩。

辿り着いたのは、こんな古めかしいカフヴェ(トルコ版カフェ)。タフミス・カフヴェ(Tahmis Kahve)。
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なんと、400年前の建物を今もそのまんま使っているという、すごーい歴史あるカフヴェです。
内部はこんな感じ。
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薄暗~い店内は、おじさん度超高し。でも、私たち子供連れの家族でも、温かく迎えてくれました。
元は、1640年にメヴレーニハーネ(mevlenihane)(←※注)として建てられたものを、1901年~1903年の間に、カフヴェとして使われるようになったとのことです。
で、ここで出されるカフヴェ(Kahve =トルココーヒー)なんですけれど、一見トルコの何処ででも見かけるコーヒーと同じ、でもダンナとM&M夫妻いわく、トルコで一番美味しい!のだそうです~。(私はトルココーヒーが苦手なため、チャイをオーダー)
ここのコーヒーをもう一度飲むためにだけでも、もう一回ガズィアンテップに行きた~い、んだそうですよ。そのくらい、歴史のあるカフヴェで飲むカフヴェは、お味も重みもひときわ際立っていたようです。

ちなみに、トルコでは町の片隅に、こういうカフヴェと呼ばれるおじさんの憩いの場があちこちにあります。
大抵は皆、チャイやコーヒーを飲みながら、カードゲームや、バックギャモン(トルコ語ではタヴラ(tavla))をしたり、ゆーったりと時間を過ごしています。

このカフヴェを後にして、もう少し行くと、ボヤジュ・ジャーミィ(Boyacı Camii)に出くわしました。
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現在建物は修復中で、中には入れなかったのですけれど、門の外からでも立派なモスクであることは、一目瞭然。
ガズィアンテップ最大のモスクで、1211年の建立ということはこの町で二番目の古さです。
白と黒の縞々模様のモスクは、ディヤルバクルでもよく見かけるものですけれど、これはトルコ南東部地方によくあるものなんでしょうね。
ドーム屋根が銅板、というのもちょっと変わっているなぁと思います。

f0058691_21514014.jpgミナレットは、マムルーク朝時代の1357年のもの。
てっぺんにシェレフェがあり屋根が付いていてる形、この町のミナレットではよくあるものです。そしてシェレフェの下の部分の装飾がとっても繊細で美しい!


f0058691_2573144.jpgこちらは、お土産屋さん。
この地方で織られているキリムも飾られています。ガズィアンテップといえば、民族衣裳も色とりどり派手な色合いのものが多いんですけれど、キリムも鮮やかなものが多かったです。
あと、銅製品や、手作りの木箱に装飾を施した物も有名。これらは後ほど改めて紹介しますね。


f0058691_21522722.jpgで、最後は、旧市街からは少し離れたところにあるんですけれど、ケンディルリ教会(Kendirli Kilisesi)。

1860年に建てられたのもがすぐに崩壊してしまったので、1898年に再建されたものです。
内部はガラーンとしていて、特に面白いものではなかったです。
現在は、何かの展示場として使われているようでした。

元々この町には、アルメニア人を始め多くのキリスト教徒が住んでいました。今は時代の流れの中で、キリスト教徒の数は少数です。

よーく見ると、壁には無数の銃弾の跡が残されています。
これは、1920年の祖国解放戦争の時の、フランス軍の攻撃によるもの。この時の激しい攻撃に、トルコ軍と町の人は団結し戦い、この町をフランス軍から守った、といわれています。
そのため、輝かしい称号である『ガズィ(Gazi)』(=イスラム戦士)という名を、この町に与えられたということです。


なかなか観光地としては知られていないガズィアンテップですけれど、いえいえとっても面白い町でしたぁ。町も活気があって、人々も温かくって、すっかりお気に入りになってしまったのです。
次回も、こんな歴史あるガズィアンテップの様子をお伝えしていきますね。


※注 メヴレーニハーネ・・・・・メヴレヴィー教団の道場。

★その他のガズィアンテップ紀行
   ・ガズィアンテップ・アートと工芸に触れる旅
   ・ガズィアンテップ・食いしん坊な旅



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by yokocan21 | 2007-10-04 22:01 | 旅・散歩  

