カテゴリ:旅・散歩( 52 )

 

キュルテペ・アッシリアの展覧会

前回記事の続きです。
『アヤ・イリーニ博物館(Aya İrini Müzesi)』で行われている展覧会とは、これ。
キュルテペ カニシュ―カルム(Kültepe Kaniş-Karumu)展
キュルテペとは、カイセリ(Kayseri)から北東5㎞のところにある遺跡です。
カニシュ王朝の中心地・アッシリアの商業の中心地として栄えたコロニーで、1948年から発掘が続けられています。キュルテペは、出土した粘土板によると、昔の名を「カニシュ(Kaniş)」または「ネシャ(Neşa)」といい、アナトリアからシリアを通ってメソポタミアへと至る重要なポイントであったため、特に紀元前3000~2000年にかけて、商業および芸術のコロニーとして重要な役割を果たしてきました。

今回の展覧会は、アンカラのアナトリア文明博物館、カイセリ博物館、そしてイスタンブル考古学博物館の蒐集品より、496点が展示されています。


では、展示品をいくつか紹介します。超私好みのものばかりですので.....。館内はフラッシュ禁止のため、照明の関係で写りの悪いもの、またガラスケースに反射して見にくいものがありますけれど、ご了承を。


アヤ・イリーニ聖堂(博物館)のアーケード(回廊)部分が展示場になっています。
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左:牛(?)ブタ(?)の顔付きの水がめ。(BC.1830~1700年)
右:牛さんがいっぱい並んだ壺。 (BC.1830~1700年)
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左:頬紅のケース。 (BC.1830~1700年) 当時も今も必需品。
右:小さなベル。鈴。 (BC.1830~1700年)
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左:しゃれこうべの飾り物。(BC.1830~1700年) 黄金のシートで偉い人のしゃれこうべを飾ったようですね。 ひゃーっ! 
右:ゲーム盤。 (BC.1950~1835年) あの時代のチェスのようなもの? 
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f0058691_2034675.jpg風呂桶です。(BC.1830~1700年) 

かなり小さいんですけれど、当時の人達って、小柄だったのでしょうか。


表面に描かれた動物が可愛かったんで、UP。
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二つ口のボックス。(BC.1950~1835年) 目と鼻があって、口をあんぐりと開けているような.....可愛い♪ 何を入れていたのか、むっちゃ気になるぅ。
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動物の姿のリュトン(酒杯)。 (BC.1950~1835年) 犬? オオカミ?
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水差し。(BC.1950~1835年) 注ぎ口が二つって、実用的!? 使ってみたい!
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ピッチャー。 (BC.1950~1835年) ↑の水差しとセットか? 
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船形のリュトン。 (BC.1950~1835年) 他の粘土細工のようなリュトンとは違い、かなり精巧な出来です。クリックすると拡大します。
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粘土板。 (BC.1950~1835年) これは、「スズ(錫)とロバの輸送に関する文書」。このような楔型文字の粘土板が大量に出土しているようです。
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このキュルテペでは、これまでに25000点もの粘土板が出土しており、アッシリアや地元の商人の活動の様子や、管理、法体制、芸術に信仰に関する事柄が記されているようです。

* * * * * * * * * * * * * * * *

当時の人たちは、今よりももっと自然と共に生きていたんだなぁ、というのがよくわかりました。特に、身近にいたであろう動物たちの写実の上手さ! そして、へたウマな粘土細工の可愛いことといったら~! いや、粘土細工だなんて失礼ですね。立派な芸術作品。
それぞれに表情があって、生活の豊かさを感じられます。


キュルテペという一つの遺跡に関しての展示は、ちょっと珍しいかもしれません。
展示は、3月28日まで。月曜日休館。9:00~17:00まで開館です。なお、入場料は無料。
館内はフラッシュ撮影禁止です。


なお、ご一緒したmadamkase さんのブログでも、詳しく紹介されていますよ。


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by yokocan21 | 2011-01-26 20:15 | 旅・散歩  

アヤ・イリーニ博物館(アヤ・イリーニ聖堂)

先週、お友達の madamkaseさんと、旧市街、トプカプ宮殿(Topkapı Sarayı)の前庭にある、アヤ・イリーニ博物館(Aya İrini Müzesi)へ行ってきました。
これまで、アヤ・イリーニ博物館は何度も外から見たことがあるんですけれど、中には入ったことがなかったので、ワクワクして出かけました。
実は、ある展覧会を見に行ったんですけれど、その展覧会の様子は次回ということで(写真、まだ整理ついてないもんで)、今回は、アヤ・イリーニ博物館について、ちょっとお話を。ちなみに、その展覧会も、すーっごく良かったですので、次回、お楽しみに~。

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この建物、今は博物館となっているんですけれど、元々はビザンティン帝国時代の聖堂でした。
トルコ語では、『アヤ・イリーニ』、ギリシャ語では『ハギア・エイレーネー』と呼ばれる聖堂は、色んな歴史を経て今に至ります。(イスタンブルにあるビザンティン建築の殆どがそうであるように)


アヤ・イリーニ聖堂のある場所には、元々、ビザンティオン(ビザンティウム)の時代に聖堂が立っていたらしいです。その場所に、4世紀初頭、コンスタンティヌス1世が、アヤ・イリーニ聖堂を建立しました。
アヤ・イリーニ聖堂は、この街で最古の聖堂で、アヤ・ソフィア大聖堂が建てられるまでは、ここに主教座が置かれていたそうです。

このアヤ・イリーニとは、「聖なる平和」という意味で、コンスタンティヌス1世の時代の実在の人物の名前だといわれています。コンスタンティノープルでは、まだキリスト教が浸透していなかった時代、民衆に非難・罵倒されながらも布教に命を注いだ人物なのだそうです。

そんな聖なる人物の名を冠したこの聖堂は、532年にニカの反乱で破壊され、その後、548年にユスティニアヌス1世が再建しました。現在ある建物は、この時代のもの。
8世紀には地震の被害にあい、かなりなダメージを受けるも、コンスタンティヌス5世が修復しました。その時、内部がモザイクやフレスコ画で飾られました。

1453年に、コンスタンティノープルが征服されてオスマン帝国になってからは、武器弾薬庫として利用されたり、また、スルタン・アフメット3世(Sultan III. Ahmet)の時代(18世紀初頭)には軍事博物館として利用されました。そして、スルタン・アブドゥルメジト(Sultan Abdülmecit)の時代(19世紀中頃)には、軍事と考古学博物館として利用されました。

