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シャンルウルファ・美味しいもの編

前々回の記事の続き、ウルファ紀行・続編です。
ここウルファも、ガーズィアンテップ同様、食い倒れの町。早速食べに出掛けてみましょう~。

ウルファといえば、先ずチー・キョフテ(※注1)が有名なのですけれど、今回は何故かパス。
それ以外のウルファ名物で迫ってみました~。

まず、レベニ(Lebeni)(手前)という冷たいヨーグルトのスープと、ボスタナ(Bostana)(奥)というサラダ。
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レベニは、ヨーグルトに茹でた麦やヒヨコ豆の入った、南東部地方でよく見かける冷たいスープです。暑い地方ならではの、さっぱりとした具沢山スープで、後味もすっきり。
ボスタナも南東部地方のサラダで、たぶんウルファの名物だと思います。細かく切ったトマトやキュウリ、青唐辛子や青ネギ、ミント、パセリなどが入った、ちょっとピリッとした爽やかサラダです。もちろん、ザクロシロップ(※注2)がふんだんにかかっていて、お肉料理にはピッタリの、私の大好物。

フンドゥク・ラフマージュン(Fındık lahmacun)イチリ・キョフテ(İçli Köfte)。温かい前菜として出てきます。
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ラフマージュンはこのブログで何回も登場しているんですけれど、薄~いピザ生地のような皮にスパイシーな挽き肉やトマトソースなどを乗せて、石釜で焼いたものです。これは、普通のラフマージュンよりも小型なために、〝小さな〟とか〝可愛い〟という意味のある〝フンドゥク〟・ラフマージュンと呼ばれています。
ちなみに、〝フンドゥク〟とはへーゼルナッツのこと。
ラフマージュンは、こちら や こちら でも紹介しています。

イチリ・キョフテは、スパイシーな挽き肉と砕いたクルミをブルグル(ひき割り小麦)で包んで揚げたもの。
どちらも、ここウルファのお料理として超有名で、ケバブ屋さんの定番前菜です。

私のメインは、やっぱりこの町の名物、ウルファ・ケバブ(Urfa kebabı)
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ウルファといえば、とにかく〝辛い〟ものが多い町なんですけど、このケバブは全く辛くはなし。
シンプルな挽肉のケバブです。横に見えているラワシュという薄~いナンのようなものでクルリと巻いて食べるととっても美味しいんですよ。

f0058691_2018301.jpgデザートもこの町の名物で。シュルルック(Şıllık)というもの。

クレープ生地で砕いたクルミをクルクル巻いたものに、甘~いシロップがかかっています。ピスタチオのパウダーのトッピング。

これ、美味しかったんですよね~。
クレープ生地というのも珍しくって、歴史的に見て、遠い昔にフランスの影響を受けたことがあるからかなぁ、なんてことを考えてみたり...。まぁ、全く関係ないんでしょうけれど。
こういうの、家でも作れるなぁ、と思ってみたり。
思ったほど甘くなく、あっさりと食べやすかったです。バクラヴァよりは断然お気に入り!


ちなみに、このレストランで使われているテーブルクロス、とっても素敵な模様ですよね。この地方ならではのデザインなのだそうです。

ひぃ~、今回も食べましたぁ。
お昼に訪ねたこのレストランは、ウルファの伝統建築のお屋敷を改装して造られたもので、なかなかに雰囲気も良く、しかも、ウルファ城や聖なる魚の池やモスクの真ん前という絶好のロケーション。
途中、道を尋ねた警官のおじさんに教えてもらったお店なのですけれど、ただ、この場所柄、やっぱり観光客相手のお店なんですよね、お味の方はいまひとつ...かな。ケバブはここディヤルバクルで食べるものの方がずっと美味しいです。
ま、3階のテラスからあの景色を眺めながら食事が出来た、というだけでも良かったと思わないといけないですね。
なので、お店の紹介はあえて致しません。

で、このレストラン・Çardaklı Köşk(チャルダクル・キョシュク)の様子。
建物自体は、さほど古いものではなさそうですけれど、随所に施されたウルファらしい彫刻が素敵でした!
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f0058691_20213050.jpgウルファの伝統的なお屋敷といえば、こちらもとっても魅力的でした。

