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春の市場とピクニック

今日も、〝春♪の話題をお届けしたくって、またまたマルディン紀行はお休み。

うちの近所の青空市場です。道端にズラーッとお店が並びます。
ここは野菜や果物が中心ですけれど、衣料品や日用雑貨のお店もちらほら。中には、近くのティグリス川や湖(多分ダム湖)で捕れた、恐ろしくデッカイ鯉などの川魚も売られています。

トルコ語で青空市場は〝パザル(pazar)〟。パザルというと、「日曜日」の意味もあるんですけれど、昔、日曜日に市が立っていたことから、こう呼ばれているんだとか。
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日増しに赤みが増していくトマトが嬉しいですねぇ。春の野菜、サヤインゲンも登場してきました。
ズッキーニやキュウリ、ナスなどは、冬でも手に入る定番野菜。

この写真、家に帰って来てから見てみて、ひゃーーーっと驚いたことがぁ!
なぁんと、私の大好きなアーティチョークが写っているではないですか~。積み重ねれられたトマトの端っこに、2.3個。市場に行くたび、アーティチークはチェックしているんですけれど、今年はまだだよなぁ.....なんて、ショボリンとして帰って来ること幾度も。いやぁ~ん、私、どこ見ていたんでしょう。次回はちゃんと大きな目を開けて、アーティチョークをくまなくチェックして来なくては!
我が家の春は、アーティチョークなしでは始まらないのですよ。

こちらは、青もの野菜たち。
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青ネギがお行儀良く並んでいますねぇ。
一番奥・上の段には、ほうれん草。その下の段にあるのいはマルル(marul)と呼ばれるロメインレタス。
手前はテレ(tere)と呼ばれるコショウ草。こちらでは刻んでサラダに入れて食べるんですけれど、かなり辛味が強くて、子供は絶対に食べないし、私たちもちょっと苦手。なので、サッと茹でて、からし菜のようにゴマ和えにすると美味しく食べられるんですよね。

テレの向こう側には、ロカ(roka)と呼ばれるルッコラ。日本のものよりも数倍大きい葉っぱで、苦味も強め。
ロカと青ネギとマルルの挟まれたエリアにあるのは、マイダノス(maydanoz)と呼ばれるイタリアンパセリ。トルコ料理には欠かせない青ものです。

こちらは、果物色々。
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いよいよイチゴの季節到来~♪最近は冬でもハウスものがかなり出回っていますけれど、やっぱり旬のものが一番!まだちょっと高めですけれど、しっかりと甘味もあって美味しかったです!

イチゴの上には、ブラッド・オレンジ。トルコ語でも同じく〝血のオレンジ(カン・ポルタカル=kan portakal)〟と呼ばれています。色はかなり濃い紫がかった赤。これ、絞ってジュースにして飲むと、とぉっても美味しいのですよね~。

手前、キウイの左側にあるのは、アーモンドのまだ若い実で、〝チャ-ラ(çağla)〟といいます。
そのままポリポリ。青臭くって、私には味があるのかないのかわからない代物で、苦手№1なものなのですけれど、好きな人は好きなようで、買っていく人も多いですねぇ。
こちらが、そのチャ-ラのUP。
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春の陽射しの中を、ブラブラ市場散歩。寒い季節や暑い季節は出掛けるのも億劫な青空市場ですけれど、こういう気候のいい時期はとっても気持ちがいいですねぇ。

*:…:*:…:*:…:*:…:*:…:*:…:*:…:*:…:*:……:*:…:*:…:*:…:*:…:*:…:*:…:*:…:*:…:

で、続きはの、「☆続き・ピクニック☆」よりどうぞ。

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by yokocan21 | 2008-03-31 20:56 | 普段生活  

春の花とそら豆

今日も、マルディン紀行は脱線。

春爛漫な今日この頃、近くにを探しに出掛けてみました。
この町って超乾燥地で、プラス夏の超激暑ということもあって、植物には厳しい環境。でも、何とか頑張って咲いている花々もいるんですよ。
家の前の草むらには、カモミールの花が満開で、まるで白い絨毯のよう。(その様子は、以前のこちらの記事でも紹介)

少し歩いた公園では、アンズやアーモンドの木にも、健気に可愛いお花が咲いていましたぁ。

こちらは、アンズの花。遠目には梅にも見えます。いい香り♪
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こちらは、アーモンドの花。→すみません、これ多分、スモモの花です。
ちょっと桜っぽい雰囲気で、これが満開になると日本の春を思い出します。
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で、次は、いかにも〝春〟な旬のお野菜の登場です。