1970年代には、大規模な修復がなされ、現在は、トルコ・文化観光省の管轄となっています。夏の「イスタンブル・国際音楽フェスティヴァル」の会場として利用されたり、展覧会やクラシックのコンサートホールとして利用されたりしています。

なお、普段は閉鎖されていて、催しがあるときのみ開館します。



ざぁっと、こんな歴史があります。
では、内部を見ていきましょう。

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まずは、入口の部分。

いかにも、歴史ありそうな雰囲気です。




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フラッシュ付けずに撮ると、こんな感じ。

ここは、身廊に続くアーチのある部分。

この右側向こうの部分で、今回の展覧会は行われていました。



展覧会が行われていた部分。ドームのある身廊の外側、中庭をアーケードでぐるりと囲んだ部分です。外部拝廊というんでしょうか?
アーチと、レンガの石積みが綺麗ですよね~。
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アーケード部分から、中庭を隔ててドームを眺める。

このような、ドームとバシリカが合わさった形式のものを「円蓋式バシリカ」というんだそうです。

初期ビザンティン時代の代表的な建築様式なのだそうです。



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大きな十字架の描かれた身廊部分。

この内部には立ち入り禁止のため、ガラスの外側から撮影したものですので、全体がいまいちわからず。


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ですので、こちらを。(wikipediaより拝借しました)


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展覧会会場の壁にあったモザイク。

この聖堂の床にあったものでしょう。

保存状態ばっちり。




こちらも、展覧会会場の壁にあったもの。
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右:ビザンティン帝国のお妃と皇帝(顔がないですけれど)&子供?
左:どなたでしょう?



お隣にある、ビザンティン建築の最高峰・「アヤ・ソフィア大聖堂」の小型版のような「アヤ・イリーニ聖堂」。
イスタンブル観光の2大ハイライトである、アヤ・ソフィア大聖堂の真横で、トプカプ宮殿の真前、という位置にありながら、そして大勢の観光客が横を通り過ぎていきながら、気に掛ける人は少ないように思います。普段は閉館しているということもあるでしょうけれど。
なんだか、忘れ去られたかのように、ひっそりと佇むその姿は、ビザンティン帝国の栄光とオスマン帝国の栄華を見守ってきた、老貴婦人という風情でもありました。



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by yokocan21 | 2011-01-24 08:27 | 旅・散歩  

犠牲祭@イズミル パート4

引き続き、イズミル(İzmir)です。(これが最後ですので.....)

イズミルといえば、街の雰囲気も、その街を歩く人々も開放的でモダン。エーゲ海の陽光降り注ぐ明るい街は、どよよーん、と古めかしくコンサバな印象ってないんですよね。
イスタンブルや他の街に比べれば、モスクの数も少ないような。(中心部に限ってのことですけれど)
でも、一部、昔の建物が残っているエリアもあるんです。オスマン帝国時代に建てられたモスクなどが残っています。

イズミルのど真ん中、コナック(Konak)広場のすぐ横のエリア。ケメルアルトゥ(Kemeraltı)という一角があります。
そこは、細い入り組んだ道に日用品や装飾品などの店が建ち並び、横道に入ると、おもちゃや部品などの問屋が並んでいます。その辺りは、1922年の大火事(※注1)から被災を免れたのでしょう、古い建物が結構残っているんです。
そんな、ごちゃごちゃとしたエリアの一角に、オスマン朝時代に建てられたキャラバンサライ(Kervansaray=隊商宿)があります。

外から見ると、こんな感じ。クズラルアース・ハン(Kızlarağası Hanı)です。
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このような隊商宿は、トルコの各地に数多く残されているんですけれど、隊商宿という名前で呼ばれてはいるものの、単に宿として利用されていたわけではないんです。
隊商を率いてやって来た商人たちは、宿をとるのと同時に、そこで商いも行います。だいたい、1階部分にはラクダの厩があり、商業をするエリア。2階部分が宿泊エリアです。ですので、厳密には、隊商宿兼商業施設、といったところでしょうか。

このクズラルアース・ハンは、オスマン朝時代の1744年、宦官長であった、ハジ・ベシル・アー(Hacı Beşir Ağa)によって建設されました。
なお、この「宦官長」というのが、「クズラル・アース(Kızlarağası)」という意味です。クズラル・アース=直訳すると「女の子たちの長」。なんでかといいますと、オスマン朝時代の宦官長というのは、ハレム(Harem)のお目付け役でもあったからなのですね。
ちなみに、宦官長は、主に、アフリカから連れてこられた黒人が多かったのも、オスマン時代の特徴です。


2階建ての建物の2階部分から、中庭を眺めて。
小さな窓がいっぱい並んでいるのは、客室の窓です。中庭は、現在はカフェとなっています。
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向こう側のモスクはヒサル・ジャーミィ(Hisar Camii)
16世紀後半(1592年または1598年と言われている)、モッラ・ヤークプ・ベイ(Molla Yakup Bey)により建てられました。



現在、この隊商宿は修復され、お土産屋や絨毯屋、骨董品屋やアクセサリー屋といったお店がいっぱい入っています。
廊下は、こんな感じ。明かり取りの窓があり、規則正しく並べられた屋根の石の様子など、とってもいい雰囲気です。
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左は骨董品屋さんが集まるエリア。
右はアクセサリーショップやお土産屋さんの集まるエリア。


2階部分を歩いていて面白いお店を発見。ネイ(Ney)という葦笛の専門店です。
トルコの古典音楽(特にスーフィズム音楽)には欠かせない楽器です。まぁ、一言でネイといっても、様々な長さのものがあるんですね~。
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* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

クズラルアース・ハンの横は、こんな小径。 (ちょっと、お兄さんジャマなんですけどぉ~)(笑)

f0058691_622650.jpg細い路地には、お外に小さなテーブルとイス(座面の低い、トルコならではのもの)がいっぱい並べられたカフェがずらりと並んでいます。

そんなカフェの中から、今回は、こちらに座ることにしました。
カフヴェジ・オメル・ウスタ(Kahveci Ömer Usta)』。


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左:サーレップ(Salep)。以前こちらでも紹介したことがあります。
ランの一種の球根の粉末(サーレップという)を、熱々のミルクと一緒に煮たもの。砂糖もたっぷり、甘~くって美味しい冬の飲み物です。シナモンをたっぷりと振りかけて.....ふぅふぅ♪

右:トルココーヒー(Türk Kahvesi)。ただ、普通のトルココーヒーとは、ちょっと違います。これ、カップごと火にかけて煮だしたもの。その名も、そのまんま、“Fincanda pişen kahve”=カップで煮たコーヒー。
この辺りのカフェでは、カップごと煮出したトルココーヒーが有名なんです。