Konuk Evi(コヌック・エヴィ)という、元県の迎賓館だったところを、改装してプチホテル&レストランとしてオープンしたものです。

この町の建物は、全体的に白っぽく、石灰岩で造られたものが多いそうです。
ディヤルバクルの黒っぽい玄武岩の建物に比べると、光に映えてとても明るいのが印象的でした。
このお屋敷も、至る所にウルファらしい彫刻やレリーフが施され、またまた立ち止まっては見惚れる...の繰り返しです。

お昼を食べた後でしたので、お庭のカフェでお茶だけ。



以前に訪れた時も、あちこちと見て周ったはずのウルファなんですけれど、今回改めて訪ねてみるとまた新しい発見がたーくさんあって、またまた感動~。歴史に彩られたエキゾチックな独特の雰囲気と、人々の温かさや美味しいものたち、何度訪れても飽きないなぁと思う日々です。
トルコって、面白い町が多すぎです!

で、次回はウルファ近郊にある、〝あの〟村へーーー。  <つづく>


※注1  チー・キョフテ・・・生の挽肉とブルグル(挽き割り小麦)、唐辛子ペースト、トマトペースト、玉葱、ニンニク、香辛料などを混ぜて、こねこね、かなりの時間捏ね合わせて、肉団子状にしたもの。とぉっても辛いのが特徴です。チー・キョフテ(Çiğ köfte)とは、〝生の肉団子〟という意味。
過去の記事では、こちら や こちら ・こちら を参照して下さい。

※注2  ザクロシロップ・・・ドロッとした少々甘く、酸っぱいシロップ。サラダにかけるのが一般的です。こちら を参照して下さい。

【関連記事】
・シャンルウルファ・聖なる伝説の町を歩く
・シャンルウルファ・旧市街散策
・ハラン(シャンルウルファ近郊の村)

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by yokocan21 | 2007-11-28 20:31 | 旅・散歩  

ブルース・フェスティヴァル♪

f0058691_20503869.jpgことあるごとに、この町のことを「田舎町~!」と揶揄している私です。まぁ確かに田舎町なことには違いないわけでして、トルコの地方・しかも南東部の町だもんで田舎度はなかり高いです。
それでも、「何にもない」というわけではないんですよ。一応大きなスーパーもありますし、シッピングセンターも何ヶ所かあります。それに、今回はイベント!までもありましたよ~。

画像は、パンフレットを撮ったものです。


そのイベントは、『エフェスピルセン・ブルース・フェスティヴァル(Efes Pilsen Blues Festival』!
今年で18回目を迎える、トルコではかなり名の知れ渡ったブルース・フェスティヴァルです。
毎年、本場アメリカより様々なブルース・ミュージシャンがやって来て、国内を演奏して周っています。
今年は、全国20都市、23回のライブをするようです。
その内の1公演がここディヤルバクルでありましたぁ! ほっほっほっ。

もう先週の話になりますので、ちょっと新鮮味に欠けるかもしれないですけれど、むっちゃ楽しかったので、ここで書いちゃいます~。

ディヤルバクルへは、昨年もこの『(Efes Pilsen Blues Festival)』の一環でライブがあったのですけれど、とんだ手違いで(ダンナのせいなのだぁ)、行けなかったのです.....。なので、今年はもう行く気満々、何日も前からこの日を楽しみに待っていたのでした。わくわく。
会場は、普段は結婚式場として使われているところですので、広さはまぁまぁ、でもステージが低~い。 (この町には、一定の規模のライブを行えるハコがないのです)
オール・スタンディングだったので、前列目指してGO~!

男性が多かったので、3列目からでもなかなかステージは見えにくかったのですけれど、臨場感はバッチリ!
こんな感じ。タバコの煙で会場は真っ白。目が痛かったぁ。
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f0058691_20485244.jpgJohn Primer&The Real Deal Blues Band

全3ミュージシャンが登場したのですけれど、この人のステージが一番かっこよかった!
いかにも的な、しぶ~いおじさんのブルース・バンドでした。
ブルースのライブって、ほんとに久しぶりで、あの横ノリがたまらなく好きなんですよねぇ。
途中、Muddy Watersの曲もやってくれたり、もぉ~踊りまくりぃ~~~。


ブルース・シティ・大阪(!)のあのノリに比べると、どうしてもおとなしめでしたけれど、学生が多かったこともあって、とっても楽しい・エキサイティングなライブでした!

子供を友人宅に預けていったので、最後の一人は殆ど観れなかったのですけれど、まぁ仕方ないや。すかっり寒い季節になってしまったけれど、とってもホットなライブでした♪楽しかったぁ~!