市場や八百屋さんで、色鮮やかな春野菜を見かけると、ウキウキしちゃいますよねぇ。
トルコにも春野菜が色々ありまして、そんな中から今回は〝サヤ付きそら豆〟の紹介です。
お豆さんオンパレードな春ですけれど、真っ先に登場してくるのが、このそら豆(トルコ語で、バクラ(bakla))。そしてそら豆に続いて、エンドウ豆、サヤインゲン、ササゲ(黒目豆)、そしてヒヨコ豆と順々に出てきます。

初春の時期のそら豆は、こうしてサヤごと売られていまして(↓)、トルコではこのサヤごと煮込むんですよ。もちろんオリーブ油をたっぷり。
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日本でそら豆というと、丸々プクプクとした中身の姿しか知らなかった私。このサヤごとのを見た時は、とっても新鮮で、しかもサヤごと食べるだなんて想像を絶していましたぁ。
でも、サヤごと煮込んだそら豆って、とってもいい香りがして、独特の甘味と苦味があって、私は大好き♪この時期にだけ作れる、とっても貴重なお料理です。
(もう少し温かくなってくると、お豆さんがどんどん成長してサヤも大きく硬くなり、丸ごと食べるなんて出来ないです)

こちらが、出来上がり。サヤ付きそら豆のオリーブ油煮です。トルコ語では、ゼイティンヤール・バクラ(Zeytinyağlı bakla。)煮込む時にも仕上げにもディルを使うので、とってもいい香りです。
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日本では、サヤごと売られている事があるのかどうか、わからないですけれど、一応、作り方も載せておきます。機会があれば、是非作ってみて下さ~い。

ちなみに、成長したそら豆もサヤごと売られていることが多いんですけれど、サヤが分厚く硬すぎるので、丸ごとは食べられません。お豆さんを茹でて塩を振って食べたり(日本と同じですね)、オリーブ油で煮たりします。トルコに来て、そら豆の美味しさを再発見した私です!

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by yokocan21 | 2008-03-27 21:01 | トルコ料理  

今年最初のピクニック

今日は、マルディン紀行を脱線。

こうも気候が良くなってくると、そこここから聞こえてくるのが、ピクニックの声です。
トルコ人がピクニックというのは、〝お外でバーベキュー〟のことで、炭火を熾してお肉ジュ-ジュ-のことなんですよ。
BBQ、トルコでは〝マンガル(mangal)〟と言いまして、これがなければ生きてゆけなーい、って位に皆が愛してやまないものなんですよね~。遠い昔、草原の遊牧民だった遺伝子が騒ぐのでしょうか。

こちら、先週半ばから急に温かくなって、昼間は半袖でもOKってくらいにポカポカです。(今日は、27℃だったそうですよ~)
「そろそろやりたいねぇ、マンガル!」なぁんて我が家でも話していたところに、グッドタイミングな電話がかかってきました!
友人一家からのお誘いです。
「んじゃぁ、早速、明日行く?」と、即決。
日曜日(3/23)、近くのピクニック場(※注)へ行ってきましたぁ~。

Yちゃん一家とは、もう何度も一緒にピクニックに出掛けているので、要領得たもの。
材料を手分けして購入。今回は、チュプラという鯛に似た魚で。もちろん、横にはトマトや赤ピーマン、ジャガイモも。
今回、サラダはYちゃんが作ってきてくれました。で、もちろんビールは忘れずに。

この、炭火用の四角い箱が、マンガル。
チュプラ(çupra)たち、美味しそうに焼けてますねぇ。もの凄い煙で、辺り一面が魚臭い煙で真っ白!
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炭火で焼くお魚って、最高に美味しいですよね♪うちでは、ここまで美味しく出来ません。

並んで置いたもう一つのマンガルには、トマトと赤ピーマン。炭の中にはジャガイモが隠れています。
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焼いたトマトって、どうしてあんなに甘くって美味しいのでしょう~。それに、焼いて皮を剥いた赤ピーマンの甘味!なんとも言えませんよねぇ~。

こちら、お隣のテーブルのご一家が使ってらっしゃった、優れもの。魚専用の網!
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これ、いいですよねぇ。魚一匹づつを専用の網に挟んで焼くもの。ひっくり返すのがとっても簡単そう。
私たち、横目でチラチラと羨ましい光線を発しておりました。
で、そこは人懐っこいトルコ人たち、「これはね、こういう風に焼くんだよー」とか何とか、自慢気に披露してくれるのです。で、ついでにパチリッ!