このお店のサイトによりますと、昔、ミマール・スィナン(Mimar Sinan)(※注2)の時代、コンヤ、カラマンからスコピエやサラエヴォへ、モスクやハマム(トルコ風呂)、隊商宿や橋など、石造りの建築工事に駆り出された労働者たちが、作ったことが始まりなんだそうです。暖をとるために燃やした焚火の、残りの灰の中で、カップごとコーヒーを淹れていたらしいのです。
トルココーヒーは、ジェズヴェ(Cezve)という専用の小鍋で淹れるのが普通なんですけれど、作業中の労働者たちは、手っ取り早い方法を生み出したってことですね。



とまぁ、今回遊びに行った(いえ、正確には犠牲祭のための訪問でした)イズミル。
街は、どんどん綺麗になっているし、新しいシッピングモールや大型店もたくさん出来ていて、その発展ぶりは素晴らしいものがありました。
そして、いつもキラキラ・エーゲ海の太陽!これこそが、イズミル!
もっともっと楽しい場所がいっぱいあるんですけれど、限られた時間の中では、これくらいが精一杯。これ以外のものは、またの機会に。


※注1 1922年の大火事・・・・・第一次世界大戦にトルコが敗れると、ギリシャ軍がイズミルを占領します。その後、1922年9月9日、アタテュルク率いるトルコ軍がこの街を奪還するんですが、9月22日、撤退するギリシャ軍が街の中心地に火を付けた、といわれています。火は数日間燃え続け、イズミルの中心地は灰となってしまったのです。なお、広大な焼跡地は、現在、「イズミル・フアー(İzmir Fuarı)」という広大な公園&見本市会場となっています。


※注2 ミマール・スィナン(Mimar Sinan)・・・・・16世紀に活躍した、オスマン帝国最高の建築家。詳しくは、wikipediaをどうぞ。



関連記事をまとめてみました。
犠牲祭@イズミル パート1
犠牲祭@イズミル パート2
犠牲祭@イズミル パート3

もうひとつ、関連記事を。ディヤルバクルの隊商宿・『ハサンパシャ・ハン(Hasan Paşa Hanı)』。


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by yokocan21 | 2011-01-18 06:28 | 旅・散歩  

犠牲祭@イズミル パート3

昨年の犠牲祭に訪ねたイズミル(İzmir)の続きです。
   (以前の記事は、こちら と こちら です)

なんだか、もうとっくの昔の話のようですけれど、お付き合い下さいませ~。

犠牲祭の連休の間は、ぽかぽか陽気の日が多くって、お散歩やぶらぶら外出にはもってこいでした。そんな晴々したある日、久しぶりに訪ねたのが、この建物。
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これ、エレベーターです。トルコ語でアサンソル(Asansör)

場所は、海岸通りに近いミトハト・パシャ通りと、丘の上のハリル・ルファット地区とを結ぶところ。
イズミルの中心地にほど近い住宅地なんですけれど、その辺りって、急な坂道ばかりで、海岸沿いの通りから上の通りに行くには、さぞ大変。特に、お年寄りや子供、妊婦さん達には生活しにくいもの。
そこで、このイズミルに住むユダヤ系の慈善家、ネシム・レヴィ・バイラクルオール(Nesim Levi Bayraklıoğlu)という方が、この地にエレベーター(アサンソル)を建設しようと思いついたのです。
今からかれこれ100年以上も前、1907年のことです。
なんと、当時としては斬新なことを思いつく方がいらしたのですね。

建設当時は、蒸気機関でモーターを動かしていたようです。


f0058691_22374473.jpgちなみに、この辺の坂道に付けられた、延々と続く階段。

相当に旧勾配なのがわかります。

これ、毎日だと、大変だよなぁ.....。



f0058691_2257343.jpgこちら、アサンソルの近景。

背後の絶壁、見えますかぁ?

イズミルのこの辺りは、海からいきなり山、みたいな地形です。



で、このアサンソルに乗って、すぅ~っと、上まで登ってみますとーーー。
こぉんな絶景がぁ~♪

コナック(Konak)やアルサンジャク(Alsancak)方面を眺める。柵やランプの装飾も素敵! 
ここは展望台にもなっていて、カフェも併設されているので、お天気ばっちりなその日は、大勢の人で賑わっていました。
このカフェ、デートスポットでもあって、いつもカップルでいっぱいです。私たち夫婦も、昔は(!)何度かここにお茶しに来たことがありますよ。
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カフェの内部からの眺め。
この横には、夜だけオープンする、ちょっとオサレなレストランもあって、なかなかいい雰囲気なのです~。
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こちらは、対岸のカルシュヤカ(Karşıyaka)地区を眺める。イズミル湾を、の~んびり船がゆく。
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こういう光景を眺めると、ほぉ、イズミル、いいなぁ~~~って思います。
トルコでも、住んでみたい街の人気上位ランクされいますからねぇ。納得ですよね!



ところで、ここ、アサンソル(エレベーター)本体は言うまでもなく、もう一つ有名なものがあります。

f0058691_22594517.jpgこの方。

ダリオ・モレノ(Dario Moreno)さんです。

地元イズミル出身の、往年のシャンソン歌手です。
50年~60年代にかけて、数々の舞台で歌い、何枚ものレコードを出し、また、ブリジット・バルドーとも共演したり、俳優としても大活躍されていたようです。

一番上の写真、左側にある白壁のおうちに一時住んでいたということで、その小径は「ダリオ・モレノ通り(Dario Moreno Sokağı)」と呼ばれています。



ちょっと参考に、こちら、どうぞ。
イスタンブル・ボスフォラス海峡の素晴らしい景色をバックに、ダリオ・モレノの歌声が冴えわたります。



そうそう、我が美輪明宏さん(当時は丸山明宏でした)のお馴染み・『Me Que Me Que(メケメケ)』は、このダリオ・モレノさんも歌っているようですね。 (メケメケのオリジナルは、ジルベール・ベコー)


※このアサンソル、以前は、乗車料金を払っていたんですけれど、今はタダです。そして、アサンソルの中では、ダリオ・モレノさんの曲かと思われるシャンソンが流れていました。


このアサンソルのある地区には、昔ながらの木造建築も残っていて、散策してみると、なかなか面白いエリアでもあるんです。
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2階の窓部分が外に張り出した形の、オスマン朝時代の建物。
これらは、“ルム・エヴィ(Rum Evi)=ルムの家”と呼ばれています。ルム(Rum)とは、トルコ領在住のギリシャ人、という意味で、当時のギリシャ人達が好んで建てた建築様式なんでしょうね。
(背後の高い建物は後になって建てられた、コンクリート造りのものです)