※ウルファの記事を書いている途中なんですけれど、脱線しまくり。次回は元に戻って、ウルファです。

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by yokocan21 | 2007-11-26 20:58 | 普段生活  

やりました!トルコ・EURO2008出場決定~!

やりましたねぇ~、遂にやりました!
トルコ、EURO2008(ヨーロッパ選手権)に出場決定~~~♪
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昨日(11/21)のホームでのボスニア・ヘルツェゴヴィナ戦、絶対に勝たなければならない試合、見事1-0で勝利!予選を突破、出場権を手にしましたぁ。

いやぁ、苦しい道のりでした。長い予選の戦いの数々、スタートは好調だったのですけれど、途中、テリム監督の采配に「???」が付いたり、格下相手にまさかのドロー、そしてホームでギリシャに敗北...など、一時は予選突破も危ぶまれていました。ところが、執念のラスト2試合、ノルウェーにアウェイで勝利、そして昨日の勝利、と素晴らしい~!予選突破を果たしてくれました~。
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今回のEURO2008の予選は、もう何が何でも出なくては!というもの凄い意気込みがありました。
というのは、前回ワールドカップ(2006年・ドイツ)へはプレーオフで涙の敗退を喫し、その前のEURO2004(ポルトガル)でも、プレーオフで敗退しているだけに、今度こそは、という思いが強かったんです。

しかし、2006年ワールドカップへの出場を懸けたプレーオフ、トルコvsスイスの試合後の乱闘行為に対する制裁で、トルコ代表は、公式戦のホームゲームの試合を自国で出来ないというハンデがありました。(EURO2008の予選では、確か4試合がホームで出来なかったです)
にもかかわらず、重いプレッシャーやハンデにも押しつぶされることなく、お見事な予選突破!

おめでとう~~~☆

2002年ワールドカップ(日韓共同開催)の時のように、またまた赤い旋風が吹き荒れるんでしょうか~。楽しみです!

---それにしても、イングランド、どうしたんでしょう...。イングランドのいないEURO2008ですかぁ。
考えられないですよ。あぁ、べッカム、ランパート、リオ~。(悲)

ちなみにEURO2008は、来年2008年、6月7日よりスタートです。まだまだだわ、なんて思っていると、あっという間に時は過ぎていきます。待ち遠しいですねぇ。

※画像は2点共、fotogaleri.hurriyet.com.tr より拝借。勝利の瞬間の歓喜の様子♪

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by yokocan21 | 2007-11-23 04:29 | サッカーとかF1とか  

シャンルウルファ・旧市街散策

前回に引き続き、ウルファ旧市街の散策です。
「聖なる地域」からほど遠くない所に散在するモスクや市場などを見て周りました。

まず、この町でおそらく一番古いと言われているモスク。ウル・ジャーミィ(Ulu Cami =大モスク)です。
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この場所には、元はシナゴーグだった建物を改修した、5世紀初頭建立の聖ステファノス教会が建っていました。そしてザンギー朝の1170~1175年の間、その教会の上に、ウル・ジャーミィが建てられた、ということです。
教会の中庭の壁や石柱は、モスクに替えられた後もそのまま使われ続けていて、鐘楼だった塔は、ミナレット(尖塔)(↓)となっています。八角形のミナレットのてっぺんには、時計が付いています。
シリア・アレッポのウマイヤド・モスクによく似た建築様式なんだそうです。
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また、このモスクの中庭には、とっても古そうな日時計がありました。(中庭の中央左寄りの、四角い石の箱のようなもの)
ディヤルバクルのウル・ジャーミィにも日時計があるんですけれど、この地方ならではのものなんでしょうか。

モスクの日時計については、miriyunさんこちらの記事でとっても面白いことが書かれていましたよ。


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こちらは、ハサン・パディシャー・ジャーミィ(Hasan Padişah Camii)
メヴリディ・ハリル・ジャーミィ(Mevlid-i Halil Camii)(※)のすぐ横にあります。