ミディヤット紀行

もう1ヶ月も前になるんですけれど、「トルコ南東部・歴史を訪ねる旅」と題してハサンケイフ紀行その1その2)を書いておりました。
今回はその続きです。こぉんなに時間が経ってしまいますと、どうも拍子抜けしてしまいますけれど、どうかお付き合いのほどを。

ここもまた相当に歴史のある古い町。そしてシュリヤーニ(シリア正教会徒)(※注)の住む町としても知られています、ミディヤット(Midyat)という小さな町です。

ちょっと町の紹介。
この辺りに人が住み始めたのは紀元前2000年頃で、昔は人々はこの地域に多くある洞窟で暮らしいたそうです。そのためか、この町は古代、〝洞窟の町〟という意味の〝Mariate〟と呼ばれていたそうです。
5世紀頃にはキリスト教徒がこの町に住み始め、6世紀以降はアラブ人が徐々に侵攻してきて、7世紀にはアラブ人に占領されてしまいます。
11世紀にはアルトゥク朝に支配され、この時代はハサンケイフやマルディン同様、大変繁栄したそうです。
その後アイユーブ朝の支配を経て、オスマン朝の支配下に入ります。

〝ミディヤット〟とは、ペルシャ語・アラブ語・シュリヤーニ語のミックスされた言葉で、〝鏡〟を意味するものだそうです。

前回訪れた時は時間がなくて、楽しみにしていた教会を一つも見ることもなく去っていってしまいましたので、今回はもう、この町に着くやいなや「よぉ~し、教会だぁ~!」って勢いで教会を目指しましたよ。
ちなみにミディヤットの町はちょっと変わっていて、旧市街と新市街がかなりな距離離れているんです。(歩くのは大変かな)まるで別の町のような感じ。
シュリヤーニの人達が住む、教会があるのは旧市街の方。

先ず訪れたのが、こちらの教会。
Mor Şarbel Kilisesi(モル・シャルベル教会)。1956年建立のシュリヤーニ正教会の教会です。
f0058691_654783.jpg

赤茶色の外壁や窓枠のレリーフが独特ですね。鐘楼もいかにもシュリヤーニの教会らしいです。
私たちがここを訪れると、教会の中庭でサッカーをして遊んでいた一人の少年が声をかけてきて、中を見たいのだったら鍵を開けてあげますよ、と言ってくれました。
その少年の案内で、内部を見せてもらいました。
f0058691_663670.jpgf0058691_671654.jpg


白を基調としたとってもシンプルな造りです。

その日は司教さんが不在のため、この教会と同じ名前を持つ(シャルベル君)その少年に玄関の鍵を託されたということです。
その司教さんは、家族をベルギーに残して単身赴任でこの教会へやって来ているらしく、その日は家族の下へ里帰りされていたそうなんです。

現在トルコ国内に住むシュリヤーニの人達はどんどん減っているらしく、住みにくい南東部地方から国外へ出て行く人が少なくないという話です。その辺りの話は、次に訪ねたマルディンの町でもひしひしと感じました。

f0058691_683356.jpg昔ながらの石畳の小道、重厚な石造りの壁の家々の続く旧市街を散歩しながら、次に訪れた教会はこちら。

門が開いていたので入ってみたんですけれど、建物の鍵は閉まっていて、教会の名前もわからず。
門の前に座っていたおばさん(クルド人だそうです)に聞いてみても「知らない」と言われました。


この町には、活動を休止しているものも含めて9つの教会があるそうなんですけれど、その殆どは町の郊外にあって、今回は全く時間もなく行くことは出来ませんでした。6世紀に建てられた教会も存在します。
そして、ミディヤットのハイライト的な存在のモル・ガブリエル修道院も、町に着いた時点で入場可能時間を過ぎていて、またしても断念。はぁ。この修道院は建立が397年と、マルディンにあるデイルゥル・ザファラン修道院と並んでこの地域最古の修道院の一つ。
行きたかったよぉ。