タラフク魚と野菜を食べたあとは、Yちゃん得意のトルコ・コーヒー
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炭火で淹れたトルコ・コーヒーは特別に美味しいんだとかで、マンガルの後はいつもこれ。
じっくりと時間をかけて淹れるトルコ・コーヒー、細かい泡が見事に立っています!トルコ・コーヒーは、泡が身上。
まろやかな味で、陽が傾きかけた穏やかな時間帯にピッタリなコーヒーです。

子供達は、今年初めてのピクニックに大はしゃぎ。持ってきたボールや縄跳びで遊ぶ・遊ぶ。
私たちも、の~んびりお話。(時々子供達のボール遊びに参加したりなんかして)
久々のピクニックは、やっぱり楽しくって楽しくって、アッという間に時間が過ぎてゆくのです。
また来週もやろうねぇ~、なんて話をしながら帰途についたのでした。

はい、マジで来週もやっちゃいます!でも、次回はマンガルではなくて、家からの持ち寄りピクニックに致しましょう、ということに決まりました。お天気が良ければ決行。またレポートしまーす!

※ピクニック場・・・日本でもよくある、テーブルとイスがセットになったピクニック場が、町の郊外によくあります。私たちがよく利用している所は、松林の中にあって、適度に木陰があり、風もよく抜ける心地良いところです。マンガルをレンタルしてくれるところもあります。
トルコでは、大小色んなピクニック場があちこちにあって、週末は大賑わいです。


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by yokocan21 | 2008-03-24 04:46 | 普段生活  

マルディン紀行・5(モスク編)

前回紹介しましたモスクに続き、今回も〝マルディンのモスク〟、いってみます。
ここマルディンは、古くからイスラム系の王朝が活躍した土地柄、旧市街には、数々のモスクが林立しています。もちろん新しいものもあるんですけれど、特に歴史のあるものが目立ちます。
マルディンのモスクは、先が丸っこい感じで、どっしりとした印象のミナレット(尖塔)が特徴的です。ミナレットや壁に施された繊細なレリーフも、この町独特なものがあります。
そんな中から、素敵☆と思ったものを紹介します。

f0058691_613229.jpgアブドゥッラティフ・ジャーミィ(Abdullatif Camii)。またの名をラティフィイェ・ジャーミィ (Latifiye Camii)。

アルトゥク朝後期の1314年に、スルタンの家臣アブドゥッラティフ・ビン・アブドゥッラー(Abdullatif Bin Abdullah)によって建立されました。

ミナレット(尖塔)は、1845年、モスルの知事、ムハンメッド・ズィヤ・タイヤル・パシャ(Muhammet Ziya Tayyar Paşa)からの寄進だそうです。


f0058691_6144293.jpgこの正面の門構え、セルジューク朝の影響が大きいですねぇ。
元々、このアルトゥク朝自体が、セルジューク朝の配下から興った王朝だということを考えれば、納得でしょうか。
飾り気が殆どない分、正面のブルーや黒のレリーフが際立って綺麗!


f0058691_615612.jpgこのモスクは、二重の門構えになっていて、こちらは一番外側にある門。

修復されて間もないのか、ピカピカです。
こちらの門は、ちょっとレリーフにも凝っていて、なかなか見ごたえがあります。



f0058691_6154525.jpgメリク・マフムド・ジャーミィ(Melik Mahmud Camii) 。またの名をバブ・エス・スル・ジャーミィ(Bab Es Sur Camii) 。
1362年、アルトゥク朝元首、メリク・サーリヒ(Melik Salih)によって建立されたもの。

こちらも、門構えがセルジューク朝様式っぽいですね。


建物は正方形だそうで、中央部にドームが乗っています。
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内部。とってもシンプルな造りで、窓が少ないためか、薄暗かったです。
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ミンベル(※注)は木製で、よく見ると凝った彫刻が施されていました。
(写真は、許可を貰って撮っています)


