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ハサンケイフ紀行

先週末、近場で面白い町々をちょっと旅してきました。題して、「トルコ南東部・歴史を訪ねる旅」
ここディヤルバクルから1泊2日で周れる範囲に、なんとも興味深い町々が点在しているんですよ。その旅の様子をこれから順に紹介していきたいと思います。

まず第1回目は、独特な景観が最近人気の(トルコ国内で)、ハサンケイフ(Hasankeyf)

ティグリス川にかかる橋。12世紀・アルトゥク朝時代に造られた橋の橋脚部分だけが残っています。
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その昔は、ヒスン・カイファーと呼ばれたハサンケイフの町は、ローマ・ビザンチン時代から交通の要所として栄えてきました。
7世紀半ば、アラブ軍に占領され、12世紀にはトゥルク系のアルトゥク朝の首都となり、その後(1232年)アイユーブ朝が支配するも、13世紀半ば、モンゴル軍が侵攻してきます。
そして14世紀には再びアイユーブ朝の主要都市となり、繁栄しました。町に残る主な建造物は、この時代に建てられたものが多いようです。
15世紀にはオスマン帝国の領地となり、今に至ります。
なんとも複雑な歴史をたどってきた町ですね。

ハサンケイフ紀行_f0058691_448840.jpgチフト・メルディヴェンリ・ミナーレ(Çift Merdivenli Minare)、
訳して「2つの階段のミナレット」と呼ばれる、エル・ルズク・モスク(El Rızk Camii)のミナレット(尖塔)。
お互いを見ることの出来ない2つの階段がある、特に珍しい建築だそうです。
(てっぺんに、コウノトリが巣を作っていました)

エル・ルズク・モスクは、14世紀・アイユーブ朝時代に建てられたもの。
アイユーブ朝ということで、モスクの名前もアラブ風。


ハサンケイフ紀行_f0058691_450597.jpg側面に施された、数々の繊細なレリーフが、とっても綺麗。
これは、その一部。ミナレットの台座部分に施されたレリーフ。



ハサンケイフ紀行_f0058691_4532869.jpgエル・ルズク・モスクのミナレット(尖塔)と、奥に見えるのは、ビザンチン時代に造られた岩山の上の城塞。
次回の記事では、この城塞からのレポートをいたしますね!


それでは最後に、その日のお昼ご飯。
ディヤルバクルからハサンケイフに行く途中に立ち寄った、バトマン(Batman)という町で食べた、コレ。
ハサンケイフ紀行_f0058691_4553851.jpgビュルヤン(büryan)といいます。子羊の石釜丸焼き。
豪快にも、お店の入り口近くに、デデーンと吊るされていました。

これを細かく切ってピデという薄型パンの上に乗せ、再び石釜に入れ少し焼いて持ってきてくれます。


ハサンケイフ紀行_f0058691_4565568.jpg

とっても柔らかくって、心配していた羊臭さも全くなくって、とっても美味しかったです!
子羊本来の美味しさを味わえるお料理ですね。

このお料理、バトマンの隣町、シイルト(Şiirt)の郷土料理だそうで、地元でも大変人気のあるもののようです。
トルコ人が遥か昔、中央アジアで遊牧民だった頃を彷彿とさせられる、なんともワイルドだけど、羊をよく知る人たちでこそ出来るお料理ですね。
ダンナの知り合いの、バトマン在住の方に連れて行ってもらいました。さすが地元ッ子は、よくご存知。

ちなみに、このバトマンという町とその近郊は、トルコで唯一の石油の採掘が行われているエリア。
バトマン郊外では、何台かの掘削機が動いているのを目にしました。でも、掘削機といっても、井戸のポンプを大きくしたようなものでしたけれど。何だか、細々とした感じでした。もしかしたら、他に大々的に採掘をしている場所があるのかも。
トルコ南東部は、石油の一大埋蔵地・北イラクと国境を接していますので、石油が採れるのは当たり前でしょうか。

そしてこちらは、ハサンケイフの手前、ティグリス川の川辺に咲く一面のポピー(ひなげし)♪
まさに、この時期にだけしか見ることの出来ない光景ですよ~。いやぁ、こぉんなに凄いポピー畑は生まれて初めてでした~。
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【次回は、ハサンケイフ第2弾をお届けいたします!】

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by yokocan21 | 2007-05-26 05:25 | 旅・散歩  

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