15世紀中頃、アクコユンル朝(白羊朝) のスルタン、ウズン・ハサン(Uzun Hasan)によって建てられました。
ルズワニイェ・ジャーミィ(Rızvaniye Camii)(※)のとよく似た造りの回廊が印象的だったのですけれど、中庭が狭くて写真に収めきれす残念です。
太くてどっしりとしたミナレットも、いかにも南東部らしい造りです。



f0058691_650143.jpgその近くにある、パザル・ジャーミィ(Pazar Camii)。   
詳しいことはわからずです。



f0058691_6504967.jpgウル・ジャーミィ近くの小径。

この辺りは、このような石壁の家々と細い小径が迷路のように繋がっていて、中世にタイムスリップしたかのような、静かな時間が流れています。

この町独特の建築で、出窓があったり、壁には細かいレリーフが施されていたりと、とっても趣のある地域なんですけれど、いかんせん保存が良くないのです。朽ち果てかけた家もあちこちで見かけられましたし、何とか綺麗に修復してあげてくださーい。
トルコの古い地区にありがちな、スラムっぽい町並みになりつつあったのがとても残念です。


f0058691_6513089.jpgこれは、その小径で見つけたあるお宅の玄関扉。

中央にカーバ神殿が描かれています。「メッカ巡礼に行きました」という記しなんです。
トルコの古い地区では、玄関扉の上にこのような「メッカ巡礼」記念の絵を描くお宅を時々見かけます。厚い信仰心の表れと、ご近所への自慢!?



こちらは、べデステン(Bedesten)と呼ばれる屋根付きのバザール。
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1562年に建てられ、以後何度も修復されています。
前回(15年も前)訪れたときは、まだ修復がなされていなくて、ジメッとした、かなーり暗いイメージがありましたけれど、現在はとっても明るく清潔感もありますよね。
天窓から差し込む光が、とても幻想的でした。

この日はあいにく日曜日でしたので、この辺り一体に広がる数々のバザールの殆どがお休みで、
ブラブラとすることが出来なかったのが悲しかったです~。
銅製品や絨毯のお店、日用品のお店など、閉まっているところが殆どでした。あと、バザールの裏手には、職人街があり、そういうところって大好きなんですけれど、そこもお休み...。えーん。

べデステンの中のスカーフ屋さんで、この地方の男性が巻く『プシュ(puşu)』を購入。
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調子に乗って、頭にプシュを巻いてもらった二人。(ダンナと友人のM氏)
(うちのダンナをご存知の方~、これ、ものすごく似合ってしまってました!想像してみて下さい。わははっ。)

南東部地方では、頭にプシュというスカーフを巻いている男性をよく見かけます。これ、アラブ人やクルド人の習慣なんです。田舎に行けば行くほど、プシュを巻いた人に遭遇する確率が上がります。
「赤と白の格子柄」・「黒と白の格子柄」、の2種類があるんですけれど、「アラブ人は赤白を、クルド人は黒白を」、とか、「冬は赤白を、夏は黒白を」とか、人によって言うことが様々。
最近は、日本でもちょっとた流行になっているとか...。日本では、アラブ語の「シュマーグ」で通用しているようですね。

じゃーーーん!ウルファ名物、唐辛子
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ウルファの唐辛子はイソット(isot)といって、特に辛味が強いので有名です。でも、単に辛いだけではなくって、旨みもあるのが特徴。この唐辛子に慣れてしまうと、他のはもう食べられませ~ん。
さすが本場だけあって、種類も豊富!

時間がなく、ものすごい駆け足で廻った旧市街なんですけれど、町の歴史と活気は思い存分感じることが出来ました。
「聖なる地域」の辺り一帯は、その昔はごちゃごちゃとした地域だったのですけれど、10年ほど前に一大プロジェクトで綺麗に整備され、緑に溢れお花が咲き誇る公園になっていました。その他の地域でも町の整備はなかり進んでいて、以前のイメージ〝限りなくアラブに近い〟は、殆ど感じられなくなっていました。これって、嬉しいんだか悲しいんだか...。

まだまだ見たいものがたくさんあって、一日では全く足りなかったです。ガズィアンテップでちょっとゆっくりしすぎました。
では、ウルファ紀行、もうちょっとだけお付き合い下さいね。<つづく>

(※)メヴリディ・ハリル・ジャーミィ・ルズワニイェ・ジャーミィ、ともに、こちらを参照ください。

【関連記事】
・シャンルウルファ・聖なる伝説の町を歩く
・シャンルウルファ・美味しいもの編
・ハラン(シャンルウルファ近郊の村)

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by yokocan21 | 2007-11-21 07:00 | 旅・散歩  

