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歴史の町・アンタクヤ(その2)

ここアンタクヤは、イスラムの歴史としても相当に古いものがあります。
何せ、トルコ(アナトリア)に一番最初にイスラム教が入ってきた場所です!638年のことです。
(610年にムハンマドがアッラーの啓示を受け、始まったイスラム教が、わずか28年の後には、アンタクヤにまで入ってきたという事実。凄い勢いです!)

そんなこともあって、町の至るところにモスクが見られます。ぱっと見てオスマン朝様式なものや、最近になって建てられた感じの、比較的新しいものが多いんですけれど、中にはびっくりする程の歴史的なものもあって、うろうろ散策が楽しいのです。
しかも、この町の旧市街は、狭い路地が入り組んでいて、建物を見ながらのきょろきょろ歩きも格別です。

では、私の好きそうな古いモスクをちょっと紹介。

まず、アナトリアの比較的大きな町だと、どこにでも見られる、大モスクの総称の〝ウル・ジャーミィ(Ulu Camii)〟です。
モスクの外壁が全部商店になっている、モスクと商業の複合施設。(こういう複合体のモスクって、結構見かけます。)
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16世紀、オスマン朝初期またはマムルーク朝後期の建設で、モスクとして建てられたものの中では、アンタクヤで一番古いモスクと言われています。
モスクの様式はオスマン朝初期のものによく見られるものだそうで、随所にマムルーク朝様式も散りばめられているそうです。ミナレット(尖塔)は、細長い、見るからにオスマン朝のものですね。
地震によって痛みが酷かったため、現在の建物は1987年から2002年にかけて取り壊し・再建されたものです。その際、オリジナルの建材や石材などはそのまま使われた、ということです。

f0058691_9325197.jpgこちらは、モスクの中庭。

ウル(=壮大な)という割には、こじんまりとしたモスクです。

訪れた時はちょうど礼拝の時間で、中は拝見できなかったのですけれど、窓越しに覗いてみた限りは、シンプルな作りでした。


f0058691_934825.jpg大通りに面した側の門。
(このモスクには、裏通りに面して、もう一つ小さな門があります)

両側の円柱やアーチに沿った装飾、ローマっぽいですよね。ブドウのレリーフに見えます。

ディヤルバクルのウル・ジャーミィにも、ローマ風のレリーフが随所に見られるんですけれど、町の歴史を思って見ると、とっても興味深いです。



f0058691_93564.jpgこちらは、ウル・ジャーミィの裏側の路地ををブラブラ歩いている時に見つけたモスク。

〝イフサニイェ・ジャーミィ(İhsaniye Camii)〟

1221年の建立。地震で崩壊したため、1915年に再建されました。

アンタクヤのモスクのミナレットは、トルコでよく見かけるミナレットに比べると、かなり短いように思いました。しかも、どっしりとしている。(もちろん例外もありますけれどね)

写真を撮るのを忘れた、とあるモスクのミナレットも、どっしりと太くて短かったです。民家の屋根の横に、てっぺんだけがちょこっと見えている、という風な感じ。
町によって、また建てられた時代によって、ミナレットの形も色々。面白いです。



最後に紹介しますのは、またまたとっても興味深い歴史を持つモスクです。

〝ハビビ・ネッジャル・ジャーミィ(Habib-i Neccar Camii)〟
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モスクと神学校が一体となった施設です。
元々ローマ時代の神殿のあった場所に、この町に侵攻してきたイスラム軍がモスクを建てたのが始まり。
イスラム軍の侵攻が638年ですので、建築はおそらく640年頃でしょうか。
その後969年にビザンティン帝国の支配が始まると、このモスクは教会に替えられてしまいます。
教会として使われたのは、支配者がイスラム教徒のセルジューク朝にとって替わる1084年まで。
しばらくの間モスクとして使われますが、1096年に十字軍が侵攻してくると、また教会へと替えられてしまいます。
そして、1268年にマムルーク朝が侵攻してくると、またモスクへと替えられたのでした。

なぁんと、アンタクヤの激動の歴史、そのままの運命を受け入れてきたモスクですね~。
なお、17世紀のオスマン朝支配下には大規模な修復が行われ、現在の姿をとどめています。

ところで、このミナレット(尖塔)、どこかで見たことのあるのものだぁ、と思ったら、ガズィアンテップのモスクのものにそっくり!地理的に近いですからね、なるほどねぇ。

↓、お祈りの前に体を清めるための泉(シャドゥルワン)と、モスクの入り口。なお、この泉は19世紀のものです。
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ところで、ハビビ・ネッジャルは、紀元40年頃、アンティオキアにいた実在の人物で、この町で、イエス・キリストの教えを最初に信仰した人です。
当時のアンティオキアの人々は偶像信仰だったため、ハビビ・ネッジャルは次第に疎外されてゆき、改宗を求められるも、拒否し、仕舞いには殺されてしまいました。
熱心な信仰心のために殉教したハビビ・ネッジャルは、このモスクの隅に葬られています。
そして、このモスクの向こう側に見える山の名前も、〝ハビビ・ネッジャル山〟と名付けられています。この山の麓にも、ハビビ・ネッジャルの廟があるそうです。