【追記】 この、2階の窓部分が張り出している様式の木造住宅、コメントでも興味を持って下さる方がいらっしゃいましたので、ちょっと補足をしておきます。

2階の窓が外に張り出した形のものを、ジュンバ(Cumba)というんですけれど、このジュンバの付いたオスマン時代の木造建築は、トルコの古い街では、今もよく残っています。ここイスタンブルでも、旧市街やボスフォラス海峡沿いの古くからの町では、まとまって残っていたり。うちの近所にも、何軒かありますよ。
最近は、そういう伝統的な木造住宅を綺麗に修復し、保存する動きも盛んです。

このような様式の住宅は、一般的には「オスマン時代の家(Osmanlı Evi)」という風に呼ばれています。
ただ、イズミルを含めたエーゲ海地方では、元々ギリシャ人が多かったこともあってか、「ルムの家(Rum Evi)」と呼ばれています。

建築については詳しいわけではないですし、特別に勉強をしたこともないですけれど、私の知っている範囲では、こんな感じです。詳しい方いらっしゃいましたら、ご教授お願いします。

エーゲ海地方の、伝統的な家屋は、こちらでも紹介しています。参考までにどうぞ。



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by yokocan21 | 2011-01-07 23:03 | 旅・散歩  

犠牲祭@イズミル パート2

犠牲祭の間は、11月とは思えないほどのぽかぽか陽気続きで、まとまった雨が降ったのは1日だけで、小雨が1回あったでしょうか。あとは、太陽さんさん、暑いくらいの日々でした。
日中は半袖でもいけるくらいでしたので、お散歩するのには、もってこい。

バイラム(イスラム教のお祭り)ということで、基本、親戚や知人のお宅訪問というのが習わしなんですけれど、ちょょっと時間を作って、ぶらぶら散歩やショッピングにも出かけてきました。(これを、脱出~ともいう)

今回は、私たちの大好きなお散歩&ショッピングエリアをご紹介です。

ダンナが子供の時から愛してやまない、イズミルの繁華街・アルサンジャク(Alsancak)
今でこそ、あちこちにショッピングモールも出来、地元の繁華街でも色んなものが揃うようになってきましたけれど、その昔は、ちょっとシャレたものを買おうと思うと、ここアルサンジャクに来ないと手に入らなかったのだとか。
この界隈は、昔から、おサレなブティックや可愛い雑貨屋さん、素敵系カフェやレストランがひしめいているエリアなんです。もっと北の港の方へ行けば、バーやクラブもいっぱい。

うちはイズミルへ行くと、アルサンジャクなしでは語れない......という我が家。
さっそく、行ってきました~。

バイラム(イスラム教のお祭り)中ということで、まぁ、人・人・人で溢れかえっておりました。
一昔前のバイラムといえば、町中のお店はシャッターを下し、繁華街といえどもシーンと静まり返っていたように思うんですけれど、最近は、バイラム一日目から開けるお店も多くなってきて、なんだか様相が違ってきました。
(日本のお正月もそうですよね)

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これは、コルドン(Kordon)と呼ばれる海岸沿いの通り。(ここは海岸に一番近い通りなので、「1.nci Kordon」)
私の中でのイズミルといえば、この「パームツリー並木♪」。南国モード全開です! ここへ来ると、「あぁ、イズミルへやって来たなぁぁぁ」、と思うのです。
コルドンには、昼間っからビール片手におしゃべりを楽しむイズミルっ子たちでいっぱい。
この通りには、気軽なパブが軒を連ねていて、皆さん、お外のテーブルに座ってまったりと寛いでいます。ダンナの行きつけのパブも何か所かあって、この辺りへ来たときは、いつも「ビール&フライドポテト」で、イズミル湾に沈む夕日を眺めるのが、お決まり!

ただ、昔は道路のすぐ横が海だったのですけれど、5~6年前でしょうか、海岸を埋め立てて公園に整備され、海が随分と遠くになってしまったのが残念。

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そして、アルサンジャク名物といえば、この馬車。海岸通りを主に、観光客を乗せて走っています。
写真は、広場で待機する馬車たち。

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ボケボケですけれど、アルサンジャクのド真ん中を馬車がゆく。


食べることも忘れてはおりません。
で、「イズミルでピザ」といえばココ。“Ristorante Pizzeria Venedik”。
ピザ好きならば、誰でもがお勧めするという、老舗レストランです。創始者がイタリア人だということで、出されるピザは、トルコ離れした(!?)美味しさ。
最近は、パリパリ薄い生地のイタリア風ピザを出すお店も随分と増えてきましたけれど、その昔は、そういうものはなかなかお目にかかれず。イズミルでは唯一、このお店が本場風だったのです。
ここイスタンブルもイタリア風ピザのお店はたくさんあるんですけれど、何故か私とダンナの中での「トルコでピザ」といえば、ここなのです。
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二人で分け分けして食べたものは、『シーフードのマリナーラ』と、『アーティチョークとキノコ』。
うーん、美味でした!
特に、キノコの方は、マッシュルームのほかにマイタケのようなのも入っていて、美味しかった!

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デザートは、『パンナ・コッタ』と『アップルシュトゥルーデル』。
あのぉ、パンナ・コッタのベリーソース、ちょっとかけすぎ~。パンナ・コッタ自体はコクがあって美味しかったです。
アップルシュトゥルーデルは、甘すぎず(これ重要!)、リンゴもさっぱりで美味しかったです。
 アップルシュトゥルーデルって、オーストリアのお菓子ですよね。でも、イタリアンのお店でよく見かけるのはどうしてなのでしょう。

おほほ。とっても清々しいお天気のもと、お外のテーブルで赤ワインと共に食べるピザ。極楽~♪


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こちらは、別の日に、ダンナの旧友と待ち合わせたパブで食べた
鶏肉のシュニッツェル』。
もちろんビール付きで!

