ガズィアンテップ・旧市街散策

だ~いぶと前の記事で、「南東部地方・歴史を訪ねる&食いしん坊旅」などと謳っておきながら、すっかり書くのを忘れてしまっていました...。
記憶が薄れてしまわない内に、書いてしまいましょう。

6月上旬の週末、ダンス教室で仲良くなり良いお付き合いをさせて頂いている、M&Mさんご一家と一緒に、ガズィアンテップとシャンルウルファの旅に出掛けて来ました。

まずは、ガズィアンテップ(Gaziantep)
ディヤルバクルより西に約330km、南東部地方最大の商工業都市です。トルコで6番目に大きな町なのだそうです。トルコ人は、単に「アンテップ」と呼ぶことの方が多いです。

古代よりアインタープまたはアインターブと呼ばれてきたこの町は、地中海とメソポタミアに挟まれた地理的条件から、交通の要所として重要な役割を果たして来、なぁんと6000年の歴史を誇ります。

紀元前3000年頃からこの辺り一帯に定住民が増え続け、都市として最初に栄えた時代は、紀元前1800~1700年頃のヒッタイトの時代で、いくつもの王族が町を支配していました。
その後、紀元前850年にアッシリア王の支配下になり、続いてメディア王国、ペルシャ帝国(アケメネス朝)の支配を受け、紀元前4世紀にはアレキサンダー大王の支配、そして紀元前395年より紀元後638年までの間はビザンティン帝国の支配下になるという、目まぐるしく歴史は動いていきます。
その後、アラブ人やセルジューク朝の支配を経て、1516年よりオスマン朝の領土となります。

ま、歴史の話はこの辺にしておいて、町をサラサラ~ッと見て周ることに致しましょう。
まず、町の南側にデーンと構えるガズィアンテップ城(Gaziantep Kalesi)。
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元々6000年前に造られた砦の上に、3世紀のローマ時代に要塞として建造。それを6世紀のビザンティン帝国・ユスティニアヌス帝が強固な城塞として建造、その後1481年、エジプトのスルタン・カユトバイが今ある形の城塞として修復・改築したもの。
内部は発掘作業が行われていて、ハマム(トルコ風呂)や牢獄跡などがあります。
私たちが訪れた時は、この城一帯が修復作業の真っ最中でした。数ヵ月後(いや、数年後?)にはすごーく綺麗に整備された城を見学できることになりそうです。
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城からの眺め。旧市街を望む。

では、この城の麓一帯に広がる旧市街を散策。

城から見た、タフタニ・ジャーミィ(Tahtani Camii)。
建立は定かではないが、おそらく1557年。ミナレット(尖塔)の形がこの地方独特のものです。
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f0058691_2149394.jpgこちらは、城の真横にあるシルヴァニ・ジャーミィ(Şirvani Camii)。1677年建立。
イキ・シェレフェリ・ジャーミィ(İki Şerefeli Camii = 2つのシェレフェのあるモスク)として知られています。
〝シェレフェ(şerefe)〟とは、モスクのミナレットにあるバルコニーのことで、昔はここでお祈りの呼びかけ・エザーンを詠んでいました。

このシェレフェとそれに続く装飾部分には、青いガラスがはめ込まれていて、近くで見るととっても綺麗なのです~。


細く、車が一台通るのがやっとのこの旧市街、道も迷路のように入り組んでいて、現在地を把握するのが大変です。
小さな商店が所狭しと軒を連ねていて、物売りのおじさんの声を聞きながら、また職人さんのトンカン♪という槌音を聞きながら、遠い昔の町の様子を思い描きながら、てくてく散歩。