アンタクヤの人々に尊敬され続けてきたハビビ・ネッジャルという人の、人柄がうかがえるお話ですね。

こちらは、モスクの裏手。門の横にある2階が突き出た部分、あの場所にハビビ・ネッジャルの霊廟があります。
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ハビビ・ネッジャル・ジャーミィ近くの通り。伝統的な、オスマン建築が並びます。保存状態が良くないのが、残念。
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こちらは、アンタクヤの町でよく見かけたシミット(Simit)屋さん。
トルコで一般的なシミットとはちょっと違って、ゴマがまぶされていませんし、かなり大型。
ギリシャのクルーリというパンに似ています。町には正教会の教会があることだし、ギリシャとの繋がりがどこかであったんでしょうかぁ。面白い!
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と、こんな感じの町なのですよ。歴史が渦巻く町って、歩いているだけでワクワクしてきます。
実は、前回訪れたときからは15年ほども経っているんです。あちこちがモダンに変身しているのは最近のトルコでは当たり前のことで、それを除きさえすれば、町の活気ある雰囲気、落ち着いた雰囲気は、当時のまんま。やっぱり来てよかったなぁと思いました!

で、次回アンタクヤ編の最終回は、ちょっと芸術と美味しい物です!お楽しみに~。

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【関連記事】
歴史の町・アンタクヤ(その1)
歴史の町・アンタクヤ(その3)
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by yokocan21 | 2008-10-30 09:44 | 旅・散歩  

歴史の町・アンタクヤ(その1)

イスケンデルン(İskenderun)より南へ約40km。途中、雲のかかった山越えルートを通って、車で30分ほど。
シリア国境まで40kmという、まさに文化融合の地・アンタクヤ(Antakya)へやって来ました。
ここは、随分と昔に訪れたことがあるのですけれど、もう記憶がかすれがちになっていて、細かなところまでは思い出せずにいました。ダンナは、もちろん訪ねたことなんてなかったですので、行ってみなきゃ、ってことでの再訪です。

トルコの地図を見ると、地中海の北東の部分に盲腸のように突き出た部分があるんですけれど、その突き出たところがハタイ(Hatay)県。アンタクヤはハタイ県の県庁所在地です。
ハタイ県の中でも、シリアにかなり近い場所に位置しているということ、また歴史的にもシリアとの関係が深いということで、町の人たちの風貌もどことなくトルコっぽくなくてシリア(アラブ)っぽい。文化面はもちろん、お料理もトルコとアラブの融合~。
これだけでも、何やら面白そうな町、ってことがわかりますよね。

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この写真は、町の中心地、ツーリスト・インフォメーションのあるロータリー。

では、複雑な歴史を辿ってきたアンタクヤの町の概要でも。あまりにも複雑な歴史ですので、ササーッといきます。(って、書くのが大変なだけ(爆!))

アレキサンダー大王の死後、家臣の将軍たちによる覇権争いが激しくなる中で、イプソスの戦いに勝利したセレウコスⅠ世が、紀元前300年にシリア地方のオロンテス川(※注1)沿いに建設した都市が、このアンタクヤです。
父アンティオコスの名に因んで、〝アンティオキア(Antioch)〟と名付けられました。
アンティオキアはセレウコス朝の首都として、ヘレニズム期の代表的な都市として、発展していきます。
紀元前64年には、ローマ帝国に攻め落とされますが、繁栄は続きました。
また、1世紀初頭に表れたキリスト教の布教地として、エルサレムの次にこの地が拠点として選ばれました。聖パウロの布教地として知られています。
キリスト教がローマ帝国に認められてからは、アンティオキア教会(※注2)が、五大総主教座(※注3)の一つとして栄えました。
1世紀当時、ローマ帝国内では、ローマ、アレクサンドリアに次ぐ第3の都市だったのだそうです。

6世紀初頭に大地震にみまわれ、町は壊滅的なダメージを受けます。町は再建されますが、ササン朝ペルシャに攻撃され、また638年には、当時治めていたビザンティン帝国がイスラム軍に破れ、町は徐々に衰退の一途をたどります。
969年にビザンティン帝国に一時支配されますが、1084年にはセルジューク朝の支配下となります。
その後、1096年には第一次十字軍に征服され、〝アンティオキア公国〟が建ちます。
1268年にはマムルーク朝に支配され、1516年にはオスマン朝の支配下となります。

そして、第一次世界大戦後の1918年、この地はフランスの統治下となり1938年までの間は、フランス領シリアの一部として統治されていました。
そして、1939年6月29日、トルコ共和国へと編入されました、というくだりは、イスケンデルンの歴史と同じです。

なお、現在の町は、7番目の層の上に成り立っているものだそうで、町があまりにも古過ぎて、掘り起こそうものなら、もの凄い物が出てきそうですね。

*:…:*:…:*:…:*:…:*:…:*:…:*:…:*:…:*:……:*:…:*:…:*:…:*:…:*:……:*:…:*:…:*:…:*

それでは、アンタクヤの町を見て周ります。見どころが多いですので、今回は、聖堂(教会)を中心に。

旧市街の一角にる、正教会の聖堂(Ortodoks Kilisesi)。またの名を、『ペテロ&パウロ聖堂(Aziz Piyer Ve Aziz Paul kilisesi)』。アンティオキア教会の聖堂です。
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1860年代の建立と、この町の歴史の中では新しい建物。1872年の地震で大きな被害を被り、修復作業は1900年になってようやく終了したそうです。

私が訪ねた日は、年に1回行われる重要なミサのある前日とあって、教会の中庭には綺麗に飾られたイスがたくさん並べられていました。その日の夜に、コンサートが開かれるとのことでした。
案内下さった教会の方から、そのコンサートに招待頂いたんですけれど、子供もいることだし、夜遅くなってしまうし、でお断りしました。あぁ、どんなコンサートだったのでしょう.....。ちょっと残念。

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普段は鍵がかかっていて、お祈りの時間以外は入れてもらえないのだそうですけれど、特別に中を見せて下さいました。
厳かな空間です。いかにも正教会らしい内装。右の写真、聖人の肖像画が並んでいます。十字架がとっても豪華で、繊細な飾りに目が釘付け!