スッティ・ラドゥヴィイェ・メドレセシ(Sıtti Radviye Medresesi)。 またの名を、ハトゥニイェ・メドレセシ(Hatuniyye Medresesi)。
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アルトゥク朝スルタン、クトベッディン・イルガーズィ(Kutbeddin İlgazi)の母、スッティ・ラドゥヴィイェ(Sıtti Radviye)の名の付いた神学校です。
12世紀の建立で、アナトリアでも最も古い神学校の一つとされています。(現在は使用されていません)
マルディン色の石で造られた、2階建ての重厚な建物です。

内部のモスク部分には、クトベッディン・イルガーズィ(手前)と母スッティ・ラドゥヴィイェ(奥)のお墓(石棺)が並べられています。
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トルコの高貴な方(男性)のお墓には、このように帽子(イスラム帽)がかぶされています。お墓によっては、ターバンということもありますね。また、女性のものには、白いスカーフが。
深い緑色は、イスラムの象徴的な色。

f0058691_6195939.jpgこちらは、イスラム教創始者・ムハンマドの足跡だとされているもの。

警備の警官のおじさんが、わざわざ鍵のかかったガラス箱を開けて下さいました。
男性のものの割には、意外と小さな足でした。

トルコは昔からイスラム教の王朝が連綿と続いている土地ですので、各地にムハンマドの聖遺物が残されていますよね。
ムハンマドの聖遺物をこうしてコレクションする、というのは、時の支配者にとっては実力を誇示する絶好のものだったのかもしれないですね。



最後に、
どうしても訪ねてみたい神学校があるんですけれど、いまだに叶えられていないのが。
ズィンジリイェ・メドレセシ(Zinciriye Medresesi)。またの名をスルタン・イサ・メドレセシ
(Sultan İsa Medresesi)といいます。
f0058691_6441468.jpgマルディンの町の、一番高い所に位置する神学校で、1385年建立の、石の彫刻が素晴らしいものだと聞いています。
2006年暮れ、神学校の上部の岩山が崩れ建物の一部に損傷が出たと、新聞で読みました。
そして、昨年(2007年)の春に訪れた時、地元の人にそのことを尋ねてみると、何と死者も出たらしい、ということなんです。大変なことになっていたらしいです。
よって、神学校は閉鎖中で、当分の間は立入り禁止だということでした。
続いて半年後の秋に訪れた時にも、そのことを聞いてみたんですけれど、やっぱり閉鎖中でした。
とっても残念なことで、悲しい思いでいっぱいです。
(こちらの画像は、www.discoverturkey.comより拝借しました) 凄い装飾でしょう~。憧れます。


※注 ミンベル(minber)・・・礼拝の際、イマーム(イスラム僧)が説教するために使う説教壇。


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・マルディン紀行3
・マルディン紀行4
・マルディン紀行6
・マルディン紀行7
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by yokocan21 | 2008-03-19 06:28 | 旅・散歩  

マルディン紀行・4(歴史概要&モスク)

久々に、マルディン(Mardin)の紹介でも。

大好きな町・マルディン。
ここディヤルバクルから南に約90km。車で1時間程と近いこともあって、この3年半の間にもう4回も訪れているくらいに、私にとっては魅力たっぷりな町なのです。
1年前にも紹介しているんですけれど、今回はもうちょっと踏み込んで書いてみたいと思います。
写真などは、昨年の春と秋に訪れた時のものです。

まず、マルディンといえば、この光景ですよね。
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岩山に貼りつくように建てられたベージュ色の四角い家々。岩山のてっぺんは城塞です。
前回の記事では触れなかった歴史についても、少し触れさせて下さい。この町は、あまりにも歴史が古くって、自分では頭の整理が出来ていなかったのですけれど、さすがに4回も訪ねていると、こんな頭でも少しずつ整理がついてきました。(興味のない方、サラサラーッと流して下さいませ)

〝北メソポタミア〟であるこの辺りに人が住み始めたのは、紀元前8000年頃のことで、マルディンが町として形成されたのは、紀元前4500年頃だといわれています。
地理的にとても重要な位置にあるマルディンは、古くから様々な民族に支配され続けてきました。
主なものだけでも、ミタンニ王国・アッシリア・ペルシャ帝国・ローマ帝国・ビザンティン帝国・アラブ人・セルジューク朝・アルトゥク朝・そしてオスマン朝。