そして、その教会のすぐ近くにあるのが、国の迎賓館(Konuk evi)。
f0058691_611752.jpg
トルコ在住の方には御馴染み、ドラマ『スラ(Sıla)』の撮影に使われている建物です。奥に見えるのがそれ。
ちょっとわかりにくいですので、建物のUPを。(写真は、midyat-haber.com より借用)
f0058691_6103471.jpg

凝ったレリーフが素敵です。
上の二つの教会では、トルコ人観光客なんて皆無でしたのに、ここはなぁんと人・人で溢れ返っていました。さすが人気ドラマの影響って凄いんですねぇ。皆、多分ここを見るためにわざわざ来ているんでしょうねぇ。ひゃぁ~。

ここのテラスからの眺めがまた最高でした~。向こうに見える教会は、モル・シャルベル教会。
f0058691_6115482.jpg


坂道をあちこちと歩いてちょっと疲れてきましたので、たまたま見つけたカフェで休憩。
昔の隊商宿(ハン=han)を改装したもので、噴水のある中庭でお茶が出来るようになっていました。なんと、写真撮り忘れです。
ミディヤットといえば、赤ワインの産地でもありますので、やっぱりここはワインで。さっぱり系の、クセのないお味でした。

ホッと一息ついたところで、次の目的地マルディンへと急ぎました。(宿泊地がそこだったので)

そして最後にもう一つ、ミディヤットの伝統工芸品。
旧市街のメインストリートには、たっくさんの貴金属店が並んでいるんですけれど、ここのはトルコでよく見かけるゴールドのお店は殆どなく、シルバーばかり。
それも、細かい凝ったデザインのものがわんさか!
テルカリ(telkari)と呼ばれる、シルバーで出来た細~い針金のようなもので作った芸術品です。
その細い糸のようなシルバーの針金を編んで組み合わせて作ったアクセサリーや小物類が、きゃ~ん素敵♪

例えば、こんなものや、こんなもの。(写真は、midyat-haber.com より借用)
f0058691_6311081.jpg
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ミディヤット観光のメインはもしかして、こちらかも!

※注・・・シュリヤーニ(シリア正教会徒)については、こちらでも書いております。参照ください。


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by yokocan21 | 2007-07-03 06:27 | 旅・散歩  

イチ・カレ(内城)散策

随分とご無沙汰しております。
季節の変わり目、最近どうも調子が悪くって...。パソコンの画面をじーっと見ていると目が痛くなってきて、困ったもんです。

で、今回は、先週末に散歩して来たところを紹介です。

ここディヤルバクルは周囲をぐるっと城壁に囲まれた町なんですけれど、その城壁の中の北東の隅の一角が更に城壁で囲まれているんです。外敵からの二重の防衛ですね。
イチ・カレ(İç Kale)」と呼ばれる内城です。
ここへは、城壁内の通りから「サライ・カプ(宮殿門)」(Saray Kapı)という門をくぐって入っていきます。

このイチ・カレ、オスマン朝時代はディヤルバクルの行政の中心地だったそうです。そのもっと前のアルトゥク朝時代には宮殿も建てられていたそうです。
ところが今は荒れ放題。最近までは、軍の管理下にあり刑務所があったそうで、立入りも禁止されていたそうです。
そこで、立ち上がったのが「イチ・カレ修復プロジェクト」。国が、この一角を昔の華やし頃の姿に戻そうと、一大プロジェクトを立ち上げたのです。

私達が訪れたその日は、ちょうど「イチ・カレ修復プロジェクト開始」の記念式典のある日だったのです。何と偶然。
首都アンカラから文化・観光大臣がいらっしゃり、県知事も参加されるとかで、あちこちにライフルを構えた警官が立っていて、ちょっと物々しい雰囲気でしたけれど、こぉんな可愛いダンサー達に迎えられてニコニコ気分。
f0058691_18205578.jpg