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こちらは、↑の教会近くの小径。

昔ながらの古い家屋がたくさん残っています。中には、今にも崩れそうなもののありましたけれど、丁寧に使っている感じがしました。2階部分が1階部分よりも張り出している独特の建築様式は、オスマン朝時代の建物によく見られるものです。
ここアンタクヤも、夏は相当に暑い町ですので、窓には鎧戸が付けられていたり。

次に紹介しますのは、ものすごーく古い聖堂。
アンタクヤの町の郊外の岩山の中にある洞窟聖堂です。

f0058691_6173670.jpgまず、こちらの岩山。この岩山の中にその教会はあります。

聖ペテロ聖堂(St. Piyer Kilisesi)です。

ここは、アンタクヤに初めてキリスト教が伝えられた時期に建てられたもので、聖ペテロが初めて説教をし、キリスト教コミュニティーを作った聖堂です。(おそらく、1世紀初頭)
使徒行伝によれば、〝クリスチャン〟(=ハリスティアニン「キリスト愛好者」という意味)の言葉が最初に用いられたのが、この聖堂のある場所なんだだそうです。

十字軍の時代には拡張工事がなされ、そして1863年にはローマ法王・ピウスⅣ世によって修復工事がなされ、この工事にはナポレオンⅢ世も協力をした、ということです。

ただ現在、この聖堂は大規模な修復中で、立入り禁止なのです。(あぁ、残念!)
上から岩が落下してきたりと、かなり危険な状態なのだそうです。(今年中には修復は終わるそうですけれど)
中には、ローマ帝国、ビザンティン帝国時代のモザイク画が残されているそうです。
写真、右側の壁の向こう側に聖堂はあります。

聖堂そのものを見ることが出来なかったので、正教会聖堂で頂いた絵葉書を載せておきます。
こんな感じなのです。ちなみに、幅:9.5m、奥行き:13m、高さ:7mの小さな教会。
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また、この聖堂では、ペテロの聖名祝日に合わせて、毎年6月29日には、世界中から信徒が集まりミサが行われているんですけれど、今年は修復工事中のため、正教会聖堂(聖ペテロ・聖パウロ聖堂)で行われました。 ↑で書きました重要なミサ、とはこのことだったのです。
そして、1983年にはローマ法王・ヨハネ・パウロⅡ世によって聖地に指定され、6月のミサにはバチカンからも聖職者が出席しているということです。

おそらくキリストの死後まもなく建てられたのでしょう、この聖堂。現在までの間の長~い歴史を色々と見てきたんでしょうね。この辺りは特に支配者がころころと変わった場所ですし、聖堂の存在そのものも危うい時期もあったでしょう。それでも、連綿と活動を続けてこられたという事実。
凄いです!ちょっと感動~。


こちらは、この聖堂の前から見たアンタクヤ郊外。
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聖堂の側に咲いていた花。アザミでしょうか。
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※注1. オロンテス川・・・トルコ語では、「アスィ川(Asi Nehri)」。レバノンのベッカー高原に発する川。シリアを南から北へと流れ、途中には世界最古のダムと言われている「ホムス湖」がある。アンタクヤを通った後は地中海へと注ぐ。

※注2. アンティオキア教会・・・古代の五つの総主教座の一つ。現在は東方正教会(アンティオキア総主教庁)およびシリア正教会が総主教座を置いている。なお、現在の所在地は、シリアのダマスカス。
古代キリスト教教会のなかでも、最も古いものの一つ。初代総主教は使徒ペテロ。

※注3. 五大総主教座・・・ローマ、コンスタンティノポリス、アレクサンドリア、エルサレム、そしてアンティオキア


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by yokocan21 | 2008-10-28 06:26 | 旅・散歩  

東トルキスタン(ウイグル)料理

昨日のお昼は、とぉっても素敵な&ディープな体験をしてきました。(〝ディープな〟という言葉に反応されてる方、多そうです!)

私の大好きな作家・澁澤幸子先生からお電話を頂いて、「明日、そちらの方へ行きますから、ご一緒しませんか~」というお誘い。きゃーーっ。
澁澤先生は現在イスタンブルに滞在中でらして、2週間ほど前に始めてお会いして、色々と楽しいお話をたっくさんさせて頂いたんです。
イスタンブルに来られた時はいつも泊まってらっしゃるホテル(このホテルがまたすっごく素敵なところなんですよ~)をあちこち案内して下さって、しかも美味しいランチまでご馳走になってしまいました♪
そして、著書を3冊もプレゼントして下さったんです~♪ (※↓の追記で紹介しています)
きゃーん、感激でした!