シャンルウルファ・聖なる伝説の町を歩く

もう随分と前のことになってしまいましたけれど(1ヵ月も前!)ガズィアンテップ紀行(※)を綴っておりました。今回は、その続き。シャンルウルファ(Şanlıurfa)紀行です~。
ちなみに私は、遠い昔にこの町を訪れていまして、今回は2回目です。

シャンルウルファ、トルコでは単に『ウルファ(Urfa)』と呼ばれています。
『シャンル(Şanlı)=〝名誉ある〟の意』が付けられたのは、トルコ共和国になってからのことで、1920年の祖国解放戦争で、フランス軍から町を守りきったこの町の人々を称えて『シャンル』という称号を与えられたということです。
前に紹介しています、ガズィアンテップの『ガズィ=イスラム戦士』も、これと同じ流れですね。

なお、『ウルファ』という名は、シュリヤーニ語での〝ウルハイ〟、またはアラブ語での〝エルルハ〟から派生したものなのだそうです。

前置きはこのへんにしておきまして、っと。

ガズィアンテップより東へ一直線、150km。途中ユーフラテス川を渡り、ウルファの町へ。ユーフラテス川の手前までは高速道路がついていますので、意外と早く到着です。(ちなみにディヤルバクルからだと、180km)。

ウルファも、南東部の町ならではの、とっても歴史が古く、そして多彩な歴史を持つ町です。
この町が町として形成されたのは、紀元前2000年にも遡るようです。フルリ人のミタンニ王国の主要都市として栄えました。その時の名は〝ワシュガン〟。そして、アッシリア帝国の支配の後、紀元前7世紀以降はメディア王国、続いてペルシャ帝国(アケメネス朝)の支配下に入ります。
その後、紀元前333年にはアレキサンダー大王の支配を受けますが、この時の将軍であったセレウコスⅠ世によって、この町の名を、マケドニア王国の首都であった〝エデッサ(Edessa)〟と同名に変えられました。
その後は、ローマ帝国、続くビザンティン帝国に支配され、キリスト教世界の中心地として、また文化・産業の中心地として大いに繁栄します。

640年にはアラブ軍が侵攻してきますが、その後また、1030年~1087年の間はビザンティン帝国時代が続きます。1087年からの暫くの間はセルジューク朝の支配下になります。
1098年には、第一回十字軍の侵攻を受け、エデッサの町は焼き払われ、崩壊します。そして、フランスの伯爵・ブーローニュのボードゥアンに町が支配されると、〝エデッサ伯国 〟が建てられました。
しかし、1144年には、モスルの太守・ザンギーがこの町を十字軍から解放、そして占領するようになり、1182年にはサラーフッディーン(サラディン)のアイユーブ朝の支配下に入ります。

その後、1244年にはモンゴル軍、1393年にはティムール軍に攻められ、1540年にはカラコユンル朝(黒羊朝)、その後はアクコユンル朝(白羊朝)、サファヴィー朝などの支配を受け、町は過去の栄光を取り戻せないまま、1516年にはオスマン朝の支配下となり、現在に至ります。

ということで、歴史の話になると、ついつい長くなってしまいます。この辺の歴史、たまらなく好きなもので~。

では、町をちょこちょこっと歩いてみましょう。
今回は、「聖なる伝説の町」ということで、この町に伝わる伝説を交えながら紹介していきます。

f0058691_857797.jpgまず、ここを見ずしてウルファは語れない、と言われている、預言者・イブラヒム(アブラハム)誕生の地
入り口奥にある岩の洞窟が、イブラヒム誕生の地といわれています。

私も、スカーフを被って入ってきましたけれど、湧き水が滴り落ちている薄暗い洞窟で、信仰心がなければ何の有り難味も感じられないものでした.....。
敬虔な人たちは、感動のあまり涙ぐんでおられたり。

この洞窟内の湧き水は、病を治してくれると信じられているそうです。


うーむ。でも、イブラヒム(旧約聖書では、アブラハム)って、一般的には、現在のイラク・ウルの町で生まれた、ということになっていませんか。
それがどうして、ウルファのこの洞窟だと、言い伝えられているんでしょうか。イスラム教の伝説、だと言ってしまえばそれだけのことなんですけれど。

f0058691_8575851.jpgこちらは、イブラヒム誕生の洞窟の横にあるモスク、メヴリディ・ハリル・ジャーミィ(Mevlid-i Halil Camii)