1時間後に始まる式典のリハーサルをしている、地元の中学生たち。
この地方の民族舞踊です。伴奏は、ズルナというラッパと、ダブルという太鼓のみ。このズルナというラッパ、私にはどうもチャルメラに聞こえて仕方がないんですよね。

f0058691_18213835.jpg女の子達のかぶっている帽子
(たぶん「kofi(コフィ)」という)が何とも可愛い・綺麗♪



f0058691_18224433.jpgまず、こちらの建物が修復されていました。観光局が新市街のビルから引っ越してきていました。

後ろに見えるミナレット(尖塔)は、ハズレティ・シュレイマン・ジャーミィ(Hazreti Süleyman Camii)のもの。
このモスクも由緒あるもので、訪れたかったんですけれど、ちょうどその日の前日がメヴリド・カンディル(Mevlid Kandili)というムハンマドの生誕日だったこともあって、その余韻で敬虔な人達が大勢お祈りに来られていて、とてもお邪魔できるような雰囲気ではなかったんです。
こちらは日を改めてまた、ということで。



f0058691_18244126.jpg
こちらは、イチ・カレの最奥部にあるセント・ジョージ教会(Saint George Kilisesi)
建てたれた年月は詳しくはわからないそうですけれど、使われている建材や様式から、おそらく2世紀のものだといわれています。
ローマ時代には、火を祭る神殿として使われていたそうです。
時代が代わって、アルトゥク朝時代には、宮殿のハマム(トルコ風呂)として使われていたのだそうです。
そして何と、アルトゥク朝時代、このハマムと宮殿では、ジズレ(Cizre)出身のエブール・イズ・エル・ジェゼリという人の作ったロボットを使っていた、という記述があるそうです。ほう~。

f0058691_18252370.jpgf0058691_1825533.jpg


あまりにも可哀想な姿に、呆然としてしまいました。真ん中の屋根は抜け落ち、横のドームや壁は苔だらけ。
それでも、内部は見事な装飾でした。

ちょうどこの日、この教会の修復が開始されたようで、外壁を削る作業がされていて中はものすごい砂埃。ちょっとの間も目を開けていられないほどでした。なので、ささっと写真を撮って終わり...残念。
f0058691_1827178.jpg

この他の建物は見事に朽ち果てた姿。このように壁のみが残っていたり。
これらが全て修復された時には、見事な景観になるんでしょうね。楽しみです!わぁ、見てみたい見てみたい!
でも、その頃まで私たちはこの町にはいなさそうです...。(凹)(ダンナの転勤があります)

最後に、イチ・カレの城壁の上からの眺め。
前を流れるのは、ティグリス川。
その左上には、水産試験場(川マスの養殖場があり、横のレストランでは川マス料理が食べられます)。丘の上には、ディジュレ(Dicle)大学のキャンパスが。(ちなみにトルコ語でティグリス川は「ディジュレ」です)
f0058691_18284381.jpg

※ところで、ティグリス川の語源はギリシャ語で、古代ペルシャ語「ティグラー」からの借用語。ティグラーとは「尖った」という意味で、アヴェスタ語(ゾロアスター教の聖典『アヴェスタ』に用いられている言語)では「ティグリ」=「矢」となり、ティグリス川とは、「矢のように早く流れる川」という意味だそうです。
そしてギリシャ語で「ティグリス」とは「虎」の意味もあるそうです。
以上、『シュメル -人類最古の文明(小林登志子著)』より。

古代から暴れ川だったんですよね。あの『ギルガメッシュ叙事詩』は、この川の氾濫で起こった洪水の物語ですよね。この川を眺めるたび、悠久の歴史を感じます。そして、下流にあるバグダッドのことも...。


※ディヤルバクルの城壁については、HPでちょこっと紹介しております。

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by yokocan21 | 2007-04-06 18:36 | ディヤルバクル  

マルディン紀行・3

マルディン紀行・第3回目は、こんなレストランのお話から。

Cercis Murat konağı (ジェルジス・ムラット・コナーウ)』です。

旧市街の1本しかないメインストリート沿いにあって、独特な建物なので、すぐにわかります。昔のお屋敷を改装してあるそうです。

マルディンの郷土料理を中心とした、南東部地方料理のお店です。もちろん、シュリヤーニ料理も食べられます。私のお気に入りは、お肉とナッツ・ドライフルーツを煮込んだものです。ドライフルーツをお料理に使うのって、トルコ料理では珍しいんですけれど、それが何とも言えないハーモニーを醸し出しているんです。