(トルコでシュニッツェルといえば、鶏肉が殆どです)

マッシュルーム乗せがお勧めということでしたので、そうしてもらいました。
かなり大型で、食べきるのがちょっと大変でしたよ。私としたことがぁ。

あぁ、ビールには揚げ物が合うよな~。



****************

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で。こちらは、コルドン(海岸通り)より眺めた、イズミルの夕焼け。
季節によっては、ちょうどイズミル湾へ沈む夕日が眺められるんですけれど、この季節の太陽は、山の麓へとさよならしていきました。


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by yokocan21 | 2010-12-02 18:09 | 旅・散歩  

犠牲祭@イズミル パート1

またまたご無沙汰してしまいました。
犠牲祭(クルバン・バイラム=Kurban Bayramı)の9連休、イズミル(İzmir)から無事戻ってきて、早10日。
そろそろ、ちゃんとブログ更新しないと。

行きは予想外にスムーズにイズミルに到着。なぁんだ、楽勝~、なんて思っていたら、帰りはアレレ~な展開でした。連休最終日は、だだ混み間違いなしなので、一日早く出発したものの、途中の町中で信号待ち渋滞が何か所かあったり、トドメはヤロヴァ辺りからの大渋滞。フェリーに乗るまで3時間かかりました。
イズミルの実家を出発して我が家に着くのに、なぁーんと、11時間!
今までの最高記録達成です。私なんて、ただ座っているだけなのに、それだけなのに、疲れました。ふぅ。

そんなこんなで、イズミル(İzmir)です。

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イズミル方面へ行くときには、ほぼいつも寄るキョフテ屋さん。アクヒサル(Akhisar)の有名店“キョフテジ・ラーミス(Köftesi Ramiz)”。 (昨年の、こちらの記事でも登場しています)
このお店でお昼を食べることを前提に、出発時間を決める、、、といってもいいほど。(笑)
キョフテが、もっちもっちとして弾力のあるのが特徴で、お肉がとってもジューシー。そして、下に敷いてあるバター付きのパンがまた、美味しい! いつ行っても、お昼時には満席なのも納得です。

このお店のサラダバーが、またお見事で。
新鮮な野菜や茹でた豆類、そしてトルコ人大好きな「トゥルシュ(Turşu)=トルコ版ピクルス」のバラエティーがとっても豊か。
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まぁ、あれこれ盛り付けて、てんこ盛り。
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ただ、このお店、最近はイスタンブルの繁華街やショッピングモールにどんどん出店していて、少々やりすぎ感が。本店と同じあの美味しさが、遠く離れたイスタンブルの数々のお店で味わえるというのなら、すすんで行きたいところなんですけれど、残念ながら、やっぱり質落ちは否めないなぁ、という感じです。
「アクヒサルに行かなきゃ食べられない」という希少価値があってこそ、とは思うんですけれどねぇ。


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こちらは、アクヒサル近辺に大量出没する、“メロン直売店”。
アクヒサル近くの“クルクアーチ(Kırkağaç)”という町は、この黄色いラグビーボール型したメロンの大産地なのです。というよりも、このラグビーボール型メロンの名前が、そのまんま“クルクアーチ(Kırkağaç)”。
そんなで、国道沿いには、このような直売店がずらーっっっと並んでいるんです。走れど走れどメロンの黄色だらけ。
昨年夏にこの道を通った時には、その内の一軒からメロンを数個買ったんですけれど、当たりハズレがありました。お店で試食させてもらったものは、とても甘くって美味しかったのに。
それに、メロンって夏のフルーツなので、11月になっても売られているものなんて、ちょっと信用できないし。
なので、今回は買わず。ちなみに、1個が1TLでした。(約55円!) 破格の価格。


******************************

犠牲祭ということで、私たちも、イズミルの義母はもちろん、伯母さんやその他親戚の方々を訪問してきました。
こちらは、伯母さんちでいただいたお料理。
  
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手作りのマントゥ(Mantı)
トルコ家庭料理の代表格です。と同時に、シルクロード料理の代表格ともいえるもの。
薄い小麦粉の生地に挽肉を包んだものを茹で、上からおろしニンニク入りヨーグルトや唐辛子ソースをかけて食べます。

マントゥといえば、カイセリ(Kayseri)という街が有名なんですけれど、うちの義母の母はチョルム(Çorum)出身ということで、母方のマントゥといえば、“チョルム・バージョン”なのです。
“チョルム・バージョン”というのは、マントゥを茹でる前にオーブンで色づくまで焼くところが特徴です。
普通のマントゥは、生地がぷよぷよしていて、私は好きではないんですけれど、このチョルム・バージョンは生地の表面がカリッとしているため、茹でてもぷよぷよにならなくて、結構好きなのです~。
あ、ただし、私は小麦生地で作ったものにヨーグルトをかける食べ方が、大の苦手...........。トルコ人的には、小麦生地+ヨーグルトというのは「黄金コンビ」なんですけれどねぇ。


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こちらもトルコ家庭料理の定番中の定番。ブドウの葉っぱのサルマ(Yaprak Sarması)
もちろん、イズミルですから、オリーブ油たっぷりで作ったものです。

※実は、犠牲祭といえば、コレ!な、『カヴルマ(Kavurma)』も勿論あったんですけれど、私は好きでも何でもないお料理ですので、写真はなし。カヴルマとは、犠牲祭で屠った羊肉を小さく切って、ひたすた炒めただけのシンプルなもの。トルコ人達は、新鮮な、しかも神聖なお肉で作ったカヴルマが大好き。ピラウ(トルコのピラフ)と一緒に出されます。また、このカヴルマは大量に作るので、冷凍保存もします。

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伯母さんちは、イズミルの街をドドーンと見渡せるおうち。
その日は、あいにく天気が悪かったんですけれど、夕方には雨も上がって、このような景色に。快晴ならば、対岸のカルシュヤカ(Karşıyaka)がくっきり綺麗に眺められるんですけれどね。


     ところで、親戚めぐりで慌ただしい中、イズミル恒例・温泉にも、しっかりと行ってきました♪ こちらでも、ちょこっと紹介しています「アガメムノンの温泉(Balçova Thermal Hotel)」です。写真ないですけれど、ゆーったりできましたよ~。


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by yokocan21 | 2010-11-30 03:50 | 旅・散歩  

シレとギョズレメ

ここのところ、ほんわりといいお天気が続いています(昨日・今日は霧でモヤってますけれど)。昼間の日向だと、上着なしでも十分なくらい。
ところが、先週はといいますと、嵐のような暴風雨が2日も続き、しかもむっちゃ寒いという、秋を通り越して冬到来か...........というような状態でした。