そして、その後またお会いするチャンスがあったんですけれど、あいにくの子供の病気でお流れになってしまい、で、今回再びお誘いして下さったんです。(嬉)
そして今回は、イスタンブル在住のライター・madamkaseさんと、madamkaseさんのお友達のSさんもご一緒ということで、うひょひょ~、ウキウキ出掛けて行きました!
(下調べ下さったSさんとmadamkaseさんのご尽力に感謝いたします~)

行き先は、なんと、私の地元。うちから歩いて行ける距離に、今回の目的地があったのです。

さーて、どんな所でしょう。

ちょっと珍しい、『東トルキスタン料理』のお店なんですよ!
えっ、東トルキスタン? どこそれ?・・・・ですよね。
現在は中国の自治省となっている〝新疆ウイグル自治区〟のことで、そこに住む人達(ウイグル族)は、自分達の土地のことを、こう呼んでいるんです。
今私の住んでいる区には、この東トルキスタンから移住してきた人が大勢住んでらっしゃいます。
トルコ人は、ウイグル人とは親戚のようなもの。言葉も同じトルコ語系。そして同じイスラム教を信仰している、ということで、受け入れ国として最適なのかもしれません。
ユーラシア大陸の中央と西の端、シルクロードで繋がった濃い関係です。

※東トルキスタンに関しては、こちら を参照して下さい。詳しく載っています。また、ここの国旗(と言っていいのかな)は、トルコの国旗と全く同じデザインで、ベースの色がターコイズブルー。面白い。

さーて、目的のレストランでは、まず、これを食べなきゃ!の、ラグメン(Lagmen)
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手打ちのおうどんによく似た麺に、羊&牛肉の薄切り、ニンニクたっぷり、ピーマンやジャガイモなどの野菜のピリピリ炒め物をぶっかけて食べるんです。
まず、このように別々のお皿で出てくるんですけれど、炒め物を麺の上にドバーッとかけて。

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ひゃーーーーっ、美味しい~!なんだか懐かしいようなお味。ちょっぴり中華っぽくもあり、でもトルコっぽくもあり。そして、辛さが全く嫌味でない。
お箸で食べるってところも嬉しいですねぇ。うわぁ、アジアだよぉ。

オーナーの方(勿論ウイグルの方です)と厨房の女性シェフのご好意で、厨房内も見せて頂きました。
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ラグメンを打っているところ。 ↑
中華麺の打ち方にそっくり。とっても素早くビュイーン・ビュイーンと麺が延びてゆく様子は素晴らしかったです。楽しそう~。
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こちらは、麺を仕込む様子です。 ↑
さっき、〝おうどんに似た〟と書いたんですけれど、実は作り方を拝見すると、〝素麺〟の作り方によく似ているんですよね。
練り込むときに油を使うんです。そして、手前のお盆の中にあるように、細く延ばしてからグルグル巻きにして寝かします。その時にも油を少量塗っていました。これを、延ばしていって、↑の写真のように細い麺にしていくんです。
わぁ、ウイグルと日本の素麺が繋がっているだなんて、感激です!奈良の三輪素麺の故郷が、あの辺りだったのかと思うと感激ですよねぇ。大陸文化、ここでも発見!

で、次は、マントゥ(Mantı)という、いわゆる水餃子。かなり大型です。
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トルコにもマントゥという食べ物があるんですけれど、これはその原型でしょうか。中央アジア各国でもよく食べられているものなんだそうですし、中華料理の〝包子〟や、ロシアの〝ペルメニ〟などもこの仲間でしょう。
マントゥはまさにシルクロードの食文化を、色濃く表しているものですよね。繋がっていますねぇ~。

中の具は、羊&牛のひき肉。手前の〝ラザ(Lasa)〟という唐辛子ペーストとお酢を付けて食べると、うーん美味!
とっても素朴な味で、中のお肉もジューシー。このラザという唐辛子、オーナーさんがたっぷりとお皿に盛ってくださったんですけれど、辛くて辛くて。ほんのちょっぴり付けて食べるのが精一杯でした。私としたことが.....。

そうそう、東トルキスタンでは、食事の時にお茶が出されるんですよ。カルダモン入りの香り豊かな
お茶で、胃にも良さそう。全員、何倍もお代わりしちゃいました。お茶椀も、東トルキスタンのもの。
こういうお茶碗でお茶をいただけるなんて、ほぉっと和みますねぇ。

最後に食べたものは、こちら。チョチェレ(Çöçere)というスープ。
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これ、中のメインのパスタがイタリアのトルテッリーニにそっくり。これまた、シルクロード食文化を感じさせてくれます。マルコ・ポーロによって中国からシルクロードを通って伝わったんでしょうかぁ。なんだかロマンです~。

唐辛子ベースのとっても辛いスープで、コクもあってハフハフ美味しかったです。
これ、体にもとっても良いそうで、風邪ひきの予防にもなるそうです。体がポカポカ温まって、風邪なんてひかないですよ~。

うわぁ~、食べました~。
途中、オーナーの方のお話も聞きながら(生い立ちや東トルキスタンのこと、ご自身はアーティストだってことetc.)、わいわい楽しく美味しい郷土料理。
シルクロードの奥深さを、今更ですけれど改めて感じることが出来た、午後のひとときでした。
小さい時から憧れ続けている、遥かかなたのシルクロード。その奥深い場所にある東トルキスタンという土地。自分の中の血がまたまた騒ぎ出しています。
いつかきっと自分であの空気を吸ってみたい。あの空気を感じてみたい。あの土にまみれてみたい.....。
ふわぁーーー。

こんな素敵なお店に連れて行って下さった皆様、ほんとうにありがとうございました!