辿り着いたのは、こんな古めかしいカフヴェ(トルコ版カフェ)。タフミス・カフヴェ(Tahmis Kahve)。
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なんと、400年前の建物を今もそのまんま使っているという、すごーい歴史あるカフヴェです。
内部はこんな感じ。
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薄暗~い店内は、おじさん度超高し。でも、私たち子供連れの家族でも、温かく迎えてくれました。
元は、1640年にメヴレーニハーネ(mevlenihane)(←※注)として建てられたものを、1901年~1903年の間に、カフヴェとして使われるようになったとのことです。
で、ここで出されるカフヴェ(Kahve =トルココーヒー)なんですけれど、一見トルコの何処ででも見かけるコーヒーと同じ、でもダンナとM&M夫妻いわく、トルコで一番美味しい!のだそうです~。(私はトルココーヒーが苦手なため、チャイをオーダー)
ここのコーヒーをもう一度飲むためにだけでも、もう一回ガズィアンテップに行きた~い、んだそうですよ。そのくらい、歴史のあるカフヴェで飲むカフヴェは、お味も重みもひときわ際立っていたようです。

ちなみに、トルコでは町の片隅に、こういうカフヴェと呼ばれるおじさんの憩いの場があちこちにあります。
大抵は皆、チャイやコーヒーを飲みながら、カードゲームや、バックギャモン(トルコ語ではタヴラ(tavla))をしたり、ゆーったりと時間を過ごしています。

このカフヴェを後にして、もう少し行くと、ボヤジュ・ジャーミィ(Boyacı Camii)に出くわしました。
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現在建物は修復中で、中には入れなかったのですけれど、門の外からでも立派なモスクであることは、一目瞭然。
ガズィアンテップ最大のモスクで、1211年の建立ということはこの町で二番目の古さです。
白と黒の縞々模様のモスクは、ディヤルバクルでもよく見かけるものですけれど、これはトルコ南東部地方によくあるものなんでしょうね。
ドーム屋根が銅板、というのもちょっと変わっているなぁと思います。

f0058691_21514014.jpgミナレットは、マムルーク朝時代の1357年のもの。
てっぺんにシェレフェがあり屋根が付いていてる形、この町のミナレットではよくあるものです。そしてシェレフェの下の部分の装飾がとっても繊細で美しい!


f0058691_2573144.jpgこちらは、お土産屋さん。
この地方で織られているキリムも飾られています。ガズィアンテップといえば、民族衣裳も色とりどり派手な色合いのものが多いんですけれど、キリムも鮮やかなものが多かったです。
あと、銅製品や、手作りの木箱に装飾を施した物も有名。これらは後ほど改めて紹介しますね。


f0058691_21522722.jpgで、最後は、旧市街からは少し離れたところにあるんですけれど、ケンディルリ教会(Kendirli Kilisesi)。

1860年に建てられたのもがすぐに崩壊してしまったので、1898年に再建されたものです。
内部はガラーンとしていて、特に面白いものではなかったです。
現在は、何かの展示場として使われているようでした。

元々この町には、アルメニア人を始め多くのキリスト教徒が住んでいました。今は時代の流れの中で、キリスト教徒の数は少数です。

よーく見ると、壁には無数の銃弾の跡が残されています。
これは、1920年の祖国解放戦争の時の、フランス軍の攻撃によるもの。この時の激しい攻撃に、トルコ軍と町の人は団結し戦い、この町をフランス軍から守った、といわれています。
そのため、輝かしい称号である『ガズィ(Gazi)』(=イスラム戦士)という名を、この町に与えられたということです。


なかなか観光地としては知られていないガズィアンテップですけれど、いえいえとっても面白い町でしたぁ。町も活気があって、人々も温かくって、すっかりお気に入りになってしまったのです。
次回も、こんな歴史あるガズィアンテップの様子をお伝えしていきますね。


※注 メヴレーニハーネ・・・・・メヴレヴィー教団の道場。

★その他のガズィアンテップ紀行
   ・ガズィアンテップ・アートと工芸に触れる旅
   ・ガズィアンテップ・食いしん坊な旅



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by yokocan21 | 2007-10-04 22:01 | 旅・散歩  

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