あの嵐が去った次の日(土曜日)、義弟の住むシレ(Şile)へ遊びに行ってきました。
 ※シレの町は、以前こちらで紹介しています。

っと、その前に。シレに着く手前で、お気に入りの茶店へ。
前に紹介したことのある、ギョズレメ(Gözleme)の美味しいお店です。朝ごはんがシリアルだけという超軽めでしたので、途中でちょっと腹ごしらえ。・・・まぁ、このお店に寄るのが前提で、シリアルだけなんですけれどね。(笑)

f0058691_1993280.jpgお目当ての『ギョズレメ(Gözleme)』。

今回は、ほうれん草とポテト入り。
少々チリが効いていて、美味しいのです~。



子供は、大好きな『卵入りスジュク(Yumurtalı Sucuk)』。半熟卵とスジュク(Sucuk=スパイシーな牛肉ソーセージ)です。
これにパンをつけて食べるのが、トルコ式。うちの子も、しっかりトルコ人ですから、こういう写真です。
ただ、トルコの卵は日本のとは違って殺菌がしっかりとなされていないとか聞きますので、うちでは半熟卵はまずやらないです。
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そして、これはダンナ&子供の注文で“トゥルシュ(Turşu)”。トルコのピクルスです。もちろん、このお店の手作り。
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f0058691_19186100.jpgこちらは、以前の記事でも紹介しています「まきストーブ」。今回は、さすがに10月下旬ということもあって、しっかりと活躍していましたよ。

ストーブの上には大きなお鍋が。どれも中にはお料理が入っていて、クツクツと煮えておりました。お昼用の料理でしょう。

下の段にあるのは、“エリシテ(Erişte)”という、自家製のショートパスタのようなもの。ストーブの熱で乾燥させていました。
トルコでは、秋の間に、保存食としてエリシテをよく作ります。お店でも売っていますけれど、やっぱり自家製のものが美味しい。バターたっぷりで食べるので、かなり危険なものではあるんですけれどね。



こちらは、お店の裏庭で育てている、唐辛子(Biber)と、一つだけ残されたカボチャ(Bal Kabağı)。
トルコで売られているカボチャって、お化けのようなデッカイものばかりなので、こんなにちっちゃいのを見つけると嬉しくなります。って、これ、カボチャですよね...........?
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で、今回の目的は、こちら。
こぉんなものがデデーンと居座る、ホリディ・ヴィレッジ。パムッカレのレプリカ。この横には、カッパドキアのキノコ岩やギリシャ遺跡の大理石ゲートなど、トルコの文化遺産の縮小版のようになっています。 
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ここは、シレの郊外にある“Doğa Tatil Köyü(ドーア・ターティル・キョユ)”。
山の裾野の緑いっぱいなホテルです。何もかもがゆったりとした感じで作られているのが素敵でした。
夏の間はさぞかし賑わっているんでしょうけれど、10月も末だとお客さんもまばら。なので、ゆったりのーんびり過ごせました。義弟んちの子供ちゃんも、うちの子も、広い芝生の上で走り回ったり。
ここの支配人が、うちのダンナの知り合いということで、特別にあちこちの施設を見学させてもらいました。
今回は、レストランとカフェだけの利用で訪問したんですけれど、今度は是非泊りにきたいなぁ。

イスタンブルの中心地では、紅葉もまだまばらですけれど、シレは少々気温が低いんで、あちこちで葉っぱが色づいていましたよ。
日本の見事な紅葉に比べると、トルコのは、なんだかぼんやりとした感じなんですけれど、それでも赤やオレンジ、黄色い景色はやっぱり嬉しいものです。
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f0058691_19233427.jpgこちらは、ツタでしょうか。

入口入ったすぐの大きなゲートに絡まっていました。

まだ一部しか色づいてないけれど、これが全部真っ赤になる頃は、さぞかし壮観なんでしょうねぇ。

そういえば、トルコに「もみじ」とか「かえで」といった“日本の紅葉の女王”って、ないかも。見たことがないです。
もちろん、トルコ人は紅葉を愛でるということもないですし。


おまけ。敷地内の至る所に置いてあったハンモックで遊ぶD君とうちの子。なんか、座り方(寝方)が違うんですけど...........。
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とまぁ、秋晴れの中、自然の中でゆーったりと過ごせた午後でした。

***************************************

もうひとつおまけ。
これは、大分と前にシレに行った時のもの。
シレの町から山の中へ田舎道をぐんぐん進んだところにある、小さな湖。そのほとりでバーベキューしたり、お茶したり出来るようになっています。
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湖の横では、水牛が放牧されていました。(黒い点々が水牛) 白い箱は、養蜂用でしょう。シレは黒海沿岸ですので、周りは山が多く緑がいっぱいなのです。
イスタンブルから車でたった1時間の距離です。あの騒音と喧騒がウソのように思える環境。
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おいしい空気をいっぱい吸って、自然の中で美味しいものいっぱい食べて。うはぁ~っ♪


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by yokocan21 | 2010-11-04 19:40 | 旅・散歩  

サバンジュ博物館と決勝戦の雑感

わぁ~ん、ネタは色々あるものの、時間がまったくなくって更新が出来ないもどかしさ。
実は、もうすぐ日本へ里帰りしますので、それまでにやっておかないといけない所用が諸々。時間の使い方が下手なんで、こんなブログでさえも更新が滞りがちです。
えー、熱い戦いのワールドカップも終わり、すでに数日が過ぎ、本当は書きたいこといーーーっぱいあるんですけれどね、そこはググっと押さえて(笑)っと。


では、本題。
この話題、実はもう1ヶ月も前のことです。(新鮮味なくて、すみません)
仲良くさせて頂いている、madamkaseさんと一緒にお出かけした時のこと。

行き先は、サバンジュ博物館(Sabancı Müzesi)
トルコの大財閥・サバンジュ家が所有していた瀟洒な邸宅を改装して作られた博物館です。
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アトル・キョシュク(Atlı Köşk)」、訳して「馬の館」は、1927年、当時のエジプト総督の別荘として建築されたオスマン朝後期様式の建物です。一時期、モンテネグロ王・ニコラ 1世が所有していた時期もあります。
1950年に、当時のサバンジュ家の当主が購入し、住居として使用していました。
2002年に、豪華な内装や家具・食器類などは展示物となり、サバンジュ大学の付属博物館としてオープンしました。

常設展では、サバンジュ家の初代と2代目の当主が蒐集した美術品を展示しています。
中でも、〝ハット(Hat)〟と呼ばれるカリグラフィーの圧倒的なコレクションには目を見張ります。オスマン帝国時代に描かれたカリグラフィーが、なんと400点も。
その他、19世紀から現代までの主にトルコ人画家のものも展示されています。