余談なんですけれど、私の住む区には、東トルキスタン出身の人達を始め、中央アジアから移住してきた人達が大勢住んでらっしゃいます。道を歩けば、目の細いアジア顔をした人によく出会います。
食後、お茶をしたカフェで働く女の子二人も、中央アジア系。キルギスタン出身なんだそうです。
子供の通う学校には、カザキスタン系の子供達がいますし、アフガニスタン出身の人達も住んでいるようです。(以前、タクシーの運転手に「アフガニスタンかぁ?」と聞かれたことあり。濃いイメージのアフガニスタンですけれど、中には私達のような薄い顔立ちの人達もいるそうです)
シルクロード界隈からはるばるやってきた人達。トルコとの繋がりをすごーく感じます。

最後に、こちらのレストランの紹介をしておきます。

◆『İpek Yolu Restaurant』  (イペッキ・ヨルとは、まさに訳して『シルクロード』)
Nuripaşa Mah. 60.Sok. N:28/A Zeytinburnu İSTANBUL
GSM: 0536-250-8039

【追記】ご一緒させて頂いたmadamkaseさんのブログでも、詳しくレポートして下さっています。
炎の料理人〝ファイヤー!〟もあり(笑)。 こちらです。


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【追記 : 頂いた著書】
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by yokocan21 | 2008-10-24 02:36 | その他料理・飲み物  

ブツブツ戯言

どうも更新が滞りがちです。
楽しみにしてくださっている皆さま、すみません。
今日は、ちょっと戯言を.....。
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先週、7歳児の子供が風邪で熱を出してダウンしていました。
割と元気な子で、風邪はひいても熱は滅多に出さないので、あれれ、、、と思って病院へ連れて行きました。

首の後ろが腫れてかなり痛がっていましたので、おたふく風邪かな.....とも思ったんですけれど、血液検査をして頂いた結果、細菌感染の炎症を起こしている、ということでした。
抗生物質を処方され、家でおとなしくしていたら、元気になって、今日からまた学校へ通っています。

ところで、トルコのお医者さんは、熱があるなしに関わらず、抗生物質をすぐに処方されるんです。
私、何十年も生きていますけれど、このかた抗生物質を飲んだことって、数えるくらいしかありません。重度にお腹を壊した時とか。
ところが、トルコでは、普通の風邪でも抗生物質は常識のように出されます。これって、どうなんでしょう。前々から不思議に思っています。

家にある『家庭の医学』や、ネットで医師や薬剤師さんのサイトをチェックしてみたりするんですけれど、抗生物質は、細菌感染に効く薬であって、ウイルス感染には効かない、とあります。
むしろ抗生物質の投与を受け続けると、体内に抗生物質への強い抵抗力を持つ細菌を増やしてしまう恐れがあるんだそうです。これは抗生物質を使う限り避けられないことで、「耐性菌」といってしばしば問題になっているそうです。
そして、抗生物質は、腸の中にいる「腸内細菌」をも退治してしまう可能性があるんだそうです。
腸内細菌のバランスがくずれることでアレルギーやアトピーの発症率が高くなっている、ということがわかっているのだそうです。

こういう記事を読んでいると、安易に抗生物質を飲ませることが恐くなってきました。なので、軽い風邪程度でお医者さんに連れて行くことって、しなくなったんです。
ま、今回は、熱もあったし細菌感染を起こしているということでしたので、抗生物質の処方はまっとうなものだったわけですけれど。
ド素人がお医者さんに、偉そうに「こういうことだから、抗生物質は出さないで欲しい」なんて言うにも、はばかれます。
トルコにいる限りは、子供の風邪&発熱時は、抗生物質処方との闘いが続いていくんでしょうかぁ。

ちょっと、ブツブツいってみました。

次回からは、普通にブログの更新をいたします。

(↑の写真は、記事とは全く関係のない、ガラタ塔(Galata Kulesi)と桟橋の豪華客船。1ヶ月以上も前に撮影したものです)
ガラタ塔とは、1384年にジェノヴァ人によって建てられた塔。現在は観光名所となっていて、最上階にはレストランもあり、ベリーダンスを鑑賞出来ます。


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by yokocan21 | 2008-10-20 22:59 | たわごと  

地中海の街・イスケンデルン

先日の記事で、ディヤルバクルからイスタンブルに引っ越して来るときに、約1400kmを走破してきました~と、書いたのですけれど、今日はそのお話の続き。

ディヤルバクルをお昼前に出発して、その日の夕方にたどり着いた町は、地中海沿岸のイスケンデルン(İskenderun)
途中のウルファからは高速道路が付いていますので、結構楽な旅でした。

ここは、地中海の北東のどん突きに当たる場所。
海岸通りは、パームツリーの並木道。芝生の公園が広がっていて、さすが地中海の町だわぁ~という開放感に溢れています。こんな感じです。
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でも、しっかし湿気が凄かったです!もう、町を歩いているだけで汗がだぁ~っ。カラカラ乾燥のディヤルバクルからやって来た身には、こたえましたよ。
町の電光掲示板をふと見ると、なんと!「湿度85%!!!」。 これって、日本の夏より凄いじゃぁないですか!町の人いわく、イスケンデルンはトルコでも一番湿度の高い町なのだとか。納得。

こちらは、海岸通りにあるメモリアル・パーク。1938年7月5日に、この町がフランス領シリアから奪回された記念碑が建っています。
この辺り、夕方から深夜にかけて若者達や家族連れがわんさとやってきては、散歩したりお茶を飲んだりと、市民の憩いの場になっているようです。
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さて、ここでいつものように町の概要をザザーッと。