スパイスやナッツが上手くミックスされた、香り高いコクのあるお料理たちを、こんな素敵な雰囲気のお部屋で食べることが出来ます。地元産のワインも飲めますよ。

f0058691_6302122.jpg



夏はテラスで、↓ こぉんな雄大な景色を眺めながら。
f0058691_63169.jpg

メソポタミアの平原を望む。
夜には、遠くシリア領の村の明かりも見えるほど、国境はすぐそこ。

私としたことが、2回もこのお店に食べに行っているのに写真が1枚もない...。家族や友人達と撮った記念写真があるだけ...あぁ。すみません。
お店のHPを見てみてください。

Birinci Cadde, Emlak Bankası Yanı, No.157 Mardin
TEL  0482 -213 6841

*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***

そして、最後に登場するのは、マルディンを代表する建築物です。またまた歴史のある建物。

Deyrü’ zzafaran Manastırı (デイルゥル・ザファラン修道院)』。
f0058691_64030100.jpg

           (画像はGoogleイメージより)

マルディン市街地より5kmのところにある、以前はシュリヤーニ(シリア正教会)の総主教座が置かれていた修道院。今なお立派に活動しています。
建物の建立は、396年から493年。

地下には、キリスト教以前の土着宗教・太陽信仰時代の礼拝所跡(大きな石で作られた部屋)も残っていて、何やら相当に歴史を感じさせてくれる建物です。

ここは、修道士の方がひと部屋ずつ丁寧に説明して下さったので、わかりやすかったです。その修道士さん、実は↓で書きました、手描きのイコンを作ってらっしゃるおばあさんのお孫さんで、家族の方がわざわざこちらに連絡をして下さっていたんです。

歴代の主教さん達もここの地下に眠っているそうです。
置かれている聖書はもちろんシュリヤーニ語。

f0058691_6422955.jpg

こんな素朴なイコンもあり。→


余談なんですけれど、この修道士さんいわく、シュリヤーニの人達の祖先は何とシュメール人まで遡るそうです。シュリヤーニ語は古代アッシリア語から来ているのだとか。親戚語にあたるアラブ語よりも古い言葉だそうです。
信じるか信じないかは別にして、ロマンを感じさせてくれますねぇ。



【追記】
先ほどmiriyunさんより質問を頂いて調べてみたら、すごいことを発見!
シュリヤーニ語は、何とイエスが話していた〝アラム語〟と同じ言語だそうです。
(アラム語といえば、メル・ギブソンの映画『パッション』で使われていた言葉、としか知らない私です。)
これこそ、ロマンですねぇ♪


まだまだ色々な歴史ある教会やモスクがあるマルディンですけれど、私自信、全部は周りきれていないので、ここでは紹介できないのが残念です。かなり私好みの全く飽きない町ですので、続きは今度訪れた後、ということで。

それでは、こんな写真で最後にしたいと思います。
こちら、マルディン~ディヤルバクル間にある岩山。この辺りは、片側がこのような荒涼とした岩山の連続です。
f0058691_6484156.jpg


そして最後は、沈みゆく夕日で〆。
f0058691_6493714.jpg


3回に分けて綴ってきましたマルディン紀行ですけれど、長々とお付き合いありがとうございました。楽しんでいただけたでしょうか?