この博物館では、常設展の他に、内外からの芸術品を定期的に招聘・展示するという、トルコでは珍しく画期的な催しも行っています。
今回、展示されているのは、『Efsane İstanbul: Bizantion'dan İstanbul'a - Bir Başkentin 8000 Yılı (「伝説のイスタンブル:ビザンティンオンからイスタンブルへ-ある首都の8000年」)』。
うっひょーっ。ビザンティン♪ 
私たち、その展示のことは知らずに訪ねましたので、入り口に立って、小躍りいたしましたよ~。というのは、その時は、常設のカリグラフィー(トルコの「書」)と共に、日本の有名な先生の「書」が展示されていて、私たちはそちらを観たくて行ったので、企画展の方は全くのノーチェックだったんです。

ところがーーー。その日本の「書」は、やっぱり、さっぱりわからず。(凹)
オマケに付いてきたような企画展の方に、やられてしまったのです。
この企画もの展示、すっごく面白かったんです! 何がって、あの長い長い歴史を綴るビザンティン帝国の、文化・芸術をくまなく網羅した展示なのですよ。オスマン帝国もビザンティン帝国も好きな、私の心を鷲掴みにする展示物に色々と出会ったのです。
madamkaseさんもビザンティン帝国好きでらっしゃって、ちょっと覗いてみよう.....程度に思っていたものが、なぁんと2時間もじっくりと見学してしまったほど。

この博物館は、全館撮影禁止ですので、写真で紹介できないのが残念。
まぁ、とにかく内容バッチリで全く飽きない構成。ビザンティン好きには、うひょうひょの展示でした。

中でも、個人的に「うわぁーーーっ!」と思ったのが、この二つ。
まず、『ヘビの柱』に付いていた、三匹のヘビの頭の内の一つが展示されていたこと。
『ヘビの柱』とは、スルタンアフメットにあるヒッポドロム(競技場)跡・トルコでは「At Meydanı(馬の広場)」に置かれている、らせん状になった青銅製の柱のこと。
紀元前479年にペルシャ軍に勝ったのを記念して、ギリシャ・デルフォイのアポロ神殿に奉納されていたものを、コンスタンティヌス1世が運んできたものです。
元は三匹のヘビがからまり、先には三匹の頭がありました。その三匹のヘビの頭は、第4次十字軍によって持ち去られ、その内の一つは現在イスタンブルの考古学博物館に収められていると聞いていました。
で、その考古学博物館のあるヘビの頭が展示されていたのです。
青銅製のその頭は、それだけでもかなりな大きさで、でもヘビの恐いイメージは全くなく、むしろ柔和な感じさえ受けました。

そして、もう一つの感動はこれ。『ヴェネツィアのブロンズの4頭馬』。
これもヒッポドロム(競技場)絡みで。当時のヒッポドロムには青銅製の4頭の馬の像があったそうですけれど、第4次十字軍の時にヴェネツィアによって掠奪されました。その後、ナポレオンによってパリへ持ち去られましたけれど、ナポレオンの死後、サン・マルコ教会に戻って来たようです。
その「ブロンズの4頭馬」が、デーンと展示されているのですよ。この4頭の馬は等身大なんだそうで、さすがに迫力満点。なかなかに可愛いお馬さん4頭でした。
なお、このブロンズの4頭馬については、こちらのブログで丁寧に説明されていました。

f0058691_10124979.jpgで、この「ブロンズの4頭馬」の銅像のうちの1頭が、この写真のもの。
もちろんレプリカ。この博物館の敷地の入り口横に設置されています。


ところで、話が前後しますけれど、「馬の館」と呼ばれる所以となったものが、「馬の銅像」。
敷地内には馬の銅像が2体あり、上の写真のものと、もう一つは屋敷の前面に置かれたもの。
そのもう一つの銅像の方は、1950年にこの館を購入した際、当時の当主のオメル・サバンジュ氏が、フランス人彫刻家・ドゥマ作の馬の彫刻を屋敷の前に設置したため、この名で呼ばれているそうです。


お庭の写真を色々と撮ってきましたので、その様子でも載せますね。緑豊かな広大なお庭には、四季それぞれに綺麗なお花が見事に咲き乱れています。

その時は、ちょうどアジサイ(Ortanca)が満開でした。坂道に連なるアジサイのピンクや紫・水色の花は、トルコの空にもとってもよく映えます。
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f0058691_10152832.jpgこちらは西洋ハナズオウ(Erguvan=エルグワン)
春に、綺麗な濃いピンク色の花を咲かせた後は、豆のような実がなります。

赤いのが、実。
これからどんどん色が濃くなって、夏の終わりには茶色い実になります。

西洋ハナズオウについては、こちらで特集組んでます。




ザクロ(Nar)の花。ただ今、イスタンブルではザクロの花が満開。街の結構あちこちに植わっています。
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菩提樹(Ihlamur)の花。柔らかく、ほのかに甘い香り。トルコでは、ハーブティーとしても、よく知られた花ですね。葉っぱ同様、咳によく効きます。街路樹としても、たまに見かけます。
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ジャスミン(Yasemin)。とっても爽やかで甘い香り。
横を通っただけでも、うっとり~。うちの近所には、このジャスミンの生垣のアパートがあるんですけれど、その道を通る用事がなくっても、わざわざ通りたくなる程に素敵な香りです。
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f0058691_10173241.jpgジャスミンをバックに泉。
オスマン朝時代の泉ですねぇ。

香り高いジャスミンと、優美なデザインの泉の見事なコラボ。



f0058691_1018233.jpgハスの花(Nilüfer)の滝壷に注ぐ滝。

トルコでは、なぜかハスの花もよく見かけます。

ジャスミン同様、ハスの花も、女性の名前にもよく使われます。



で、最後は、博物館の前から見た、ボスフォラス海峡と対岸(アジア側)と、第二ボスフォラス大橋。
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ちょこっとだけ、ワールドカップ
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by yokocan21 | 2010-07-15 09:56 | 旅・散歩  

ヒディヴ・カスル

前回記事の続きです。
チューリップを見学に行った、ヒディヴ・カスル(Hidiv Kasrı)、または〝フディヴ・カスル(Hıdiv Kasrı)〟。
アジア側の、第二ボスフォラス大橋を少し北に行った、チュブックル(Çubuklu)という地の小高い丘に建つ瀟洒なオスマン朝時代の邸宅です。

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           白い塔が印象的。

オスマン朝後期の1907年、当時のエジプト知事(総督)でもあった、アッバス・ヒルミ・パシャ(Abbas Hilmi Paşa)が、「夏の家」として建てたもの。設計は、イタリア人のデルフォ・セミナッティ(Delfo Seminati)。
アッバス・ヒルミ・パシャは、「フディヴ(Hıdiv)」(※)という称号をオスマン朝から与えられていたため、この邸宅を、「〝フディヴ(Hıdiv)〟の〝夏の屋敷(Kasrı)〟」と言われています。