イスケンデルン(İskenderun)。この地は、かのアレキサンダー大王にちなんで名付けられた数ある都市のうちの一つなんです。
アレキサンダーをトルコ語読みすると、〝イスケンデル(İskender)〟となり、まさに、その通り。
紀元前333年、イッソスの戦いでペルシャ軍に勝利したアレキサンダー大王は、北シリアに位置するこの地の重要性に注目し、都市の建設を命礼したと言われています。
当時の名前は、〝アレキサンドレッタ(Alexandretta)〝。

この辺りには、紀元前2000年頃から町の形成がなされていたそうです。
また、紀元前1200年以前は、フェニキア人の植民都市として、「Myriaydus」と呼ばれていました。その後、ハッティ人やフルリ人に支配され、紀元前6世紀以降はペルシャ帝国の支配下となります。

アレキサンダー大王の統治の後は、セレウコス朝、ローマ帝国、そしてビザンティン帝国の支配と、この辺り一帯にみられる一様の歴史を歩みます。
7世紀中頃にはアラブ人に支配され(イスラム化が進む)、セルジューク朝支配の後、1097年には第一次十字軍の支配下となります。1516年にはマムルーク朝の支配下となり、1517年にはオスマン朝の支配下に入ります。

そして、第一次世界大戦時の1918年、この地はフランスの統治下となります。1938年までの間、このイスケンデルンを含むハタイ(Hatay)県は、フランス領シリアの一部として統治されたという歴史があります。
1938年9月7日より、1939年6月29日までの間は、「ハタイ共和国」という国が作られていましたが、1939年6月29日、正式にトルコ共和国へと編入されました。

トルコには、色々と激動の歴史を駆け抜けてきた町が多いのですけれど、ここイスケンデルンも例に漏れず。ほんの最近まで激動の歴史の真っ只中にいたのですよね。

【追記】
ところで、現在のイスケンデルンは、町の北側に大規模な重工業地帯をかかえる、産業・工業都市となっています。高台を走る高速道路からは、煙突からモクモク煙が立ち上がっている様子がよく見えました。
そういうこともあって、近年は海や空の汚染が酷いらしく、公害も問題となっているようです。発展し続けるトルコの、もうひとつの姿がここにもありました。
また、町の中心部には、これといった見どころ(歴史的なモスクや建築物etc.)もなくて、ちょっと寂しいです。

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それでは、ここから本題です!って、またまた食べ物のことなんですけれどぉ.....。

この町には、ダンナの仕事上の知り合いの方がいらして、美味しいお店に案内してくださいました。
その時は、奥様とお子さんは奥様の実家へ里帰りされていて、お会い出来なかったのが残念でした。

イスケンデルンの町より、海沿いに南へ車を走らせると、瀟洒な家々が建ち並ぶ別荘地へと入っていきます。その先は、リゾート地としても有名なアルスス(Arsuz)という小さな町。
そのアルススの手前、別荘が並ぶ一角にあるシーフードレストランです。やっぱり海辺に来たからには、シーフード
この日は、ちょうどダンナの誕生日でもあったので、お祝いも兼ねて。

まずは、前菜(メゼ=Meze)から。
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イスケンデルンは、一時期シリア領だったこともあって、シリアやレバノン風の前菜が多く見られるんです。
・写真一番奥は、レバノンのメゼの代表的なもの、〝タブーレ(tabbouleh)〟
たっぷりパセリの香りが嬉しい、ブルグル(挽き割り小麦)とトマトのサラダです。レモンやスマック(※)がたっぷりと使われていて、オリーブ油もたっぷりな割にはあっさりと食べられて、とっても美味しかった~!
・その左下は、私の大好物、フムス(Humus)。パンがすすむ~。さすが本場のフムスは香ばしくって美味しかったぁ!
・その下の白い物は、羊の白チーズ。クルミと一緒に。トルコ人的には、「ラク(rakı)には白チーズ」なのです。
・右真ん中の赤い物は、ムハムマラ(Muhammara)。これも私の大好物~。ナル・エクシシ(nar ekşisi)というザクロシロップがかかっていて、ピリリッと辛くって、これもまたパンがすすむのですぅ。危険。
・右手前は、グリルした赤ピーマンのヨーグルト和え。

※スマック(sumak)・・・中東地域でよく使われる、赤紫蘇のような濃い紫色と香りをした酸っぱいスパイスです。こちらに写真があります。

メインは、ラゴス(Lagos)という地中海でよく捕れる魚。日本では、たぶん「クエ」です。
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この町では、「カヤ・バルーウ(Kaya balığı)=岩の魚」と呼ばれたりしていました。うん、なるほど、見かけは岩っぽい。
小ぶりなものを素揚げにしてもらいました。緑色のはライム?と思ったのですけれど、レモン。
このもっちりとした食感と、淡白な味でとぉっても美味しい魚ですよね~。揚げたのも美味しかったです!
クエって、日本でも高級魚ですよね。ここトルコでもお高いお魚で、地中海地方以外ではなかなかお目にかかることがないんですよ。でも、ここ地元では、比較的割安に食べられまして、うふふっっラッキーでしたぁ。

波のせせらぎを聞きながら、美味しいメゼの数々とラゴスのご馳走~。パンもいっぱい食べておなかいっぱい。そして、私は白ワイン(ハーフボトルです、ちなみに)でホロ酔い~。
ダンナのお誕生日も、こうして楽しく夜が更けていったのでした!