紀元前4500年頃、スバリ人と呼ばれる人々がこの土地にやって来たのが町の始まり。
紀元前2850年、シュメール人の支配下に入り、その30年後の紀元前2820年にはアッカド人に支配されます。
紀元前2200年にはエラム人に支配され、一時的にヒッタイトやミディリ人にも支配されますが、紀元前1367年にアッシリアの支配下に入ります。その後、紀元前800年までマルディンはアッシリアの支配が続きます。アッシリア時代の町の名は、〝Erdobe〟。
その後、暫くの間はウラルトゥ王国に支配され、紀元前600年頃以降はバビロニア王国の支配下に入ります。ちょうどネブカドネザル2世の時代ですね。

紀元前539年には、ペルシャ帝国(アケメネス朝)の支配が始まり、紀元前335年にはアレキサンダー大王の支配、続いて紀元前311年からはセレウコス朝の支配、紀元前237年~131年の間はパルティア王国の支配を受けます。
249年からはローマ帝国に支配され、続くビザンティン帝国の支配を受けます。

640年にはアラブ軍の征服が始まり、この地はイスラム化が始まります。
692年にはウマイヤ朝、824年にはアッバース朝に支配され、1089年にセルジューク朝の支配下に入るまでの間は、ハムダ-ン朝(※注1)やマルワーン朝(※注2)に支配されます。
1105年にはアルトゥク朝(※注3)の首都となり、304年続いたアルトゥク朝の時期、マルディンは大いに栄えます。現在残っている主なモスクや神学校、隊商宿などはこの時期に建設されたもの。
その後、ティムール軍の攻撃にあい、町や城塞は破壊されてしまいます。
1409年からはカラコユンル朝(黒羊朝)、1462年からはアクコユンル朝(白羊朝)に支配されます。
そして1516年からはオスマン朝の支配下となります。

ひぃー、疲れたぁ。メソポタミア文明って凄く興味のある分野なんですけれど、いかんせん前後関係が殆ど掴めていないので、調べたはいいけれど、まとめるのが大変。知らない民族や王朝がわんさか。トルコ語の資料を元にしているんですけれど、間違った個所があればご指摘お願いします。

*** *** *** ***  *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***

それでは、ここからが今回の本題です。

f0058691_0115928.jpg町のド真ん中にある、アルトゥク朝時代のモスク、シェヒディイェ・神学校及びジャーミィ
(Şehidiye Medresesi ve Camii)。

おそらく1201~1239の間に、アルトゥク朝のスルタン・メリク・ナスルッディン・アルトゥク・アスラン
( Melik Nasruddin Artuk Aslan)によって建てられました。
正確な建立年はわからないのだそうですけれど、13世紀のものだということは確かなようです。

元々は神学校として使われていたものが、現在はモスクとして使用されています。



メインストリートより、裏道に入り、階段を少し下ったところが入り口。
その入り口の上部にあるレリーフがこちら。繊細なレリーフが素敵♪
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f0058691_0131663.jpgミナレット(尖塔)。

このミナレットは1916年に建てられたものだそうですので、新しいですね。
ぐるりが畝状になった珍しい形です。
この町のモスクや神学校のドームも、このような畝状になった物が多くって、これはマルディン独特のデザインのようです。

上部のバルコニー部分に施されている装飾が、またとっても綺麗~。


f0058691_0141496.jpg別角度から。岩山を背景に。

いかにもマルディン的な光景です。



このモスクを上から見ると。中庭です。
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以前が神学校だったというのがよくわかります。回廊に沿って小部屋が並んでいます。
奥に見える泉は、山からの湧き水を引いてきているんだそうです。勿論、神聖なお水。

この町は、一番上の写真でもわかるとおり、急斜面に造られた町ですので、下の建物の屋根が目の前にある、という構造です。
このモスクは、大通りの一本下に建てられていますので、大通り沿いでは屋根の部分を有効利用。屋外カフェ(チャイ・バフチェシ)となっています。

そして、その屋外カフェ(実際にはモスクの屋根の上)から眺めたマルディンの町。
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岩山のてっぺんには城塞が。手前の大きな建物は警察だったでしょうか。郵便局も入っていました。
この眺めは圧巻でしたぁ!こぉんな絶景を眺めながらお茶が出来るだなんて、ひゃ~幸せ♪

とりあえず、今日はここまで。
次回は、他のイスラム建築を紹介予定です。

※注1 ハムダ-ン朝・・・10世紀、北メソポタミア地方(ジャジーラ)のモスル(現イラク北部の町)からアレッポ(シリア西北部の町)にかけて統治したアラブ人の王朝。詳しくは、こちら
 【追記】UP当初書いていました「ハムダニ朝」というのはトルコ語読みで、それを直接日本語に訳しても何も判らなかったのです。miriyunさんのコメントのヒントにより、「ハムダーン朝」とわかりました。本文、訂正しておきました。