洞窟は、このモスクの中庭の一部になっています。建立は、オスマン朝時代。

このミナレット(尖塔)、ちょっと太めで先端がとんがっていないところが、何ともこの地方らしいです。


f0058691_85993.jpgオスマン朝時代、イブラヒムに敬意を表しこのモスクを建てたのですけれど、巡礼者が後を絶たず、モスクの外にも参拝者が溢れるようになりましたので、1986年、その横に、2本のミナレット(尖塔)を持つ大きなモスクを新たに建造したということです。
それが、こちら(←)のモスク。
このどちらもメヴリディ・ハリル・ジャーミィ。

こちらのモスクは、典型的オスマン朝様式ですね。



こちらは、ルズワニイェ・ジャーミィ(Rızvaniye Camii)バルックル・ギョル(Balıklı Gölü)といわれる魚のいる池。
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ルズワニイェ・ジャーミィは、1716年の建立。

バルックル・ギョルには、言い伝えがあります。
イブラヒムは、時の暴君・領主ネムルートや民衆が崇拝する偶像を嫌い、次々とそれらを破壊していきました。
一神のみを崇拝するものだと主張するイブラヒムに、領主ネムルートは怒り、今の城のある高台から、炎の中へと突き落としますが、あら不思議!炎は水に、薪は魚(鯉)に変わったのでした。イブラヒムは怪我ひとつせず、バラ園に着地したということです。
そして、イブラヒムの落ちたところが、このバルックル・ギョルなのです。
池には、ものすごくたくさんの魚がいて、餌をあげることも出来ます。すかさず声をかけてくる「餌屋さん」が餌を売っていますよ。

伝説では、領主ネムルートの娘・ゼリハは、イブラヒムの主張を信じ、自ら後を追って炎の中へと飛び込んでいったということです。そして、ゼリハの落ちた場所には、アイン・ゼリハ池(Ayn Zeliha Gölü)があり、こちらの池にもたくさんの魚が泳いでいます。(↓の写真がそれ)
〝アイン・ゼリハ〟とは、アラブ語で〝ゼリハの泉〟という意味だそうです。
アイン・ゼリハ池では、小さなボートがあり、ゆーったりとボートに乗ったりも出来ます。池の周りには、屋外喫茶店(チャイ・バフチェシ)があり、木陰で寛ぐのもよさそうです。
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この2つの池の魚はとっても神聖なものであるため、もちろん捕ってはいけないし、食べてもいけないんです。

ルズワニイェ・ジャーミィの、バルックル・ギョル(魚の池)を挟んで向かい側にあるのが、ハリルル・ラフマン・ジャーミィ(Halil-Ür Rahman Camii)
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このモスクは、イブラヒムが炎の中へと突き落とされたその場所にあります。
キュリイェ(külliye)と呼ばれる、モスクを中心とした教育機関の様式のものです。
アイユーブ朝時代の1211年の建立で、ビザンティン時代の、聖マリア教会(Meryem Ana Kilisesi)の上に建てられたものだそうです。

このミナレット、いわゆるミナレット型ではなく、どう見ても教会の鐘楼にしか見えませんよねぇ。
教会とモスクの融合、ここにもありました~。

バルックル・ギョル(魚の池)はこのモスクの名にちなんで、〝ハリルル・ラフマン・ギョル〟とも言われています。

そして、旧市街のランドマーク、ウルファ城(Urfa Kalesi)
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アッバース朝時代の814年、元あった要塞を改修し、築かれたもの。要塞の基礎が造られたのは3世紀だそうです。
コリント様式の石柱の碑文には、シュリヤーニ語でエデッサ伯国のことが書かれてあるようです。
頂上までは登れるんですけれど(遠い昔に来た時は、登りました~)、今回は時間がなくヤメ。

これで、ウルファ第一回目・「聖なる伝説の町」編を終わります。さすがに聖なる町と言われているだけあって、伝説をあちこちで聞きますし、町(旧市街)のそこここにモスクを見かけます。そのモスクがどれもとても個性的で、しかも歴史のあるもので、モスク好きには、たまらないのでしたぁ。
この地方独特の様式で建てられたモスクは、また日を改めて紹介していきたいと思います。
聖なる伝説に彩られた歴史ある町・ウルファ、次回は町の雑踏の中をブラブラと歩いてみましょう。


【関連記事】
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by yokocan21 | 2007-11-17 09:21 | 旅・散歩  