で、フィニッシュ。 な筈がぁーーー。 ↓↓↓ 


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by yokocan21 | 2008-10-15 07:43 | 旅・散歩  

ココレチ&ムール貝のB級グルメ

去るバイラム(Bayram)中のある日のこと。
その日は夕方からある所へ出掛ける予定がありましたので、昼間の空いた時間にどこかへ行こう~、ということで、これまた懐かしのあの場所へ~。

目指すは、タクシム広場よりイスティクラル通りをひたすら下ります。祝日中ということで、普段の何倍もの人出のある大通り。歩行者天国ストリートは、えらいことになっていました。
それでも、通りの左右に建ち並ぶ歴史ある建物などを眺めながら(すごく素敵な古い建物が多いのです、この辺りって)、ひたすら目的地へ~。

f0058691_7222713.jpgその日の、イスティクラル通りはこんな感じでしたよ。 →

子供は、二度とこういう日には連れて来るなぁーーー!と怒っていましたが。
〝人の背中やお尻ばかりで、視界ゼロ〟ということ。なるほど.....。



で、こんなもの食べてます。↓ 何でしょう?
f0058691_7231942.jpg

ココレチ(Kokoreç)といって、刻んだ羊の腸のスパイス入りトマト&チリ炒めです。
ココレチは、このようにサンドイッチにして食べるのが一般的。ダンナの大好物でもあるんですよね。
このお店のは、かなりスパイスとチリが効いていて、見るからに真っ赤か。そのためか、羊の(腸の)臭みが気にならなくて、私でもまぁ食べられます。

f0058691_7235842.jpgこちらは、店先でココレチを作っている様子。

分厚い鉄板で、細かく切った腸や唐辛子などを炒めています。おじさん、両刀で豪快に混ぜる・混ぜる。


このお店、屋号が『シャンピオン・ココレチ(Şampiyon Kokoreç)』という位に、ココレチの有名店なんですけれど、サイドメニューにも美味しいものが色々とあるんです。

まず、ムール貝のドルマ(ミディイェ・ドルマス=Midye Dolması)
スパイスやハーブで味付けされたお米をムール貝に詰めて煮たもの。
ちゃんと殻を開けて出してくれました。レモンをギューッと絞って、片方の殻で中身のドルマをすくって、お口にパクッ。うーーん、美味しい~!お皿の5個があっという間になくなってしまいましたぁ。これで1人前。
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こちらは、ムール貝のフライ(ミディイェ・タヴァ=Midye Tava)。ムール貝のフライをサンドイッチにしてもらいました。
ニンニクたっぷりのソースがかかっていて、パクパクいくらでも食べられそうです。パンは、1/4にしてもらいましたので、量的にはちょうどよかったです。
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子供は、スパイシーなココレチは食べられないので、炒めたソーセージのサンドイッチ
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f0058691_7254862.jpg各テーブルには、このような超辛い小粒の唐辛子が置かれていて、好きなだけ食べてもOK。

これら、屋台でもよく見かける、トルコの代表的B級グルメ。ちゃんとしたトルコ料理も勿論美味しいのですけれど、B級ものもあなどれない美味しさ~。


ところで、ディヤルバクルでは、美味しいココレチには出会えず(というよりも、ココレチを食べる習慣がないようです)、ムール貝だなんて、全くお目にかかったことがありませんでした。
イスタンブルに行くと、まず〝ムール貝!〟だった私は、とってもとっても大満足~~~♪
ちなみに、ココレチに関しては、私はなくても生きていけます。

※ココレチ、ここのお店やイスタンブルの大方のお店では、このようなスパイスたっぷり、トマトや唐辛子がふんだんに入ったものを見かけるんですけれど、ダンナの地元イズミルでは、焼いて刻んでチリで味付けした、とってもシンプルなものをよく見かけるようです。
どちらも美味しいのですけれど、ダンナ的には、やっぱり出身地イズミル風のシンプルな物の方が好きなんだそうで。
今度、機会があれば、そのシンプル・ヴァージョンもお目に掛けたいと思います。

いきなり、あまりにもディープなお昼ご飯となってしまい、そしてまだ時間がありましたので、今度は
来た道を逆に向かい、タクシム広場横のお気に入りのカフェでちょっと一服。

f0058691_727168.jpgもちろん、お店の前のオープンエア席で。

ここのケーキ、美味しいのです~。
これは、私の頼んだ、〝ブラウニーのチーズケーキ〟。チャイと一緒に。

台になっているブラウニー、クルミがたっぷりで、コクのあるチーズケーキととってもマッチしていました。
概して甘さたっぷりなケーキの多いトルコで、このお店のケーキは甘さも控えめで、トルコらしくない(!)美味しさなのです。
(最近は、イスタンブルのモダン・オシャレ系のカフェで出てくるケーキは、かなり美味しいと思います)


このカフェ、相当昔からあるお店で、以前は普通のケーキ屋さん、といった感じだったのですけれど、10年近く前でしょうか、全面改装してからはお料理も出すようになって、ケーキ屋さん+ビストロ、といった風情になりました。
お料理もたくさん種類があって、なかなかに美味しいのですよ。(トルコ料理じゃないです)
ちなみに、お店の名前は、『GEZI ISTANBUL』。