【関連記事】
マルディン紀行1
マルディン紀行2

・マルディン紀行4
・マルディン紀行5
・マルディン紀行6
・マルディン紀行7
・マルディン紀行8

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by yokocan21 | 2007-03-13 07:08 | 旅・散歩  

マルディン紀行・1

1年前の記事で「トルコ南東部をディープに迫る」なんて豪語しておきながら、実際にはなかなか迫りきれていないのが現実です。
そこで、もうだ~いぶと前に訪れた町を書いてみることにします。1回目は、この町に引っ越して来てすぐ2004年の秋、2回目はその次の年2005年の秋に訪れました。
トルコ南東部地方でも特にイチオシな町、マルディン(Mardin)の紹介です。

ちょうど卒業旅行シーズンでもありますし、もし興味&時間がありましたら、是非とも訪ねて頂きたい素敵な町です。卒業旅行といえば、私が初めてトルコの地を踏んだのが、遠い昔の卒業旅行だったんですよね~。感慨深いものがありますね。

では、マルディン紀行の始まりです。

私の住むディヤルバクルから南に約90km。荒野や岩山を眺めながら約1時間、マルディンの町に到着です。
岩山に張り付くように建てられたベージュ色の家々がとっても印象的。まるで町全体が要塞のようでもありますね。(↓)
ちなみに、この岩山の町は旧市街で、今は山の麓に新市街が出来ています。旧市街の方は、まるで中世にタイムスリップしたかのような趣のある落ち着いた町並み。新市街の方は、トルコのどこででも見かけるようなアパートが立ち並ぶモダンな様相です。

f0058691_0242438.jpg
マルディンも町の歴史は相当に古く、紀元前4500年頃までさかのぼるようです。そう、〝メソポタミア文明〟の地なのですよ!この辺りの歴史については、「マルディン県のサイト」をご覧になって下さい(英語です)。

そしてマルディンといえば、教会の多い町としても有名です。
キリスト教徒がこの町に住むようになったのは、3世紀頃。〝シリア正教会徒〟です。その後アラブ人に支配されたり、トルコ系民族のセルジューク朝やアルトゥク朝、そしてオスマン朝にも支配されたりとイスラム化がどんどん進んでいきましたが、今でも少数ではあるもののシリア正教会徒が住んでらっしゃいます。
トルコ語で『シュリヤーニ(Süryani)』と呼ばれる彼らは、自分達の言葉(シュリヤーニ語)も持っており、マルディンで訪れた教会や修道院の聖書はみな、シュリヤーニ語(文字も独特なもの)で書かれているものでした。

※耳慣れない〝シリア正教会〟については、こちらを参照して下さい。

こちらは、『Mor Behnam Kilisesi(モル・ベフナム教会)』(別名『Kırklar Kilisesi(40人教会)』。
f0058691_0254511.jpg
5世紀の建立だそうです。400年前の木製の壁がん(niche gate)や、1500年前の根で染色したカーテンもあるそうですが、どれがどれなのか、わからなかったです...。内部はとってもシンプルで、手描きのイコンがあったり、こじんまりとした可愛らしい雰囲気でした。地元の人々と共に歩んできた、温かい感じのする教会でした。すみません、内部の写真ないです。
1170年に、40人の殉教者たちの骨をこの教会に埋葬したことから、「40人教会」と呼ばれています。
f0058691_0263672.jpgf0058691_027270.jpg


      ↑ 教会の外壁のレリーフ。

そしてマルディンには、教会や修道院に奉納するイコンを手描きで作ってるおばあさんがいらっしゃいます。
そのおばあさんの家系は代々手描きイコンの作者だそうで、お宅にお邪魔すると色んなイコンを見せて頂きました。白地の布に、色鮮やかなキリスト像が描かれていて、とっても親しみやすい可愛いイコンです。(こちらも写真なしです)


こちら教会の近く、旧市街・住宅地の路地裏。f0058691_029735.jpg
旧市街は、メインストリートを一歩入ってしまえば、このような狭い路地がくねくね、迷路のように張り巡らされています。町の喧騒からはほど遠く、静かにゆったりと時間が流れていました。
時々、見事なレリーフで飾られた家もあったり、マルディン観光に路地裏巡りは欠かせないですね。

    
これで、第1回マルディン紀行を終わります。(第2回に続く)

【関連記事】
マルディン紀行2
マルディン紀行3
・マルディン紀行4
・マルディン紀行5
・マルディン紀行6
・マルディン紀行7
・マルディン紀行8


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by yokocan21 | 2007-02-28 00:36 | 旅・散歩