※注2 マルワーン朝・・・10~11世紀にかけてディヤルバクルで興ったクルド人の王朝。
 【追記】トルコ語読みでは、メルヴァニ朝ですけれど、正確には、「マルワーン朝」。こちらも、本文、訂正しておきました。

※注3 アルトゥク朝・・・11~15世紀にかけて今のイラク北部・トルコ南東部を支配した、オーウズ系トゥルクマンの王朝。詳しくは、こちら


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by yokocan21 | 2008-03-18 00:23 | 旅・散歩  

家庭料理・ディヤルバクル編

またまたお料理の話題です。
お天気がこうも良くなってくると、お昼を外で~って気分ですよね♪
最近のお気に入りは、うちから歩いて行ける家庭料理のお店です。友達や、ダンナと待ち合わせたりして食べに行っております。
ここ、近場だというのに、何故か去年まで知らなかったという.....。
お店の入り口が1.5階部分にある、というためか、普通に前を見て歩いていると、視界に入ってこなかったんですよね。

そこは、テーブル10席ほどのこじんまりとしたお店で、お昼時には近くのビジネスマンやOL、主婦達で大賑わいです。
おばさんが作るトルコの典型的な家庭料理。南東部風なので、ピリッと辛くって、それがまたたまらなく美味しいんです!

では、最近写真に収めてきたお料理を少し紹介してみます。

f0058691_2021749.jpgまず、私のお気に入りのドルマ(dolma)

この地方独特の、少々酸っぱくって辛くって、粗挽き挽き肉入りの温かいものです。
一人前、でっかいピーマンとナスが計四つ。
これ、ピーマンやナスの旬でないこの季節でさえ、とぉってもコクがあって美味しいんで、夏場ならもう、とんでもなく美味しいんでしょうねぇ。

挽き肉入りのドルマって、普通は辛くはなく、もちろん酸っぱ味なんてないんですけれど、この町で食べるものは、スマック(sumak)というスパイスを入れてあるので、独特の酸っぱ味があって、少々濃いめのトマト味が、いかにも南東部~。
自分で作っても、この美味しさは出せないんですねぇ.....。

ちなみに奥のサラダは、サービスで出てきます。



こちらは、角切り羊肉と野菜の煮込み。↓
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ギュヴェッチ(güveç)という、素焼きの土鍋で煮込んだもので、ナスや唐辛子とトマトがたっぷりと入っています。もちろん、辛~い!
でも、辛味が嫌味がなくいい感じに効いていて、パンがすすむ・すすむ~。

ギュヴェッチというのは、土鍋にお肉や野菜をぶち込んでオーブンでじっくりと煮込んだものなので、素材の美味しさがギューッと詰っています。

トルコの食堂では、一般的に一人用の小さなギュヴェッチで出てくるんですけれど、この町では、こうしてお皿に盛って出てきます。
(一人用の小さなギュヴェッチ・・・こちらで紹介しています)

こちらは、イチリ・キョフテ(Içli köfte)。↓
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スパイシーな挽き肉と砕いたクルミをブルグル(ひき割り小麦)で包んで茹でたもの。(※注1)
この町では、揚げたものが多いんですけれど、このお店では茹でたものを出しています。茹でたものの方が、やっぱりさっぱりとしていて、いくらでも食べれそうです。
茹で加減が絶妙で、この町で食べた〝茹でイチリ・キョフテ〟№1ですね!


奥左が、仔羊肉の煮込み。右はクル・ファスリイェ(kuru fasulye=乾燥インゲンの煮込み)
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写真、手前にデデーンとサラダなんて持ってきちゃって、思いっきりミスショットですわ。
ウエイターのお兄さんお薦めの仔羊肉の煮込みは、お肉はとっても柔らかくって、揚げたポテトとの相性もバッチリ!
羊肉って、こぉんなに美味しかったのねぇ、という一品でした!普段、滅多に口にしない羊肉なんですけれど、こういう風に美味しくお料理されて出てくると、また食べてみよう~って気になります。