やっぱりイスタンブルには、濃いものからオシャレなものまで色んな食べ物があって楽しいなぁ~と、つくづく思いました!
まだまだお上りさん気分全開♪


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by yokocan21 | 2008-10-10 07:31 | トルコ料理  

海辺をお散歩&ピッツァ

トルコでは、先月末・9/27の土曜日より、今日・10/5までの9日間、学校や殆どの会社は何と(!)9連休だったのです~。
9/30より10/2の3日間は、断食明けのお祭り、ラマザン・バイラム(Ramazan Bayramı)でして、そのバイラムと前後の週末を含んだ大型の連休となったわけです。
でも、悲しいことに、我が家はダンナの仕事の関係で9連休はならず。短縮のお休みで、楽しみにしていたイズミル(İzmir)方面行きはお流れとなってしまいました。あーあ。義母が夏の間いるディディム(Didim)という町と、イズミルに行こうと何ヶ月も前から計画を練っていたんですけれどね。今度のダンナの仕事は結構忙しいらしく、思い通りに休みが取れなかったのです。
(イズミル在住ブログお友達のyukacanさんや、同郷のTさんにもお会いしたかったのにぃ~)

そんな中でも、以前から親しくしている友人達やダンナの上司達を訪ねたりして、休日を過ごしておりました。
9月中頃から雨模様の多いイスタンブルだったんですけれど、バイラムが始まるやいなや、急にお天気がパァーッと良くなって、ぽかぽかの小春日和の連続となったのです。
肌寒い日々の中、しまってしまった夏物が悔やまれました~。日中は半袖でも十分な暑さだったんですよ。

そういうぽかぽか陽気に誘われて、目指すは、私たちの大好きな町、イェシルキョイ(Yeşilköy)
マルマラ海沿いの、瀟洒な邸宅が建ち並ぶ昔からの住宅地です。
以前にイスタンブルに居た頃、よく遊びに来た場所で、小さな子供連れには嬉しい芝生がたっぷりとあって、公園もあって、何かと便利な所なのです。当時はまだ小さかった子供も、さすがにこのマリーナや芝生の公園など、よく覚えているそうです。

小さな漁港とマリーナが隣同士になっています。こちらは、マリーナ。比較的小型のヨットやクルーザーがずらり。
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マリーナと漁港に平行するように(ということは、海岸線に平行ということですよね)、遊歩道が整備されています。遊歩道の向こう側には芝生の公園。その向こう側には、プール付きの邸宅がズラーッと並んでいます。
この辺りは空港が近いこともあってか、建物の高さが制限されているようで、それぞれ個性的な建物なのに景観に均整がとれているのが素敵です。
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昔ながらの木造邸宅も所々に残されていて、↓のお宅は、可愛いなぁ~といつも見惚れているお家の一つです。(すみません、勝手に激写させて頂きました)
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オスマン朝様式の建物も少しですけれど残っていて、お手入れが大変でしょうけれど今も住んでいらっしゃるお宅もちらほら。
ただ、時代の流れからか、売りに出されていたり、放置されっぱなしの荒れ放題、という建物の方が多いのは残念です。

そして、マリーナの向かい側にはレストランやカフェなどが並んでいます。
その並び中で、以前から気になっていたのがこの教会。 (↓) ベルが鳴っているので、ちゃんと活動しているようです。
調べてみたら、『ラティン・カトリック教会(Latin Katolik Kilisesi)』というそうです。
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イスタンブルは、昔からイスラム教とキリスト教、はてまたユダヤ教が隣同士になって生活してきた街。
なので、昔からの地区を歩いていると、思わぬところで教会に出くわすことがあるんです。ちなみに、私の住む地区にも、教会が大小何箇所かあります。


ブラブラ歩いていると小腹がすいてきたので、以前も何度かお邪魔したことのあるイタリアンのお店へ。ここ、ピッツァが美味しいのですよ。

まず、こちらは突き出し(と呼んでいいのだろうか.....)の〝タイム&チリペッパー入りオリーブ油〟と、〝フォカッチャ〟。
フォカッチャにオリーブ油をたっぷりと付けて食べます。お、美味しい~!
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私は、〝マッシュルームと牛ハムのピッツァ〟(右)。ダンナは、〝ソーセージとブラックオリーブのピッツァ〟(左)。
もちろん、ビールで!日向を歩いた体に、ビールがよーくしみ込みましたぁ。ふぅわぁ~~~。
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ちなみに子供は、おやつを食べた後で、あまりお腹がすいていないということで、私たちの分から取り分け。

〝チョコレート・スフレ〟。なんと、店長さんからのプレゼント。
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以前住んでいた時にも、何度かこのお店を利用したことがあって.....などとお話をしていたら、喜んで下さって、こぉんなに嬉しい&美味しいプレゼントです。
ほぉんと、ここのスフレって、美味しいのです~!たっぷり生クリームとパウダーシュガーをかけて頂きました。

ちょっと遅い午後のまったり気分。海辺の清々しい風に触れて、あぁ幸せ~♪なひとときでした。
って、やっぱり食べ物なしでは物を語れない私.....。

イスタンブルを離れて4年、でも昔馴染みの町は、今も素敵なままでいてくれました。色んな思い出と共に、とっても懐かしい気分に浸れたある日の午後。
懐かしい町を訪ねては、あぁ帰って来たなぁ~と、ホッと出来る瞬間を楽しんでいるこの頃です。


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by yokocan21 | 2008-10-06 06:56 | 普段生活