20世紀初頭のエジプトは、オスマン朝の支配下にはあったものの、次第にイギリスの影響力が強くなってきた時代。エジプト知事・アッバス・パシャは、オスマン朝の援助を得るため、長期に首都・イスタンブルに滞在することとなり、「夏の家」の邸宅を建設しました。
ちなみに、「冬の家」は、こちらで紹介しています、〝ムスル・アパルトマン(Mısır Apartmanı)〟。

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       建物を横から。ここはカフェになっています。

建物は、当時トルコでも流行だったアール・ヌーヴォー様式で、ルネッサンス時代の別荘をイメージしたものだということです。

後ろ部分は、なだらかな曲線になっていて、屋根の下の部分は全てレリーフが施されています。
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f0058691_433329.jpg前庭のチューリップ。


f0058691_435943.jpg玄関。


f0058691_444059.jpgファサードの上部。

うっとりするほど美しいフルーツのレリーフとお花の装飾。

装飾は、ゴールド・メッキだそうです。


f0058691_451771.jpg装飾部分のUP。

柔らかいお花の絵と、イスラムちっくなゴールドの装飾が、見事にマッチ。

柱(?)の先には、ゴールドのチューリップが。



f0058691_454543.jpg玄関内側の扉。
エミール・ガレ風のブドウの葉っぱ。


f0058691_462474.jpg噴水のあるホール部分の天井は、ステンドグラス。


f0058691_4653100.jpg内部は、現在レストランとして使用されています。
そのレストラン部分のランプ。


この邸宅は広大な林に囲まれています。その林の中には遊歩道が整備されていて、木漏れ日の中、時々木の間からのぞくボスフォラス海峡を眺めながら散歩できます。
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ボスフォラス海峡をゆく貨物船。白い塊が2つあるのは、雲。
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と、こんなに素敵な建物なんですよ。
庭園のチューりップや春の花たちを愛でながら、美しいアール・ヌーヴォーの邸宅を見学。そして、林の中で美味しい空気をもらいながらの散歩。とまぁ、春のうららの昼下がりは、こうしてまったりと過ぎていったのでした。

ところで、このヒディヴ・カスルのその後の歴史を少し。
オスマン帝国の援助も空しくイギリスとの交渉は上手くいかず、また第一次世界大戦にオスマン帝国が参戦し破れたため、エジプトは独立したものの事実上はイギリスの支配下に置かれることとなり、アッバス・パシャはフディヴの称号を剥奪され、1931年、スイスに亡命しました。
だけれど、アッバス・パシャの家族はその後も、ここヒディヴ・カスルに住み続けました。
1937年、イスタンブル市がこの邸宅を購入。しかし、長い間放置されたままの状態でした。
1984年に、トルコ・ツーリング自動車クラブが修復し、一時期はプチホテルとして使われていました。
1996年には、またイスタンブル市の所有するものとなり、現在に至っています。


20世紀初頭といえば、オスマン帝国もその支配下のエジプトも瀕死の状態。そんな時代にあってなお、この豪華な邸宅を建てたという財力と根性にあっぱれ。
そして、オスマン帝国と自身の国・エジプト、双方が崩れかけてゆく様を、このパシャは、どのような思いでボスフォラス海峡を眺めたのでしょう。


※ フディヴ(Hıdiv)・・・・・オスマン朝の支配下にあった、エジプトの知事(総督)を代々世襲制にするという制度が1867年に出来、その称号がフディヴ。初代フディヴは、アッバス・パシャの祖父にあたる、イスマイル・パシャ(İsmail Paşa)。 フディヴとは、ペルシャ語で「偉大な大臣」という意味。


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by yokocan21 | 2010-04-09 04:32 | 旅・散歩  

チューリップ♪

ここ数日、イスタンブルはポカポカ陽気で、いい気分~。
そんな恰好の行楽日和の週末、家族で、お花を見に行ってきました。今、イスタンブルで、この時期咲き乱れているチューリップ

現在、イスタンブルでは、市の主催する『イスタンブル・チューリップ・フェスティヴァル(İstanbul Lale Festivali)』が開催されています。イスタンブルの主な広場や公園が、チューリップでいっぱい~!
今年で5年目を迎える、このフェスティヴァル。チューリップの原産地・トルコの威信にかけた(?)大々的キャンペーンでもあるんですよね。
ちょうど観光シーズンの到来に重なるこの時期、トルコの玄関口・イスタンブルの街中を色とりどりのチューリップで艶やかに飾るというイベント。私たち在住者にとっても、訪れる観光客にとっても、とっても楽しいものとなっていると思います。

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では、この日曜日(4/4)に見てきたチューリップの色々と紹介。
場所は、アジア側・第二ボスフォラス大橋(※)をボスフォラス海峡沿いにちょっと北に行った、丘の上。〝ヒディヴ・カスル(Hidiv Kasrı)〟。
ボスフォラス海峡を見下ろす林の中に建てられた、オスマン帝国末期のアールヌーヴォー調の邸宅です。
ヒディヴ・カスルについては、次回説明するとして、今日のメインはチューリップ。

その邸宅の広大なお庭が、一面、チューリップをはじめ春のお花で敷き詰められていました。

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赤いチューリップと、紫のムスカリのコラボ。

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ムスカリとミツバチ。

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一部、咲き揃っていないものもありました。満開には、若干、早かったようです。

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色とりどりのプリムラ。

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プリムラの絨毯でグラデーション。

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海峡を挟んだ対岸は、エミルギャン(Emirgan)とイスティンイェ(İstinye)。

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木立の向こうに、第二ボスフォラス大橋。


どぉどーーっと、こんな感じでした。
春の陽気の昼下がり、ゆったりとお庭を散歩。そして、敷地内に広がる広大な林の中の遊歩道も散歩して、美味しい新鮮な空気をたっくさん吸って、気持ちのいい一日でした!

なお、『イスタンブル・チューリップ・フェスティヴァル』は、今月18日まで開催中。

※ 第二ボスフォラス大橋は、トルコでは、「ファーティフ・スルタン・メフメット橋(Fatih Sultan Mehmet Köprüsü)」と呼ばれています。


トルコのチューリップ。これには、ちょっとした歴史もありありますので、その辺は、《続き》↓↓↓にて。



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《続き》
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by yokocan21 | 2010-04-06 04:57 | 旅・散歩