クル・ファスリイェは、トルコの定番家庭料理であり、また食堂の定番メニューでもあります。
角切りの羊肉が入っています。
このお料理、私、あまり好きではないんですけれど、ダンナが食べてた横から味見をさせてもらうと、うーん、美味しい!コッテリトマト味で、勿論ピリ辛。煮込み加減も良かったです。
やっぱり、こういう定番料理を美味しく出してくれるお店って、技ありですよねぇ。

で、昨日もまたまた友達と食べに行ってきたんですけれど、カメラを持っていかず、折角の美味しいお料理を激写出来ませんでしたぁぁぁ。
カルヌヤルック(karnıyarık)(※注2)、むっちゃ美味しかったんだけどなぁ。

ということで、「トルコの定番家庭料理・ディヤルバクル編」を少々紹介してみました。
家庭料理といっても、やっぱり地方によって様々。基本は同じでも、ちょっとスパイスが加わったり、その土地の食材を上手く利用したりと、地方色豊かなのが面白いです。
トルコ料理って、奥深いです♪

※注1・・・イチリ・キョフテには、この茹でたものと、揚げたものがあります。揚げたものは、こちらを参照して下さい。
※注2・・・カルヌヤルック→素揚げしたナスの真ん中を裂いて、挽き肉のトマトソースを詰めて煮込んだ物。こんな感じのものです。


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by yokocan21 | 2008-03-12 20:31 | トルコ料理  

ほうれん草のオリーブ油煮

ここ数日、めっきり春めいてきました♪
ポカポカ陽気に、鳥のさえずりも心なしか軽やか。お庭の芝生も一気に緑色が濃くなってきました。

そんなウキウキ気分の中、ちょっと髪を切ってみよう~、ついでに色も変えてみよう~って、乙女心がうずうず♪
日本では、今、梅の花が見頃のようですね。こちらディヤルバクルは超乾燥地のため、お花はあまり見かけないのですけれど、それでも探せばアーモンドやアンズの木があって、もうそろそろ咲く頃ではないでしょうか。

でも、こういう浮かれた気分の中、私にはアレルギーがありまして、春先はちょっと困ったもの。
日本にいた時は、それこそ毎年、アレルギー性の結膜炎に悩まされていたり、手の指に湿疹が出来たりと大変だったんですけれど、トルコに来てからはかなり改善されて、たまーに症状が出る程度でした。
ところが今年は、どういうわけか、まず目が痒くなって涙が出てきて大変。眼科に行って目薬を貰ってきてマシにはなってきたんですけれど、指の湿疹はまだ治りません.....。はぁ。
花粉症の方の大変さに比べたら、全然たいしたことではないですけれどね、でもやっぱり気分は凹。

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写真は、ディヤルバクルの新市街・サナート通り(芸術通り=Sanat Sokağı)と呼ばれている歩行者専用通の様子。
あまり春らしさは感じられない光景ですけれど、芝生の緑が〝らしさ〟を醸し出しているでしょうか。この通りには、小さなカフェがたくさんあって、気候が良くなってくると、屋外でお茶をする人が増えてきます。学生や若者たちの憩いの場となっています。

で、本題です。

冬から春にかけての旬の野菜・ほうれん草を使った簡単なお料理の紹介です。
ほうれん草のオリーブ油煮。トルコ語では、〝Zeytinyağlı Ispanak(ゼイティンヤール・ウスパナック)〟。
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ただ、ほうれん草をオリーブ油で炒めて煮たというだけの、むっちゃ簡単なものです。
トルコでは、野菜はとにかく「クタクタ」に煮ます。日本の「サッと茹でる」という感覚は全くもって通用しないんですよね。
なので私は、トルコの野菜料理を作るときは、郷に従え、でクタクタに煮ています。その方が、トルコ料理らしいですし!

シンプルでサッパリ、ほうれん草たっぷりなヘルシーメニューです。おひたしやバター炒めも美味しいですけれど、トルコ風ほうれん草もとぉっても美味しいですので、是非お試しを!