ガーズィ・キョスクでお茶

ディヤルバクルの秋は、あっという間に始まりあっという間に去ってしまいます。夏からいきなリ冬になってしまうようなものなんです。
小春日和を思い存分に味わえる期間というのは、ものすごく限られていて、日本のようにゆったりと秋の季節を楽しむ、ということは殆ど不可能...。
なので、どんよりとした冬の季節が始まらない内に、心地良いお天気の日が続いている間に、〝短い秋〟を楽しみに~。
で、ある日のお昼下がり、ポカポカ陽気に誘われて、まったりとお茶でも。

向かった先は、こちらでも紹介しております、ガーズィ・キョスク(Gazi Köşkü)
ここのお庭には、ちょっと個性的なオープンエア・カフェがあるんです。ま、カフェというよりは、トルコで言ういわゆる〝チャイ・バフチェシ(çay bahçesi)〟=訳して、〝チャイの庭〟です。

お庭の雰囲気はこんな感じ。
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木々に囲まれた庭には、高床式のお茶の間(?)が並んでいます。この高床式のお茶の間、私はトルコではここでしか見たことのない珍しいもの。この高床式のお茶の間、こちらでは、パディシャー・タフトゥ(Padişah tahtı)と呼ばれています。〝オスマン朝の皇帝の玉座〟という意味。←ひゃぁ、何だか凄い命名~。
夏の暑さから少しでも快適に過ごせるようにとの工夫ですねぇ。

f0058691_19584998.jpgこちらは、その高床式のお茶の間のアップ。

床にはキリムが敷かれていて、背もたれクッションもあり、真ん中には「ちゃぶ台」。トルコの田舎家を彷彿とさせてくれます。
ここで、家族と、また友人達と、ま~ったりとチャイ(トルコの紅茶)でも飲みながら、時は静かに流れてゆきます。

いつかお庭付きの家に住むことが出来たなら、このパディシャー・タフトゥをお庭に設えるのが夢なのです!お気に入りのキリムを敷いて、好きな本でも読みながら美味しいチャイを飲む~~~。うわぁ、考えただけでうっとり。



f0058691_19594949.jpgこのお茶の間で飲むチャイは、サモワールで出てきます。サモワールのトルコ語は、〝セマヴェル(semaver)〟。

真ん中のふっくら太い部分に熱湯が入っていて、その中心の筒状のところには炭火が入れられています。これで、お湯がいつまでも熱いわけです。
一番上のやかんには、お茶が。このお茶をチャイバルダックというトルコ独特のガラスのコップに注ぎ、続いて、下方に付いている蛇口からお湯を足して、好みの濃さに調節します。

自然の中で飲むチャイの美味しいこと~!



ここガーズィ・キョスクのチャイ・バフチェシは、春から秋の気候の良い季節のみのオープンで、冬の間は横にある建物の中でお茶ができるようになります。
ここは真夏でも比較的涼しくって、日が暮れる頃には、ぞろぞろと人々がやって来ては、夜風に吹かれながらお喋りとお茶、また水タバコ(ナルギレ=nargile)を楽しんでいます。
最近はエアコンも普及してきて、猛暑のディヤルバクルでも過ごしやすくなってきているとはいえ、やっぱり夜風の中でのひとときって、なにものにも替え難い気持ち良さってあるんですよねぇ~。
お庭の片隅には、子供用の乗り物や小さいながらも児童公園もあって、私たち子供連れにも嬉しいんです。

お庭で放し飼いにされている、七面鳥。f0058691_2003520.jpgf0058691_2005487.jpg


こちらは、このチャイ・バフチェシから見たティグリス川方面。
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ガーズィ・キョスク近郊から眺めた、ディヤルバクルの城壁。
私、この景色がとっても好きなんですよね。初めてここから城壁を眺めた時は、あまりのかっこ良さに興奮してしまいましたぁ。
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こちら、今月に入ったあたりから、かなり冷え込んできています。
おまけに晩秋の冷たい北風、たまに降る雨。ディヤルバクルは、足早に冬の様子を見せ始めています。
ので、〝ポカポカ陽気にまったりと過ごす昼下がり〟・・・はもう無理ですねぇ。
でも冬は冬で、また別の楽しみのあるガーズィ・キョスクですので、その様子もいつか紹介してみようと思っています。


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by yokocan21 | 2007-11-08 20:05 | 普段生活