では、作り方は、↓↓↓。

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by yokocan21 | 2008-03-07 20:02 | トルコ料理  

ディディムとディディマ遺跡

先日、昨夏の旅行で訪ねたシリンジェ村の紹介をしたついでに、今回も旅のお話。
南エーゲ海の小さな町、ディディム(Didim)には、義母のサマーハウスがあるので、私たちも遊びに行っています。
トルコ人は海が大好き。夏の間、町の中の喧騒を逃れて、海の近くのサマーハウス(別荘)で過ごす、という人が多いです。普段イズミールに住んでいる義母も、夏の間(というよりは1年の約半分)をディディムで過ごしています。

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そこには、アルトゥンクム(Altınkum=黄金の砂)という遠浅の美しいビーチがあります。爽やかな潮風に吹かれながらまったりと過ごす午後のひととき.....。
この町の近くの他のビーチは、海水が冷たかったり、海草が浮いていたりと、雰囲気はいいのだけれど海水浴には向かないかなぁ、という所が多いんですけれど、このアルトゥンクム・ビーチは、どこまでも遠浅で海水も温かくって、しかも波が殆どない、といいことづくめ!私たちのような小さな子供のいる家庭には、もってこいの環境なんです。

ビーチに沿って、カフェやレストラン、バー、雑貨屋さんなどがズラーッと並んでいて、特に日が暮れた後には、すっごく賑わいをみせます。私たちも、夕食後、アイスクリームを食べながらブラブラ。
たまに子供を義母に預けて、ダンナとバーで一杯、なんてことも。うふふっ。

ここディディムは、近年イギリス人観光客や長期滞在者が多くて、お店にはポンド表示のメニューが並んでいることが多いんです。イギリス人用に建てられたアパートも多くて、義母の家の道を挟んで隣はイギリス人用のアパートです。
なので、お店のメニューにフィッシュ&チップスがあったり、スーパーには豚肉やハムが売られていたりと、小さな町の割には国際色豊か。

そして、このディディムの町のもうひとつの顔は、遺跡
町の入り口にそびえるアポロン神殿が目を惹く、ディディマ(Didyma)遺跡です。

と、ここでいつものように遺跡の説明。
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古代からこの地にはアナトリアの神を祭る神託所があったそうで、ここにイオニア人が入ってくると、その神託所はアポロン信仰のものに取って替えられました。
紀元前8世紀には、アルカイック式のアポロン神殿の建設が開始され、200年後に完成します。
しかし、紀元前494年にイオニアの反乱が起こると、この神殿はペルシャ軍によって破壊されてしまいます。
その後、紀元前334年、アレキサンダー大王によってこの地はペルシャから取り戻され、それに続くセレウコス朝には、新たにアポロン神殿の再建設にも着手されます。現在残っている神殿は、この時代のものです。

(←アポロン神殿の正面)


このアポロン神殿、当時は、24km離れたミレトス(Miletos)というイオニア地域最大の都市と、〝聖なる道〟で繋がっていました。この聖なる道の両側には、アポロンを始めギリシャの神の彫像が並んでいたそうなんですけれど、19世紀の発掘調査の時に、イギリスへと持ち帰られてしまいました。
大理石の石畳が敷かれた聖なる道は、今も一部が残っています。

ローマ時代には、ギリシャのデルフィに次ぐ神託所として大いに栄えますが、キリスト教が布教されるにつれ、だんだんと役目も小さくなり、4世紀、キリスト教が国教とされると、遂には神殿の役目も終わってしまいました。
そして、15世紀に起こった大規模な地震で、この神殿の殆どは崩れ落ちてしまい、現在の姿となりました。

ちなみに、〝ディディマ〟とはギリシャ語で〝双子〟の意味があるそうです。← 双子のアポロンとアルテミスにちなんでという説があり。

こちらは、神殿の袂に残る、円柱の土台。凝ったレリーフが美しい~。
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神殿の中心部・聖域へは、左右にある二つのトンネンルをくぐって入っていきます。
神殿は、正面の階段を上ったところ。 (写真は、聖域である中庭)
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f0058691_20424100.jpgこの聖域より眺めた神殿の円柱。


聖域の中で見つけた、グリフィン
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地震の凄まじさを現す、崩れた円柱。
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f0058691_2055746.jpg何の植物なのか、葉っぱなのか.....。
神殿の一部を飾っていたレリーフ。


遺跡の入り口近くに置かれていた、メドゥーサの首。
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アポロン神殿では、このメドゥーサは聖なる泉を守っていたようです。
神託を下す巫女が身を清めたり、また参拝者が身を清めたりした泉です。その泉は、今も形をとどめて残っていました。

当時の面影を偲ぶには、かなりな想像力が必要とされそうなほど朽ち掛けた遺跡なんですけれど、壮大な神殿の円柱などを眺めていると、やっぱりものすごく素晴らしい文化を誇った場所であることには違いないです。


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by yokocan21 | 2008-03-03 20:19 | 旅・散歩